結果として残ったもの
「ここで、下ろしましょう。」
避難所となっていた役所庁舎の前で、背負ってきた彼を下ろす事を話すと、肯定と取れる呟くような声が耳に届く。
既に周囲は暗くなっていた。背負って街中を歩いている間にも、行灯を持った衛士と幾度もすれ違いっていく。
被災者の救助や犠牲者への対応は、今も続けられているが、それも長く続かないだろう。いつ、再び雨が降り出してもおかしくはない。
死者は自分の足では立てない。
当たり前の事だが、そこへ左腕と右足の千切られた彼の身体は、一人で支えることすらもままならない。倒れ込みそうなその身体を、反対側に立った青年が寄り添って支える。
焚かれた篝火の赤い光に、泥の跡が残る表情が照らされる。
ここに連れてきた所で、どうする事もできない。
教会の墓地に弔うことも、考えはした。勿論、遺族であるこの青年の意思が尊重されるべきではある。だが、一番の問題は、埋葬にかかる金銭的な問題となるだろう。
棺の用意ができる状況ではないので土葬になるだろうが、今の墓地の有り様は死者を迎え入れることの出来る状態ではない。それを抜きにしても、ゾンビ化しないための下処理として行うべき儀礼がある。
そういった儀礼にかかる、諸事には司祭の同伴も必要であり、物資も用いる。
私的な感情で、同情でそれを、無賃で引き受けたとなれば、同じ様な対応を求める人が他にも出てくるだろう。災害、というものは誰の準備も待ってくれない。誰かだけが特別ではない。
それは、孤児院で嫌と言うほど知ったことでもあり、院長から教えられてきたことでもある。
「私の力が及ばず、申し訳ない。」
心を占める悔しい気持ちだけが、唐突に口をついて出る。
反対側で肩を支える青年は、篝火の前を、無言のまま歩を進め、ただ俯いていた。
ふと、庁舎の中庭から誰かが駆け寄ってくる。
「っ!」
駆け寄ってきたその人は、手に湯気が立つ椀を持っている。しかし、こちらを見定めて何か発しようとしたその言葉を飲み込む。
「あっ、あのっ。これ。」
改めて、上ずった声が発せられる。声からして少年とも女性とも取れる声。差し出された椀の湯気が僅かに鼻をくすぐる。
それを差し出された青年は、亡骸を支えるのと反対側の手でそれを受け取る。
受け取ったそれを、そのまま地面に叩きつける。中身の飛び散る音とカランと空になった容器が地面に跳ねる音が響く。
「親父は助からなかった!ここの連中が助けてくれれば、間に合ったかも知れないだろ!」
青年のその叫びは、恐らく、眼の前の人物がある程度見知った相手なのだろうという前提を感じさせる。
その転がった椀を追って、屈んで拾い上げる後ろ姿は、言葉を受け取ってか、とても小さく見えた。
「何が導師様だ。親父は死んじまった。俺達家族に何もしてくれないじゃないか。」
青年が、力なく言葉を吐き捨てる様に呟く。
「っ!!」
瞬く間の様なの事であった。
椀を手に立ち上がったその人は、突然振り向いて、青年のその頬を叩く。
甲高い、炒った豆の弾けるような音が余韻の様に響く。
「親父は!まだ息があったんだ!川に仕掛けた罠が気になるって!今朝も出かけていったんだ!土砂に飲まれたときだって、俺が心配で行った時には、埋まったままだけどまだ息があったんだ!」
叩かれたことに反抗するかのように、青年はその胸中を吐露する。
もう一度、甲高い音を立てる平手が、青年の顔を打つ。
「そんなの!ここに居る誰だって同じだ!アンタが!アンタだけが特別なわけじゃない!」
その声から、眼の前に居るその人もまた、涙で声を上ずらせているのが感じられる。
「それにアンタが放り捨てたその椀。それだって、ここに避難してきた人や、駆けずり回ってる衛士さんたちを気遣って、導師様が手配して振る舞い始めたんだ!それを無下に打ち捨てて、出てきた言葉がそれだっていうの!?」
二人の間で、噛み合わない。睨み合うような膠着がその場で広がっている。
修道士として、不甲斐なさと無力さが、自分の心を占めていく。
眼前でその場面に直面しながらも、私の口からは何も出てくるものはなかった。
「彼を。彼を、休ませてあげたいのです。場所は、あるでしょうか。」
二人を仲裁する事は、私にはできそうになかった。必死に絞り出した言葉は、冷たくなって身体を硬直すらさせつつある、その彼の身体の重みが、ふと肩越しに重くなったと感じた事で、漸くに組み立てたものだった。
ふとその言葉を待っていたかのように、衛士が二人、戸板を担いでこちらに向かってくる。
もしあの時、青年に声をかけて、あの危険な土砂崩れの河原にいかなければ。
この場に、私が残っていたら、このような事は起こらなかったかもしれない。
彼を助けに行けないまでも、青年はここで救助の対象になり、ここで諍うこともなかったかもしれない。
危険な思いをし、青年を再び死地に向かわせ、それでも生を拾って。
得たものは、救われ事のなかった彼の亡骸と、この二人の間にできた溝という結果。
膝から崩れ落ちそうになる、そんな気持ちを奮い起こし、彼の亡骸を衛士に任せ、顔を上げる。
青年は膝から座り込み、抑えきれない気持ちで地面を殴りつけている。
自らの無力さの罪悪感から、思わずそんな拳を、押し留め、肩を抱えてやる。
そんな我々の側を、静かに近寄ってくる足音が聞こえる。
「ごめんなさい。」
青年の嗚咽に紛れ、確かにそんな声が聞こえた気がして、顔を上げる。頭まで深く外套を被った、そんな姿が足元を歩く猫と共に静かにすれ違う。
その声の余韻と青年の嗚咽をかき消すように、雨が降り始めたのは、そんな時だった。




