忌避感
「申し訳ありません。また後日、お越しいただければと。」
庁舎内の窓口で、自らの証を立てると、多くの時間をかけ、対応した女性職員は、私に向けてその言葉と共に深々と礼を払った。
窓口で待たされている間にも、何が起こっているのかは、耳を通して伝わってくる、漏れ出た言葉から理解をする。
大凡、それが近くの山で起こった山崩れだという事、門外の点在住宅がそれに巻き込まれた事、周辺地域からの避難誘導や救出対応が行われている事。今まさに、庁舎の職員と衛士たちがその対応に追われている状態であるのは見て取れる。
「我々、教会の者にお手伝いできることはございませんか?」
下げられた頭が上る前に、改めて、今それを伝える。
しかし、頭を上げ、それに何か言葉が添えられる事は無い。
それだけが、微動だにしない職員の深い礼から、今理解できる唯一の情報だった。
「こちらで何か支援ができないか、司祭に持ち帰り、検討と準備だけはさせていただきます。」
私に向けられていたのは、単純に、強い忌避感であった。
いや、私にだけでなく、恐らくそれは、教会に対してのものであるのだろう。
返答を待っている私に対しての、周囲職員の目配せからも、それが滲み出ている。
その原因がわからない以上、私がここで出来る事は無いのだろう。
司祭はこの事を、知っていたのだろうか。いや、恐らく、知っていたのだ。
私が何もできない事、この場で役に立てない事。
それでも、教会としては、場に立ち会い、協力を申し出るという構図は必要なのだ。
これ以上の、悪感情を持たれないために。今後も、この街で活動していくために。
窓口から離れようと、身体を傾けたその時。
一人の衛士が、壁際で何をするでもなく、物静かに立っている姿が目に入る。
その傍らに、外套を深く被り、壁を背に膝を抱え座り込んでいる、そんな影が見える。
避難者ではない、というのは直ぐに分かった。
私の視線に気づいたのか、立っていた衛士が、少し体を動かし、その姿を覆い隠す。
無用な警戒をされるのは本意ではない。視線を反らし、その場を後にする。
恐らく、この街の役人の関係者、なのだろう。
その姿は、ここの所、視界に現れる、その人物と一致する。
窓口から外に出れば、中庭に避難者と思われる人々が誘導されていた。
中には、泥まみれのまま、衛士に戸板で運ばれてくる姿も見える。
そういった姿の、恐らく、既に事切れているだろう、無惨な姿から、思わず目を背けたくなる。
足を止め、胸元で十字を切り、手を合わせる。
そんな時、門の向こうから慌てて駆け込んでくる衛士の姿があった。
衛士が持ち込んだ連絡の重大性が、その波及と緊迫感からも伝わってくる。
号令が飛び、周囲の衛士が呼び集められる。
無力感の中で、足を止めたまま、そんな光景をただ見ていた。
門の外には、街の住人たちであろう姿が集まり、避難し、或いは運ばれてくる彼らを、同じ様に見守っている。
あそこに立っている人々と、私は、何ら変わらない。例え教会の修道士であっても、だ。
何が出来るわけでもない。ただこの場に臨場し、動けずにただ立っているだけ。
本来であれば、急いで教会に戻り、司祭と対応を協議すべきなのだろう。
しかしそれが、徒労に終わってしまうのではないかという恐怖が、心を占める。
この場を離れてしまえば、教会は、私は、以後この件で何かを求められる事はなくなってしまうのではないか。そんな不安が、足をこの敷地に留め続けている。
そして、戸板で運ばれてくる無惨な被害者たちの姿が増える度に、何が出来るわけでもないまま、ただ胸元で十字を切り続け、手を合わせる。
ふと、駆け戻ってきた泥まみれの衛士に縋り付くようにして、一人の若者が門を駆け込んでくる。
「まだ親父が埋まってるんだ!助けに戻ってくれよ!」
必死の形相と、枯れて濁った、涙混じりの叫び声が、目耳に響く。
「助けてくれよ、親父を、親父を助けてくれよ、頼むよ。」
庁舎で被災者の対応に当っている別の衛士を見かけて、その足元に縋りつき、一際大きく絞り出された声が響く。
「あっちに埋まっているんだ。川から流れてきた土砂に飲まれたんだ。逃げ遅れたんだ。」
しかし、衛士は申し訳無さそうな顔をして、彼から顔を背ける。その仕草が刺激してか、叫び散らすような形振りの構わない奇声が一際大きく上がる。
何らかの言葉の様であったそれは、聞き取れなかった。
気がつけば、駆け出していた。
今にも衛士に飛びかかろうとしている、その若者、青年の肩をしっかりと掴み止める。
「行きましょう。お手伝いします。」
声をかけていた。その言葉の直後に、自分に何が出来るわけでもないという後悔が、一気に心に噴き上がった。
それでも。
それでも、肩を掴んだ青年の力はみるみると弱まり、振り返り、その泥まみれの顔に両目いっぱいの涙を溜め込んだまま、私を真っ直ぐと見つめる。
「案内をしてください。さあ、行きましょう。」
彼の手を取る。この場に、これ以上居ても、何もできない事は変わらない。
青年は頷き、確かめる様に、もう一度強く頷き、私の手を引っ張り走り出す。
その力強さに流されるままに、私は、その場から、ただ何もできないまま逃げ出す形になった。




