荒れ果てた教会
雨が降り続いている。霧雨だったそれは、途絶える事なく地面を濡らしている。
我々を待っていた教会は無惨という他なかった。
雨水の染み込んだ墓地は、死者が這い出たかのように掘り返されている。
開かれたままのドアの向こうに見える礼拝堂内も、備品が散乱している様だ。
「ここで待っていなさい。中を見てきます。」
馬車から降りるなり、司祭は室内へと足を向ける。その背を追うと、彼は振り返り、言葉ではなく、私の目を見てそれを制止する。
御者の男は馬を休ませている。革袋から注いだ水を手桶に注いで与えていた。
傘を手に、周囲を少し歩いてみる。
散乱した墓石の一つが倒壊し、眼の前で砕け散っている。誰もそれを直すことなく放置されている。
手を添え起こしてやる。しかしそれが元々あった位置を知る由もない。
親族縁者は、この様にされたまま、これまで過ごしてきたのだろうか。
そもそも、何故これほどに教会が荒れ果てているのか。
雨の中、司祭が礼拝堂から出てくる。傘もささずに、真っ直ぐと墓地へとやってきて、幾つかのむき出しの墓穴の前でかがみ込む。
「中を片付けてきなさい。修道士の居室はわかりますね?」
「同じ作りであるならば、恐らく。」
教会の作りは、多くの地域で寸分と違わず、同じであるらしい。
そのため、長く修道士を務めた者は、どの地域に派遣されても戸惑う事なく過ごせるという。
洗礼を受けて修道士となった私は、既に幾つかの地域を経験している。
そして育った孤児院もまた、これと同じ構造をしている建物を持っていた。
礼拝堂へのドアは開かれたまま建付けが歪んでいたため、後で直す必要がありそうだ。
内側に足を踏み入ると、外から見るよりも凄惨となっている。
紐のように太く張り巡らされた蜘蛛の巣が隅に溜まっている。その上から埃が積み重なり、大掛かりな清掃も必要であった。
長座椅子も押し倒され、まるで中で諍いでも起こっていたかのようだ。
礼拝堂の奥にある部屋は左右に分かれており、向かって左側が修道士たち、右側が司祭の居室へと繋がっている。この教会も、その作りは変わらない様子であった。
修道士たちの居室へとつながる廊下は、手入れもされておらず、歩を進めると薄く埃が舞う。
その埃が、雨に濡れたローブに張り付き、やがて目に見える黒いダマとなっていく。
一番手前の居室のドアに手をかけて、押し開ける。
「雨漏りまでしているのか。」
部屋の一角が水腐れし、薄っすらと苔のような色合いを見せている。今もまた、天井から水滴が落ちている。
一度ドアを閉じ、隣の部屋も覗いてみる。その有り様は似たようなものであった。
「掃除はおろか、これでは寝ることもできんな。」
舞う埃を吸わぬよう、口元を抑え、修道士の居室としては最後になる部屋のドアを開ける。
最後の部屋は、一応に、体裁を保っていた。とはいえ埃が積もっており、部屋としては一番薄暗い。
このまま蝋燭の火でも焚けば、ともすれば埃に引火し、燃え上がってしまう。
「暗くなる前に、少しは掃除せねばな。」
ドアの脇に、掛けていたカバンを下ろす。掃除用品を取りに、部屋をそのままに更に奥にある物置き場へと足を向ける。
喉に埃が張り付く様な不快感と、鼻呼吸の難しさを感じる。
この有り様は、数日、数十日と言ったものではなく、数年の放置を感じさせる。先任の司祭は修道士を抱えていなかったのだろうか。
いや、それは考えにくい。街の規模は外観から鑑みるに、相当大きい。
地方都市相応の居住者がいる。そうとなれば、生まれる子もいれば、無くなる者もいるだろう。
この町の教会の法治業務を維持するのには、どう考えても一人では無理だろう。
ともすれば。
「下法の蔓延る街か。」
幾度か目にしたことがある。死者を棺に入れ土葬する、教会の弔い方ではなく、死者そのものを居なかったことにしてしまう。即ちは、鳥や獣、或いは虫に食わせ、そのまま自然へと返す手法だ。弔うものが居ない無縁者を、そういった形で「処理」する行政も、決して少なくはない。
「まるで先程の部屋のように、光射さぬか、はたまた、教会で受け止めきれずに漏れ出たか。」
絡みつく蜘蛛の巣を払いながら、物置き場へと通じるドアに手をかける。
「ここも、か。」
積もった埃と蜘蛛の巣。高い位置の小窓から僅かに漏れた光が薄っすらと射すだけである。
ローブに幾つもの埃と蜘蛛の巣を巻き付け、はたきと箒を引っ張り出した頃には再び雨脚が弱くなっていた。
「雨が止むなら、その間に、日用品手配の目算をつけに行くべきか。」
持ち込んだ品は決して多くない。いずれはこの街で必要なものを買付け、見繕っていかねばならないだろう。
居室のドアを開け、側に置いたままのカバンから財布と手鏡を取り出す。
頭に張り付いた蜘蛛の糸を払う。身なりは大事だ。
まして、埃にまみれたまま人前に出ることは憚られる。
ふと先程の屋台街を思い出す。
荷車の逆引きを手伝ってくれた者たちを見つけられれば、何かしら情報も得られるだろうか。
「少し、出て参ります。」
礼拝堂の中央で、黙したまま何かしら想い耽っていた司祭に話しかける。
彼からの返事はなかった。ただ、この有り様に、言葉が出ないは共感する所だ。
礼拝堂を出た時には、雨が止み、遠く雲の切れ間から朱色の光が、街を赤く染め始めていた。




