社内会議のご案内
「どうだい、ハルタ!アタシが見ていた世界は!」
俺は、初めて見る世界に、自分たちが住みながらも知らなかった世界に体が打ち震えるのを止められずにいた。
フユミはその「背」に俺を乗せ、大空を突き抜けていく。
俺が飛んでいた、「空だと思っていた世界」のそのまたはるか遠く。
草木の隙間から垣間見る、光あふれる、鳥たちの世界。鳥たちの目を、自分を獲物と狙うその目を気にせず、そこに広がる光景を息が止まるかの様に見入る。
羽虫たちはこんな光景を、以前も見る事ができたのだろうか。
俺がいかに天高く体を打ち上げても、それは地を這う俺たちの空であって、羽を持つ者たちの世界とは全く違ったのだ。それを今更ながら思い知らされる。
「アタシだってそうさ!こんな高く、速く飛べる世界は知らなかった!」
掴みかけていた風の流れ、羽虫や鳥たちの世界に手が届くと打ち震えていた、さらにその先にあるもの。
フユミはキノコとしての自分を受け入れ、「キノコの力」を手に入れた。
俺には「まだ」わからない感覚。
あの赤い甲羅の小さい体が、それを丸呑みするほど大きな「鳥」を、手繰る。それはまるで蜘蛛が巣の糸を引く様に。フユミは、そう俺に語って見せた。
だが、それを聞いた瞬間、俺の中でキノコが躍る。俺にもその力があるだろう事がわかってしまった。
体の中のキノコが騒ぐ。足に力を籠めるのと変わらない。キノコは、その時をずっと待っていたのだ。気づけ!使え!と。その声が心に響いていた。
鳥の羽を器用に手繰り、フユミは「大地」へと帰る。俺はその背を降り、地に足を付ける。
見慣れた世界、今までの当たり前の光景。だがこの向こうにも、さらにその先があるだろう。
試したい。俺の中にあるキノコに心を踊らされているのは分かっていた。だが、それはあの地獄にあった恐怖とは違う。
キノコが俺を奪おうとしているのではなく、俺が俺のままキノコである確かな違い。
その自分で抑えきれそうにない巨大な好奇心を、強い光が一瞬で焦がし、消し去る。
「ここまでだね。社長がどうやらお呼びの様だ。」
俺は駆ける。フユミも鳥の体を手放し、自らの羽を広げ、俺の横を飛んでいた。
「アタシらには大きすぎる世界だ、気が張って疲れるのさ。それにあいつら鳥だって、夢を見ているようなもので、いつまでも根を張って居られるわけでもない。」
フユミにだけ掴めている感覚のようなものがあるのだろう。だが、その言いぶりとは別に、不思議とフユミが自分の羽を振っているのを喜んでいるようにも感じた。
「仕事の前に羽も動かせませんとあっちゃ、社長に合わせる顔がないだろうさ!」
やがて社長の待つその場へとたどり着くのに、それほど時間は必要なかった。
ナッキーとアキサダもその場に駆け付けてくる。
「弊社職員」はたちまちに山となり、誰欠ける事無く、社長が為にそこへ集う。
後はいつものお達しを待つだけだ。俺たちにあるのは最早、食欲ではない。
「さあ!始めようじゃないか!社長!」
フユミが叫ぶ。その声に釣られて、気持ちが高ぶっていく。社長を呼ぶ声が彼方此方から上がる。
やがて社長の威光が示す。競り合うように俺たちの仕事が始まる。
あるものは刺し、あるもの啜り、あるものは噛み、あるものは引き千切る。
俺もまた、存分と汁をすすり上げる。生き物としての本能を存分に振るう。生を満たす、当たり前のありのままの姿が、その強さが社長に求められているのだ。
だが、今日のそれは、はっきりとした違和感を捕らえる。
口を打ち付け、貫いた肉の先。何かを感じ、勘がそれを全身に染み渡らせる。
啜り上げる汁、腹にたまるそれに、本能が警戒を呼び掛ける。にわかに、ここの所、忘れていた感情が呼び覚まされる。恐怖と疑心だ。
そう、嫌でも俺たちに焼き付けられたあの時の記憶が、目を覚ます。
腹が熱い。溜め込まれた汁は生きた血の様に踊り、俺の中にあってまだ自らを捨てていない。
意思を持っているかのようであった。
死骸とは思えぬ、だが目の前にあるそれは死骸であり、疑いようはなかった。
これは人の亡骸なのか?疑心はそこに集まっていく。
違う。違う。一息に腹に流し込まれる汁が俺にそう囁きかける。
違う。違う。腹の中でうごめく汁が俺に生を囁きかける。
違う。違う。ひと突きひと突きの肉の向こうでそれが俺の口をくすぐる。
違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。違う。
疑問が晴れぬまま、仕事が進んでいく。進んでいってしまった。
取り返しのつかない失敗の予感が俺の勘をくすぐる。
予感が膨らんでいくのが手に取るように分かった。これが弾けた時、犠牲は起こる。
俺は違和感の正体を探る。俺の腹にため込まれているこれは何だ。急げ。勘が叫び声をあげる。
そのとき、ゆっくりと、静かに、また別のものが動き出す。
ブツリ、ブツリと音を立てて不安と恐怖の種を、まさに潰していく。
腹の中を死にながら踊る汁が、あるべき姿へと塗り替えられていく。
それがひとたび始まると、全てがひっくり返った。
予感は萎み、跡形もなく消え去り、勘はそれを、危機を抜け、安堵と自信に塗り替えられたとを告げる。
激しくも淡々とした仕事の空気が戻る。いつ終わるとも知れぬ緊張が途切れ、平穏が戻る。
吸うべき汁がもうない事に気付いたのは、まさにその時だった。
俺は口を引き抜き、「社員食堂」を離れる。だが、忘れずそれを握りしめ、そこから引き抜いた。
「気づいたか?ハルタ。」
ナッキーが俺を見つけ、寄り合う。
お互い、この場にいる全ての仲間に共通しただろう空気の変化、それを確認せずにはいられなかった。
気づかないはずがない。俺たちは他の誰よりもそれを知っていて、そして忘れる事はないだろう。
記憶よりも深く自分たちに根付いたそれを、自分たちの一部となっているそれを分からないはずがないのだ。
「アイツだ。これは、俺たちを食おうとしたキノコだ。」




