報告と、連絡と、相談と
「安置所へのご案内の前に、お立ち寄り頂きたいと。」
番傘を畳み、雨水を払った所で、傍に寄ってきた役人の一人が、窄めるような声でそれを伝えてくる。私は、深いため息を吐き出し、外套を深く被り直す。
同時に、ごく自然に、番傘は取り上げられてしまって、それには声を上げる隙すらもなかった。
もう幾度も歩いてきた廊下を、木靴の中の水濡れの音を気にしながら歩く。
音という違和感は、認識阻害でも見破られやすい要素の一つではある。屋外であれば雑踏音にそれを潜ませる事ができるが、屋内の静まった空間では、音というものは一番、認識阻害を見抜かれ易い。
少しの試行錯誤の後、半ば諦めて、認識阻害を解く頃には、件の執務室の扉の前に立っていた。
周囲に役人の姿は無い。扉をノックし、僅かに間を置いてそこへ踏み入る。
「予定が入っている。急ぎの話ならば簡潔に言い給え。」
書類に向き合ったまま意識をこちらに向けないポンコツが、一人部屋の机に座っている。
「そうですか。では、仕事に行きます。」
大きくため息を吐き出した後で、そう声を上げて振り返る。
だがそこには黙したまま、苦笑いを浮かべて、両手で私の進行を押し留める役人が立っている。
「あ、いや、すまない。別の者と勘違いをしていた。入ってくれ。」
背中から、ポンコツの声が聞こえる。私はもう一度深くため息を漏らして、振り返る。
ポンコツが書類の山から顔を上げ、席を立っている。
私の姿を見て、咳払いをして、室内での着席を促す。
「こちらに立ち寄る様に言いつけたのは私の方です。ご足労いただいて申し訳ない。」
「この数日で、届く報告書が激増しましてね。幾つかご報告と共有をせねばなりません。」
椅子に腰掛けると、ポンコツは机を挟んで対座する。その手元には数枚の紙面があった。
「まず、昨日はお休みいただけたでしょうか、と、言いたい所ですが、ね。報告が上がってきています。教会の修道士らしき人物に追いかけ回された市民が、衛士に庇護を求めてきたと。」
そういって、一枚の紙面が差し出されると共に深い溜め息がポンコツから漏れる。
「一昨日の帰りにも声をかけられ、昨日も街で遭遇しました。その際に、雨の中、長い立ち話につきあわされました。どうやら、私が遺体を処理していると勘ぐっている様ですよ。」
ポンコツが目を伏せる。差し出された紙面に目を通すと、一枚の報告書に、複数人の筆跡に依る追記が折り重なっているように見える。内容は、雨中の件の追い回し事件のもののようだった。
「こちらを。」
追加で差し出された紙面には同じ様な報告様式に、複数の筆跡の追記が記されている。
上から順に目を通すと、そこには、どうやら、側仕えとして送られてきている彼女の起こした一つの騒動が記されている様だ。
災害被災者と口論になり、暴力事件が発生。被災者の家族、父親は死亡状態で庁舎へ搬送。
加害者は、導師様の縁者である。要報告。口論の内容を要調査。
口論の内容は役人、導師様に対する怨嗟が原因。短期間に度重なった事に依るものと推測される。
被害者の家族、父親は土砂に埋没状態であった模様。亡骸の搬送は、災害対応班ではなく、教会の修道士により行われている。
以上の調査は中止。判断を求める。
「こちらも。」
同じ様に何らかのメモ書きが差し出される。こちらは様式が整っておらず、折りたたまれた跡が残る走り書きのような物である。
屋台街に教会の男が長々と留まっている。誰かを探している素振りを見せる。
直前に導師様が帰られている。
簡潔に、一昨日か、昨日のそれらしき事が記されている。
「頭の痛い事です。こちらから突付いて、騒動を大きくする事も起こり得る上、対応に回せる人材がもう居ません。悪い事は重なるものですね。」
「人を巻き込んで、碌でもないことを企てた報いです。」
紙面を返して、ポンコツを睨みつける。対してポンコツは一枚の紙面を取り上げ、眺め、目を伏せる。
「こちらを、ご覧ください。」
そうして、それが私に差し出される。
発光体が街の多くの場所で発生している。夜半から発生し、範囲は街の全域に及ぶ模様。
地を這う発光体が、街中に発生している。動きが虫の様だとする声あり。
被災者の避難所周辺で発光体が確認された事により騒動が発生。
以前同様のものを観たこと有りとの聴取。人に直接の被害を与えるものではない様子。
未明、降雨を境に発光体は消えたとみられる。
一通りを黙読し、紙面を裏返し伏せる。裏返した紙面に「継続調査不要を徹底」と書かれていた。
「私がやりました。」
全て読み切って観念し、決心し絞り出した声に、ポンコツは当てつける様に、溜め息を吐き出す。
「お互い建設的に、問題の解決へ向けて話をしましょう。とはいえ、回せる人手が居ないので、という所が大きいのですがね。」
苦笑いを浮かべたポンコツが、憎たらしい上ずった声をこちらの向ける。
「私としては以前にもご提案しましたが、正式な許可をお出しし、或いは街の政策という事で発布をしてもいいのですけれども、ね。導師様にご懸念があった事、手が回らず、心苦しいばかりです。」
その言葉に深い溜め息が漏れる。このポンコツは、以前の「これ」を実際に眼の前で見ていた事を思い出す。
「あの子と話をして、耐えられなくなっただけ、ですよ。」
つい先日の事なのに、思い出しただけで、今更ながらに顔が熱くなる気がした。




