巨大資本という虚像と実体
「降り始めたか。」
その足取りを追って外に出た時、天から大粒の雨が落ちてくる。それはまだ残る水たまりに津波を作り出す。
「あまり目的を持った移動のようには思えないね。」
背に乗ったアキサダからは何が見えているのだろうか。
仲間の内でも、アキサダが思い出し得た記憶は特に色濃く鮮明だ。
それは計画の最も遅くまで残り続けた事と、自身を被験体にしていただろう事からも理解はできる。
アキサダはどの段階まで「秋定」の記憶を取り戻しているのか。
私自身の中にある「夏樹」としての記憶が、それを意識させないかと言えば、嘘になる。
直近の記憶に当たる、世界の終わりに付随したことは、まだしも色濃く残っている。
ただ、ヒトであった頃には既に忘れ去っていたであろう、遠い記憶は、その限りではない。
私の思い出せていない事、或いは思い出せない事。そういったものに不安は存在している。
「気づかれないものなのだな。我々にはアレがヒトではないと解るのに。」
小走りに駆け抜けていくヒトたちの姿に混じって、怪異はひっそりと何処かへと歩いていく。
「そもそも人はそれほど、他人に関心を示さない。そういう所は変わらない様だね。動物、或いは類人猿そのものが当たり前に持っている本能に近いものなのかも知れないね。」
繁殖に関わる行動に、生物は影響を受ける。野生動物のナワバリ衝動や、威嚇と言った行為はそこに大きく依存する。
その上で、生きるための食、眠りという安息を求めていく。
それは生物の三大欲求というものだ。
だが「人」はある程度の発展をすることで、それらの要求が減退していく傾向を持ち得ている。
明日のための食料を備蓄し、外敵に脅かされない住処を得て、繁殖のための異性を得やすい集団行動の中に所属する。
この「人」と言っても遜色ないだろうイキモノたちも、構成比率から見て、異性と頭数では対等であろう。
「生物が警戒するのは、敵意や害意といった物が、感覚として理解された時だ。そして、それらは獲物を得ようとする狩る側は、率先して隠す傾向がある。」
「そう、だね。気づかれない、気づかせない、という行為は、狩る側、狩られる側、双方に見られる、特殊な状態、だと言えるだろうね。」
前を歩く怪異を、アキサダはそう揶揄する。
「さっきの話に戻るけれど、そういう意味では、あの教会らしき建物は、異様と言える。正確には威圧に近いものなのだろうけれど。」
確かにそうだ。建築された建物の堅牢さは、ナワバリの誇示の一貫と言えるだろう。
逃げ込まれて、それを脅かす事ができないなら、狩る側は諦めるしか無い。
「しかし、怪異であれば、あの巨躯なコウモリであれば、あの教会らしき建物であれ、この街の建物であれ、大差がないのではないか。」
あの建物をナワバリにしていた巨大蜘蛛、程度が相手であれば、多少の抑止にはなるだろうが。
「一つの推論だけれど、やはり絶対数が足りないのだろうね、ああした怪異は。」
「そのための、威圧か。」
「同様の、ヒトの一種なんだと思う。ただし数が限られる。だから守るに硬い場所を好んで、攻めるに潜む。繁殖で数が増やしにくい、のか、或いは意図的に、数を増やさないのか。」
「成る程、それで選民的、という部分にも繋がってくると。」
先程アキサダが言ったフレーズが脳裏に蘇る。
「そう考えれば、説明が付きやすい面は確かにある。警戒される程度には高圧的では有るが、瞬時に脅威と見られる程には至らない。数という欠点を隠す行為の一貫として、あの教会らしきもの、か。」
「それが意図をしての事なのか、性質的なものなのかはわからないよ。ただ、解っている事はある。」
アキサダの言葉に耳を傾けているうちに、いつしか追った背と共に街を抜け出していた。どうやら山の中へと潜っていく様であった。
「キノコを用いている点。アレは特別なものだけれど、宿主を殺す毒を乗り越えた先に、余りある利点が見えてくる。キノコの糧にされる前に、キノコを従えなければならない。」
「私達にとっての、社長の恩恵か。」
この奇妙な第二の生を勝ち得たのは、社長の存在が大きい。或いは、社長の存在があった先に、この第二の生が与えられたという見方もできる。
しかしそのどちらであっても、そう起こり得る事ではないだろう。
事実、キノコの酒精毒で、ヒトは死に至っている。
私達とて、キノコが宿って尚、この小さい体では、単独だったのでは巨躯に対して太刀打ちはできない。
「ナッキー、見て。何やら様子がおかしい。」
アキサダの声を得て、意識を前に向ける。周囲はいつしか、すっかりと暗くなっていた。
腹の奥のキノコを通して感じられる気配察知に切り替える。
木々を掻き分けるように山に潜った、怪異のソレは、しばしば立ち止まり、周囲を見渡す様な動作を繰り返している様であった。
「こんな場所で、一体何を。」
周囲の雰囲気が変わる。その気配が体全体にピリピリと伝わり、腹の奥をも刺激する。
怪異がその姿を変えていく。ヒトの中に紛れる姿ではなく、本来の姿だろうモノへと。
かつての事件で見たような、化け物としての巨躯のコウモリ、かのようなそういった姿。
「悍ましい事だ。距離を取るぞアキサダ。」
アキサダの足が私の身体をしっかりと抱え込む。
一足に跳び、足の周りに水を纏わせる。傾斜の有る地面を滑って駆け抜ける。
その間も、無指向とも思える力の影響が、怪異の吐き出す奔流が押し寄せる。
けたたましい音とも言える波動が、周囲を揺るがす。
「奴め、一体何を。」
背を振り返り体を向ける。その時、怪異が空高く飛び上がるのがキノコを通して感じられた。




