社員食堂制度のご案内
重い雨の日に轟く落雷の様に、雄たけびを上げる狼の遠吠えを間近で聞くように
凄まじい衝撃が、体を突き抜ける。
「社長!」
俺は足に力を籠め、駆けだした。
号令だ。これが仕事の合図だというのは考えるまでもなかった。
青空を抜け、草の影を駆け抜け、疲れを知らない足が俺を空高く打ち上げる。
そうこうしているうちに、同族の影が増え始める。俺たちだけじゃない。社員集合の大号令だ。あの時あの場で、社長に命を救われた誰もが、全てを投げ打って一身に駆けだしたのだ。
「どうやらお呼びのようだ。何が待っているのか。」
ナッキーが近くに駆け寄ってくる。その四本の足を器用に操り、俺の速度に食らいついてくる。
見なくてもわかる。俺たちの後ろには、あの時あの場にいた面々が揃いつつあった。自然ではありえない数が、一つの場所へ向かっている。社長だ。社長の元へと駆け付けるのだ。
「遅かったじゃないか、ハルタ。ナッキー。それともアタシが速すぎちまったかねぇ。」
虫玉が視界に飛び込んでくる。気づけばそこは「人」の生活圏だった。一体どれだけの距離を駆け抜けてきたというのか。
そして俺たちは感じた。この先に社長が待っているのだと、言われるまでもなく理解していた。
「いくよ、付いてきな!」
アキサダを待つことなく、フユミが駆け込む。
「な、なんなんだいこれは!」
そこには社長がいた。それだけじゃない、「人」だ。俺たちを引き付けてやまない匂いを放つ、「ソレ」が横たわっていた。
「どうやら、これが仕事だな。」
気が付くとアキサダやその同族も、その場に駆け込んできた。
「社長!一体どういうことです、社長!」
俺は叫ぶ。やがて、どこからともなく「社長」を呼ぶ声が上がりだす。
「社長!」「社長」「社長」「社長!」「社長」「社長!」「社長!!」「社長!!」
地を鳴らす声がその場を埋め尽くす。恐らく、このままでは目の前にぶら下げられた餌に、我慢できずに飛び込んでいく連中が出るだろう。
「さえずるんじゃないよ!社長の言葉を待てないのかい!」
フユミの怒号が飛ぶ。羽虫共も羽を打ち鳴らすのを止め、地に足を付ける。
『社員食堂開店 ご自由にお食べください。お残し厳禁。』
その時だった。凄まじき轟音の如き天の啓示が、俺の頭を突き抜けた。
「おいおいおいおい!まさか!本当にか!」
意味は解らなかったが、それが「号令」だったことだけはすぐに分かった。その瞬間に、フユミは一目散に「ソレ」に向かった。
「最高じゃないか!一番乗りはもらったよ!」
俺たちが駆け出し始めたころにはフユミはそれに噛り付いていた。羽虫共もだ。これは誰にも想像できなかった。
来る日も来る日も、生きるために俺たちは、獲物を探し走り回っていた。
弱った生き物を探し出し、罠にかけ、仲間の犠牲とともにそれを食ってきた。運よく、食われるだけとなった亡骸を見つけたときには、同族をあげての一大行事だった。
それがどうした。
そんなものは嬉しい事でも、幸せでもなんでもなかったのだ。目の前を見ろ。ここにいる全員が誰も欠ける事無く腹を満たせるに十分なだけの食事が、社長によって用意されていたのだ。
悲鳴を上げる足を振るいあげるでもなく、生きた動物に身の危険を感じることもなく、俺たちは社長の、弊社の、職員というだけで、未曽有のご馳走を得られるのだ。
俺は目の前の山とも思えるご馳走に口を打ち付ける。染み出る汁を貪る。飢えという言葉が悲鳴を上げて消え去っていく。あちこちで同族が雄たけびを上げ、溢れる食事を楽しんでいる。
同族だけではない、羽虫共も、ナッキー達、アキサダ達も、競い合うようにご馳走に飛びついていた。
ドクッ!ドクッ!ドクッドクッ!
腹に汁を溜め込むたび、体のどこかにある何かとてつもないものが雄たけびをあげた気がした。
狼の遠吠えにも似たそれは、俺の頭を打ち震わせる。体の隅々に根を張る命が、鼓動し、力をみなぎらせる。自分にも抑えられないそれが、喜びを超えた何かなのだと、俺は感じた。
だがそれもひと時の事だ。長い時間でこそあったが、やがて終わりは来る。
突き立てた口が染み出す汁を捕らえられなくなった頃、限界以上に腹を満たした俺は、枯れた獲物から飛び降りた。
「あれだけの山も、この仲間の数ではな。」
ナッキーが腹を抱え口元を拭いながら寄ってくる。
「後はアキサダの奴の仕事だろう。いつもの事じゃないか。」
縮んだ体を伸ばすように、甲羅を広げ、羽を打ち鳴らし、体を振るうフユミが余韻に浸っていた。
アキサダの姿が見える。山とあったそれを俺たちは平らげていた。
俺たちの食い残し、俺たちの食えない骨を、あいつらは綺麗に腹に収める。仕事の大きさは違えど、いつもの光景と言えない事もなかった。
「社長」「社長」「社長!」「社長」「社長!」「社長!!」
これだけの食事にありついたことがない仲間も少なくはない。まして人の死体を食うなんて大仕事は俺も初めてだ。社長の下にそろって初めての仕事がこれだったのだ。
叫んでいる連中は皆、感極まっていた。俺は頭こそ冴えていたが、社長への感謝が留まる事を知らず体を駆け巡っていた。
『速やかに現地解散』
感動の余韻に声が届く。満腹もあって、気の抜けた心地よい声が、俺の頭に響く。
「いくよ。」
フユミが空へ駆け抜けていく。
俺たちはアキサダをその場に残し、腹をさすりながら、その場を後にした。




