下
―― 店を出て数分で、私はヨロヨロとしゃがみこんだ。
「うう……もう、ダメだ……」
日はまだ高いのに、ずいぶんと飲み過ぎてしまったようだ。
頭がクラクラして視界もくらく、周りの景色がぐわんぐわんと大きく回転して…… つまりは、一歩も先に進めない。
「おい、大丈夫か」
近づいてくるヤツの顔も、歪んだり縮んだりして定まらない。……今、隙ありチューしたらどんな風になるかな、と一瞬考えてしまったのは、酔っているせいだ。たぶん。
「ああ」
うっかりチューなどしないよう、顔を背け気味に応じる。
「飲み過ぎた……しばらくここで酔いを醒ますことにするから、放っておいてくれ」
そのまま、ゴロリと道の上に横になった。
「バカだな」 呆れたような声と同時に、背中が向けられた。
「ほれ、おぶってやるよ」
「…………」 飛びそうになる理性を必死に押さえて、目をそらす。
「かまうな…… 俺の屍を越えてゆけ」
「いや、俺だってな、できればそうしたいんだが」 今度は、イライラとした声だ。
「こんな迷惑物を路上放置するわけにいかんだろ。ほれ、さっさと乗れ。交番まで運んでやる」
「……できれば、駅にしてくれ。それか特殊風呂」
「アホか」
無上の喜びを、遠慮と酔いで隠して、私はヤツの背におぶさった。
ヤツはデカい方ではあるが、こうしておぶわれてみると、その背は思った以上に広い。
酔った勢いを利用して、尋ねる。
「なぁ……なんで、私みたいなのと友達なんだ?」
――― この時の私には、奇跡を期待する気持ちが少しだけ、あったのだろうと思う。
――― お前が特別だから、とか、好きだから、とか。そういう風に、言われたかったのだと、思う。……100%、あり得ないのに。
そして当然ながら、ヤツはそんなことは、言わなかった。
「……昔さ、俺、なんでわざわざ、こんな田舎の鉄道にきたのか、って聞いたことがあったろ」
「そうだったかな」 もちろん、覚えている。
「お前、亡くなった親父さんと約束したから、って言っただろ」
「ああ……」
確かに、そう言った。
――― 『父との約束』 その答えは、本当であり、嘘でもあった。
ただ私はその頃、それ以外には何も未来へ続く展望を持っておらず、その僅かに残った記憶だけに縋りつくようにして、仕事を決めたのだ。
「そんなことも、あったかな……」
「あったよ。その時のお前の答えでな、『こんな生き方もあったのか』 と思った…… のが、理由といえば一番の理由、かな」
俺は縁故で入れるところに適当に入った感じだから、と苦笑混じりにヤツが言う。
「正直、カッコいいな、と思ったよ」
「……そうか……」
望んだ答えではないけれど、ずっと、一生覚えていよう、と、そう思った。……誉めてもらったことも、ヤツの背中の温かさも。
私を交番に届けて、ヤツは帰っていった。
「なぁ、迷うなや」 という言葉を残して。
「俺の結婚式なんか、参加しなくても良いんだよ。親父さんとの約束、大事なんだろ?
せっかく自分の道があるんだ。俺のために、曲げなくていい」
――― ヤツはきっと、めちゃくちゃ良いことを言った気でいるんだろう。
その言葉で、私に、希望を持つことの無駄さを改めて思い知らせた、とは欠片も考えないのだろう。
(君のために、曲げたかった。黙ったまま、君のバカな友人でいられれば、それで良かったのに)
交番の硬くて狭いベンチに残され、その冷たさを頬で感じながら、私はさめざめと涙を流した。
■◇□◇□◇□≡≡≡⊃
『一昨日、赤ちゃんが生まれたよ。娘だ』
受話器から聞こえる途切れ途切れのヤツの声は、幸せそうだ。
「おー! おめでとう!」
かすかな胸の痛みを感じはしても、今の私はそれ以上に、ヤツの幸せを心から祝福できる。
時は全てを解決はしないが、和らげることはできるのだ。
『記念に、ユニセフのアフリカ基金に寄付した。張り込んで、5万円』
「奥さんに怒られないか?」
『賛成してくれた』
「……いい奥さんだな」
『ああ、本当に』
ヤツの声を聞き、遠い日本にあるヤツの家庭を思って、しみじみとする。
……あれから、3年。
私は勤務先の鉄道会社に希望を出し、運転技術の指導員として、相棒と共にアフリカのとある国にやってきた。
――― 新しくできたばかりのこの国は、豊かな自然に囲まれており、……常に、貧困と暴力、紛争とテロと、隣合わせだった。
私の暮らす都市は比較的インフラが整っているが、下町には親のいない子供たちがたむろしている。
幼い子供が誘拐され、性暴力の対象になり、あるいは自ら身体を売って生活していたりもする。
隣の地区では20年以上も前から紛争が続いていて、住む場所を亡くした人が何万人といる。
この国だけではない。周辺にも、似たような国があるらしい。―――
この国にきて、私はブログを始めた。仕事、毎日の生活、そして下町で出会う子供たちのこと、武装勢力どうしの衝突の噂…… 書くことは、たくさんあった。
日本にいた時と同じように、ここでも私は大きな流れの中の小さな魚に過ぎない。
けれども、何かせずには、何か言わずにはいられなく、なっていた。
――― ヤツもきっと、政治や経済の話をするときは、こんな気分だったのだろう、と、今さらながらに思う。
「悪い、今から仕事だわ」
『お、まだ虎狸G51なのか』
「もちろん」
赤ちゃんおめでとう、と再度伝えて受話器を置いた。
防弾チョッキを着け、ヘルメットをかぶって相棒に乗り込む。
――― 今日も、何事も起こりませんように。降りていくお客様が、またいつか、元気で帰ってきてくれますように。
「Le train à partir」
カタコトの公用語で発車を告げ、そっと古ぼけた計器盤を撫でる。
「今日もよろしく頼むよ、相棒」
呟いて、ブレーキを解除し、運転ハンドルを倒す。
大きな音を立ててモーターが回転しはじめ、2連結の車両全体が震える。
ガタン、と車体が進み出す。あまり加速はしない。
線路の状態が良くない上に、物売りが逃げ損ねたり、犬が立ち入っていたりするのをハネないようにしようとすると、スピードは基本、ゆっくりになってしまうのだ。
――― 今日も私は相棒と、ゆっくり、ゆっくり走る。
昔懐かしいメロディを口ずさむ私の目の前には、どこまでも、まっすぐな線路が伸びていく。
読んで下さり、どうもありがとうございます!
この作品は、黒鯛の刺身♪さまとのベースコラボによるものです。
ベースコラボ…… すなわち、共通の叩き台を作り、それをもとに、それぞれに作品を書いて発表する、というもの。
ざっくり経緯を説明するのならば。(以下敬称略)
黒鯛:なんにします?
砂礫:なんでも書きまっせ!
黒鯛:じゃあ、下町鉄道でグルメでコメディー、みたいな……♪
砂礫:……@§¥∀¿;¨©º*&……!?
---翌日---
砂礫:書きました、大将!
黒鯛:……んー これは長すぎるから、こーしてあーしてこーして……こんな要素もいれて。 こんな感じでどうですか?
砂礫:……@§¥∀¿;¨©º*&……!?
こうして、叩き台ができあがりました。
---数週間後---
砂礫:調子はどうっすか?大将!
黒鯛:いつでもupできまっせー♪ 時間言うてくださいな。
砂礫:……@§¥∀¿;¨©º*&……!?
発想といいまとめ力といい対応力といい。
黒鯛の刺身♪さまには驚かされっぱなしでした♡
……で、ですね。予約投稿して、時間を申し上げるつもりが!
砂礫:……@§¥∀¿;¨©º*&……!?
子供寝かすついでに一緒に寝てもーた、砂礫でした。
黒鯛の刺身♪さま、御連絡遅れて誠にすみません!(土下座)
というわけで、黒鯛の刺身♪さまの作品も、まだの方はぜひ!
テイストの違いを楽しめますよー♡ でーはー!
◆黒鯛の刺身♪さまの作品はこちらです
https://ncode.syosetu.com/n9013gf/
※5/17誤字訂正しました。報告くださった方、ありがとうございます!