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8 フィリッツ、いつの間にかしかれた包囲網に、思わずぼやく。

 



 チチ、チチと小鳥がさえずっている。

 その鳴き声に反応して薄く目を開けると、柔らかな朝の光が窓から差していて、一瞬にして、ここはどこだ? とフィリッツは目を見開いた。

 見知った薄暗闇ではない事に身構えるが、脳が覚醒すると同時にまたか、と息を吐いて目を瞑った。


 エルムグリン王国の穏やかな朝は、たまにフィリッツを別の国に連れていかれたかのような錯覚に陥らせる。

 フィリッツがこちらに来る直前まで住んでいたローツェン王国バロック領は山岳地帯に位置しており、眠る時には窓を雨戸まで閉めて外気の寒さを遮断していた。そのため朝目覚めても戸の隙間からは薄光が溢れてくるしかなく、暗がり中で起床するのが常であったからだ。


 もう一度目を開ければ、変わらないエルムグリンの乳白色と緑と深い茶色を基調とした落ち着いた室内の風景。

 フィリッツはローツェンの残像を頭を振って散らし、身体を起こすと窓を開けた。

 王の起きた気配に侍従が声をかけてくる。窓に手をかけ返事をしながらエルムグリンの清涼な空気を、肺の奥まで染み込ませるように、深く吸い込んだ。



 ****



「視察、ですか」

「ああ、出来れば忍んでいくぐらい、軽く行きたい。地図で見たが馬で走らせれば今から出たら夜には戻ってこれるだろう? リーヌ川に橋を渡す位置は確定したのだが、地形を確認してから印を押したいんだ」

「かしこまりました」


 ルイスは短く応えると足早に執務室を出ていく。執務机の脇に置いてある朝食を食べながら書類を見ていると、ノックなくぱたんとドアが閉まった音がした。

 それだけで誰が入ってきたか最近は分かるようになってきた。しかもすぐ顔を上げてはいけないのだ。そろそろ何故上げてはいけないのか聞きたいと思いつつも、日々政務に忙殺されて忘れてしまう。

 しかし今日は珍しく向こうから声をかけてきた。


「陛下、おはようございます。お願いがあるのじゃが」

「おはよう、何かな?」

「今、ルイスから聞いたのじゃが視察に出ると」

「ああ、リーヌ川に行ってくる。今日中には戻るから心配しなくても」

(わらわ)も行きたいのじゃが」

「はい?」

「ああ、すまぬ、距離が遠くて聞こえづらかったか。妾も一緒に行かせてくれぬか」

「いや、無理だろう?」

「可能ですよ?」

「いいですねぇ、夫婦揃って視察。国民に仲の良さをアピールするのにもってこいじゃないですか」


 ルイスと共に執務室に入ってきたジョセフもうんうんと頷きながら今日の分の書類をどささっと新たに執務机に置く。


「いや、急ぎで見るだけだし、早馬で駆けるからそんな時間はないし、大げさには出来ない」

「妾も馬は乗れる」

「王宮を(から)には出来ないんじゃないのか?」

「いえ、先王はお一人の視察が多かったのは確かですが、先々王はよくご夫婦でを視察されていたと聞いておりますので問題はないですよ」


 ルイスが微笑みながら頷くと、では妃殿下の馬とソフィア殿の馬も用意するように手配します、と踵を返す。


 あ、まて、という間もなくルイスは消え、普段なら警護の観点から容認しなさそうなジョセフも、持っていく為のアーセナル領地の地図と関係書類を手早くまとめている。


「ジョセも一枚噛んでいるのか?」

「噛んでるなどと人聞きの悪い。大々的に視察しなくても、エルムグリン、ローツェン両国の架け橋たるお二人が揃っていらっしゃれば関係者の士気はあがりますし、対外的にも得策ですしねぇ」

「警備は」

「念のため妃殿下にも側近の一人という形に見えるように偽装させて頂こうかなと。あとは影も含めて我らでお二人をお守りしますよ。仰々しい形よりもかえって守りやすい」


 さらりさらりと出てくるジョセフの言葉にフィリッツはため息をついてリルリアンナを見た。


「貴女も噛んでいるんだな?」

「うっ」


 先ほどから執務室のドア付近にいてこちらに近づいてこないあたり、何か思う所があるとは思ったが。


 相変わらず忙しい日々に、一日一回は顔を合わすというのも守れない時もあり、そんな日の次の日は王妃が執務室に訪ねてくるのが常であった。

 その際にフィリッツによく分からない指南書に書いてある事を仕掛けてくるのも常で、大体においてリルリアンナの挙動は不審になる。


「あのな、以前な、デートとはなんぞや、とルイスとジョセフに聞いた事があってな。そうしたら、詳しく教えてくれて、機会があればご連絡します、と二人が言ってくれて、な」


 今も両手の指先をとんとんと合わせながらしどろもどろと言うのだが、その素直な様子にフィリッツはくらっときて目に毒だった。

 あまり表舞台に出てこず、深窓の美しき令嬢として伝え聞いていたリルリアンナの本来の姿は、驚くほどの自由に動く行動力と素直過ぎて困る性格をしていた。


 誰に対しても、という訳ではないと思うが、身近な人々には出会った期間が短くとも心を開き自分の気持ちを言葉にする。

 フィリッツに関しては夫だという事も相まって遠慮なく言葉にするので、その率直な物言いに、結構な頻度でくらくらくるのだ。


「わざわざ視察に絡めなくてもいいんじゃないか? 落ち着いてからゆっくりどこかに行けばいいと思うのだが」

「陛下が落ち着くのは少なくとも三月(みつき)はかかると踏んでおる。そこまで待つより少ない機を逃したくない」

「ごもっともですねぇ」

「ジョセ、お前余計な事を言ってないだろうな」


 非常に具体的な王妃の読みにジョセフを睨むと、白金髪の細身の男は灰色の目を細めてにやりと笑った。


「私は何も言ってませんよ。陛下の今までの仕事っぷりから正確に執務能力を把握している妃殿下に頭が下がります。まさに良妻の鏡ですねぇ」

「王妃たるもの、王の動向は逐一把握するようにとババさまからも言われておる」

「素晴らしい」

「わーかった、分かった。 委細了承した」


 王妃を称える自分の側近をみて、フィリッツはこの件に関してはリルリアンナの同行は避けられないだろうと判断する。


「行程を二日に分ける。今日はアーセナル領に行く。橋を待っている領民を待たせなくない。地形を見て良しとしたらその場で印を押して領主にも指示書を渡す。そのつもりで用意しろ。翌日は街中の視察だ、貴女もそのつもりで」


 あくまで政務の一環としてという態度で告げているフィリッツ。それでもリルリアンナはぱぁっと花でも咲いたかの様な笑顔を見せて、では準備してくるなっ、後ほどなっ、と嬉しそうに執務室を出て行った。


 その軽やかな後ろ姿にフィリッツの心はくすぐられるが、それより王妃もその周辺も含めて余りの自由な風潮に違和感をぬぐい切れない。

 王は思わず、ぼそっとぼやく。


「視察に嫁同伴なんてローツェンでは聞いたこともねぇのに」

「これもエルムグリン流という事でしょうねぇ」

「ジョセ、お前馴染むの早くねぇか?」


 フィリッツの詰るような言葉に、おやっ、とジョセフは笑う。


「その国に行けばその国の常識がある。エルムグリンの人間になろうと思えば、自ずと行動は変わるものですよ?」

「俺はまだローツェンの人間って事か」

「少なくともエルムグリン側はフィリッツ様を受け入れています。つい数ヶ月前までローツェンから出たことの無い人間が直ぐに変われる訳はないと思いますが、まずはエルムグリンを知る事が先決かと」


 言葉にする時もしない時も、事あるごとにローツェンと比べている王に王妃がやんわりと気を使って言葉を発しているのをジョセフは何度か聞いている。頭ごなしに言わず、こちらを常にたてているのは何か思う所があるのか、とうがって見てもいたが、少なくとも王妃の周辺はそうではないと判断した。

 ならば早急に馴染んで関係を作るに限る。


「妃殿下は先程の可愛らしい相談をルイス殿にではなく、私も居る所で二人に相談したい、と言って来られました。麗しき妃殿下にそんな風に聞かれたら、私とて一も二もなく鞍替えですよ」

「堕ちるのが早すぎだ」

「フィリッツ様程ではありませんねぇ」

「それは、お前……いや、何でもない」


 黒目がちな大きな瞳はくるくるとよく表情が変わり、また小さくも柔らかな唇から発する独特の語りは、真っ直ぐにこちらへ向かって響いてくる。


 あんな誰にも真似できない、素直な恋慕を向けられて落ちない奴なんかいないだろ、と内心思うが、それはここで言うべき事じゃない。

 ジョセフなぞに知られたら有る事無い事吹聴して、リルリアンナからのへんちくりんな指南書攻撃が増えるに決まっている。


「とにかく、アーセナルに向かう。着替える」

「御意、お部屋の方に用意してあります」


 さまざまな想いがよぎっているだろうが、切り変えて先へ進む主人を見て側近もすっと改まる。

 連れ立って執務室を出る時にはエルムグリンの王と側近として、足早に王の私室へと歩いていった。




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