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7 リルー、陛下はずるじゃ、と呟く。

 



 ぶつぶつ言いながらもついてきてくれるフィリッツにほっとしながら、リルリアンナは階段を降り、回廊から広い中庭へ出た。

 歩道の両側にある中門に見立てた自然の広葉樹のアーチの下を通れば、ふっと森を彷彿とさせる空間に入り込む。


 リルリアンナはアニタが言っていたアザレアの花木を目指しながら、少しだけ思案する。


 てっきり二人きりで朝食が食べられると思っていたのに、側近四人に囲まれての食事。しかもなんだか叱責とまではいかないが注意を受けて、とても〝ホニャ=ラーラの指南書〟を試す雰囲気ではなかった。


 今度こそと意気込んで、葉の重なりの影と零れ落ちた日の光が美しい中庭を歩きながら、陛下、こっちじゃ、と奥の色鮮やかな花壇へと誘った。


「アニタが言っておったアザレアはこれぞ。ローツェンには咲いているのだろうか?」

「いや、見かけた事はないな」


 自然を模しながらも綺麗に手入れがされたアザレアは、腰丈の高さで数えきれない程の数を一斉に上を向かせて咲いている。

 八重(やえ)の花は中央へ色濃く、開かれた花弁の先に向かって柔らかく色が薄くなっていて、薄い紫ともピンクとも言えない移り変わりの色合いが美しい。リルリアンナも大好きな花だ。


 じっと花に見入っているフィリッツを眺めながら、リルリアンナは緊張を逃す為に後ろに組んだ手を開いたり握ったりしていた。

 指南書の最初の方にあった文言を心の中で復唱する。



 恋人になるためのレッスン その十


 二人きりになったとき、そっと手を握ってみよう! 握り返してくれれば、告白のチャンス!



(告白はもうしたが、とにかくやってみるのじゃ。ババさまも片っ端からやってみろと言うておった)



 〝ホニャ=ラーラの指南書〟は本来、項目別に別れており、


 恋人になるためのレッスン

 恋人になったらやってみよう

 恋人の気をひくためのレッスン


 とそれぞれの段階に合わせてやるべき事が書かれている。

 しかしリルリアンナは指南書の内容を丸暗記し、その時々の状況に合わせて試していた。


 当初は順番にやろうとしたのだが、フィリッツ自体が執務室にこもっていて指南書に書いてある状況にならず、リルリアンナ自身も一般的な恋を経験していないので、どうゆう経緯をへて恋人になっていくのかが皆目見当もつかなかった。


 アニタとソフィアに聞いてみても、アニタは、わ、私も恋をした事がなく、申し訳ありませんっと涙目で言われ、先日恋人とは、と教えてくれた頼みの綱のソフィアは、告白をされ、又はして、デートに行き、食事をするのが一般的と言われております、という、模範回答。

 なんとなく冷や汗を流している様にも見えて、リルリアンナもそれ以上聞くことは控えた。


 散々悩んだ挙句に出した答えが、その時々、その状況が来たらやってみよう、だった。


 そしていま正に、本の中のある一つを試す絶好の機会に巡り会えたのである。


 フィリッツはまだ花を見ている。

 無防備に降ろされた左手を、リルリアンナはこくりと喉を鳴らして凝視する。



 そっと、ってどうやってやるのじゃ?

 どうしよう、どうやって握ればいいのかわからぬ。



 握手のように握るのではないのはなんとなく分かる。でもお互い横に並んでいて、どうやって握ったらいいのかリルリアンナには分からなかった。


(と、とりあえず触れるだけで許してもらおうっ)


 誰に許してもらう訳でもないのにそんな事を思いながら、ゆっくりと、手を近づけていく。



 あと、少し、……いまっ!



「この花、少し摘んでもいいか?」

「あ?! あ、ああ、かまわぬ」



 突然頭上から降ってきた言葉にリルリアンナは慌てて手を引っ込めた。

 いつの間にか息を止めていたらしく、ドッドッと心臓の音が鳴り、息苦しくて浅く何度も息を吐く。


「あれ、結構強い枝だな。なかなか折れない」

「あ、ああ、細いわりにな」

「ふっ、ますます似てそうだ」

「なんじゃ?」

「いや、なんでもない」


 フィリッツはそう言うと、枝から折るのはやめて花弁だけを一つ摘んだ。

 その花をちょっと失礼、と言って、リルリアンナの耳の上に器用にさす。


「似合うな、やっぱり」


 思った通りだ、とフィリッツが頷くのを見て、リルリアンナは呆然と佇んでしまった。


(え? 花飾り? 妾に?)


 思わず触って確かめようとした時、ああ、触ると落ちるからやめた方がいい、とフィリッツがリルリアンナの手を握って止めた。


「鏡、は持って無いな。ああ、あそこに池があるか。見てみるか?」


 無言で頷くリルリアンナの手を握ったまま、今度はフィリッツが先を歩きながら中庭に作られた小さな池の方まで歩く。


(て、て、手を握っておる! いや、握られておる?! あちらから握られるのでもいいのか? わ、妾も、に、握ればいい、のか? ……なんだか……顔が熱い……)


 ごつごつとした大きな手が自分の手を柔らかく握ってくれる。すっぽりと隠れてしまった手をおずおずと握り返すと、フィリッツの親指が優しくリルリアンナの手の甲をなぞった。


 そのさりげない仕草に、リルリアンナはぶわわっとさらに顔が赤くなる。


(どうして、どうしてこんな風になってしまうのじゃ、これが恋人になるという事か?

 恋人になると、手を繋ぐだけでもこんなになるのか?)


 止まらない動悸に胸をおさえながら少し歩くと、森の中の湖畔をイメージした小さな池のほとりに付いた。


 透き通った水の中で、二匹の淡水魚がすいっと奥の水草へと泳いでいく。

 立ったままだと水面から離れていて良く見えず、リルリアンナは座って良いか? とフィリッツに小さく尋ねる。


 フィリッツはああ、と一緒にしゃがんでくれた。

 空色のドレスが広がらないように気をつけながら膝を折り、そっと池の水を覗いてみると、黒髪の耳元に、一輪の小さな薄紫の花が咲いていて、それを見ている自分は見た事もない頬を染めた顔をしていた。


「顔が真っ赤だな」


 嬉しそうな、からかうような口調に、リルリアンナは動揺がかくせない。


「あ、う、すまぬ」

「謝ることはないんじゃないか?」

「そ、そうなのか、よく、わからなくて」

「うん、俺は貴女がいろんな事が初めてなのだろうと改めて思ったよ、うん」


 フィリッツが若干遠い目をしたのに、リルリアンナは気づかない。

 赤らめた顔のまま、リルリアンナはフィリッツの柔らかな灰緑色の目を見てたどたどしく言葉をつむぐ。


「花を、ありがとう。嬉しい」

「ああ」

「こんな風に髪にかけてくれたのは初めてで、手も……こんなに嬉しいものなんじゃな、初めて知った」

「……ああ」

「ほんとはな、妾から繋ごうとしたのじゃが、なんだか胸がトキトキして繋げられなくてな、それで」

「知ってたよ」

「知っていたのかっ」

「本当に、可愛らしすぎて困る」

「か、かわっ」


 美しいだの、綺麗だのと社交辞令な美辞麗句は聞き慣れていたが、いまだかつて可愛らしいと言われた事はなく、リルリアンナはぼぼんっと音が出そうなくらいさらに赤面してしまった。


「あー、うん。ゆっくり慣れていこうな」

「へ、陛下は平気なのか? 妾は、もう、胸がいっぱいいっぱいなのじゃが」

「いや、平気じゃない。わりと限界が近い」

「限界?」

「これでも貴女を怖がらせないように我慢しているんだよ。そろそろ行こうか」


 フィリッツが立ち上がろうとしたのを、リルリアンナはまった、と手を引いて止めた。


「何を我慢? 妾は陛下と居ると嬉しい。トキトキはするが、怖いとは思わぬ」

「いや、何て言ったらいいか……参ったな」


 フィリッツは癖のある前髪をくしゃりと空いた手で搔き上げると、その手でリルリアンナの頬を包んだ。


「執務室でキスしたのは覚えているか?」

「あ、ああ」

「キスにはいろんな種類があるって知っているか?」

「し、知らない」

「だよなぁ」


 フィリッツは小さくため息をついて包んだ頬をむにっと摘んでから、柔らかく笑って少しだけ頭を寄せると、リルリアンナの艶やかな黒髪に音を立ててキスをした。


「ま、今日はここまでだ。そろそろそわそわしている輩がいるし、侍女たちも心配しているだろうし。束の書類は片付いていないし」


 フィリッツはそうぼやいて今度こそリルリアンナを立たせると、手は繋いだまま回廊の方へ戻っていった。


 リルリアンナはキスされた頭に手をやりながら、陛下はいろいろ知っていて、ずるじゃ、と呟くと、前を行くフィリッツは喉で笑いながらまた手の甲を優しく撫で、何も知らない初心(うぶ)な新妻の頬をさらに染めさせるのであった。



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