38 最終話
二度目の目覚めの時にはフィリッツは側には居なく、リルリアンナの為に馬車を用意してルイスやジョセフと共に先に王宮へ帰る旨の走り書きが枕元に置いてあった。
リルリアンナは行儀が悪いとは思いながらも寝ながらそのメモを読み、少しだけほっとする。
自分で懇願しておきながら、びっくりするぐらいいろんな事が起きて、フィリッツを通して変わっていく自分の変化に何度も叫びそうになった。
今思い出すだけでも赤面が止まらない。
結ばれた嬉しさよりも恥ずかしさの方が優って、正直フィリッツの顔をまともに見られない所だった。
それでいて、あの暖かい腕が側に居ないのが寂しい。
「なんとも複雑じゃ。恋人とはなんぞや、と思っていたが一口に言えぬものなのじゃな」
ただ、リルリアンナでも分かった事もある。
側にいれば嬉しい。
会えないと寂しい。
喧嘩をすると譲れなくて、それでいて嫌われたかと思うと心がぎゅっとなる程苦しい。
そんな風に心が揺れるのは、フィリッツだけ。
隣のくぼんだ枕にそっと顔を埋めた。
これからも多忙を極めるフィリッツと一緒に居られる時間は少ないのだろう。
それでも、と思う。
「寂しい時は、会いにいこう。せめて一目だけでも」
フィリッツが残してくれた紙を大事に胸に抱き、リルリアンナは微笑みながら、そう呟いた。
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王宮に戻って数日後、エルムグリンの港に停泊していた漁船の中から十二、三歳の子供が数人発見され船長を始め船乗り全員を捕縛した、とソフィアから報告があった。
捕らえられていた子供が軍部から連絡のあった行方不明者と合致した為、さらに拠点がないか取り調べを行なっている最中です、との事でリルリアンナは胸を撫で下ろした。
「ボルカベアとの関係性は?」
「そちらも視野に入れて動かれていますが、船舶始め乗組員もエルムグリンの人間であるので、なかなか難しいかもしれない、とルイスさまより伺っております」
「そうか」
ソフィアの言葉に頷くと、リルリアンナはテーブルにある分厚いピンクの本をぽん、と撫でてさっと立ち上がる。
「姫さま、今日のお菓子はいかがなさいましょう」
アニタがにこにこしながら聞いてくるのに、リルリアンナは美しい黒髪をなびかせ歩き出しながらにっこりと笑う。
「先日アニタに教えてもらったベリーの木に陛下を連れ出そうと思っている。摘んでから三人で一緒に作ろう。料理長にその旨、伝えてくれるか?」
「はいっ、かしこまりました」
アニタはリルリアンナの私室から一緒に廊下に出ると、行ってまいります、と足取りも軽く厨房の方へと下がっていった。
リルリアンナとソフィアはそのまままっすぐに執務室へと向かう。
「昨晩も戻られなかったのですか?」
「妾の寝ている間に戻って、起きる前に出ていかれたのじゃ。昼も夜も一緒に、と言ったのに、約束を違えて悪い陛下じゃ」
頰をふくらますリルリアンナの斜め後ろで、そうですか、それならば時間を作って頂かないといけませんね、とソフィアが笑っている。
仕事虫の夫をどうやって執務室の外に連れ出そうかと思った途端、パラパラとリルリアンナの脳裏に〝ホニャ=ラーラの指南書〟の文言が巡った。
恋人の気を引くためのレッスン その五
お膝に乗って、思いっきり拗ねてみよう!
なんで? と口を尖らすのがポイント!
リルリアンナは突然ぴたりと止まり、廊下の壁に肩だけ寄りかかって顔を両手で覆う。
「姫さま?」
「ほんと、慣れぬ。口とがらすなんて、そんな恥ずかしい事……世の恋人達はやっておるのか?」
リルリアンナはそう小さく言うと、心配そうに背後から声をかけてきたソフィアを振り返って、ぱたぱたと上がってしまった顔の熱に手で風を送りながら、ソフィア、頼んでいいか、と真剣な眼差しで女騎士を見た。
「なんなりと」
「うむ、ではお願いじゃ。ソフィアも恋人を作ってくれぬか、妾のやっている事が本当に世の恋人もやるものか知りたい。相談に乗って欲しい」
「は……う……」
絶句した女騎士に、頼むな、この通りじゃ、と顔の前で手を合わせるとリルリアンナは身をひるがえして走りだした。
こういうのは勢いが無いと出来ない。
恥ずかしくても勇気を持ってやればなんとかなるのじゃ。
あ、姫さま! と慌てて追ってくるソフィアの声を背中に受けながら、近衛騎士に頷いて執務室の扉を大きく開いた。
「陛下っ、休憩じゃ! 妾と一緒にベリーを摘みにいこう!」
驚いたようにこちらを見る灰緑色の瞳に、どうか断らないで、と願う。
ルイスとジョセフが心得たように、ではこちらの書類は後ほどにしましょう、お茶の用意は戻られてからですねぇ、とすっと動いて部屋を出ていった。
「いや、リルー、今日までにやらなければならない仕事が……」
困ったように髪を搔き上げた夫に、ああ、と思いながらリルリアンナはたたたっと走るとフィリッツの肩に手をかけてさっと膝に乗った。
「リリリリルーっ!」
「陛下、なぜ断るのじゃ、陛下が断るから妾はこれをやらねばならぬのじゃっ」
「な、なに? なんの事だ?」
「知らぬ! 行くって言わねばここをどかぬっ」
ぷいっと横向いた自分の口が自然に尖っている事に気づき、リルリアンナはあっと口に手を当てて恥じらう。
それを見たフィリッツは、持っていた羽ペンをボキッと折って何かに耐えていた。
「……リルーは、俺を殺す気か」
「そ、そんなつもりは無いのじゃが」
「なんだ? 俺はこれからずっとこれに耐えていくのか? リルー、頼むから例の指南書はほどほどにしてくれ。俺の脳みそが焼き切れる」
「では、妾が誘った時には一緒に居てくれるか?」
「……努力する、ああ、努力するさ」
「約束じゃぞ? 今からベリーを摘みにいこう。今日はまだ執務室から一歩も出ていないのじゃろう? 少しだけ気分転換じゃっ」
にっこり笑ってフィリッツを見上げると、夫は諦めたように大きなため息をついて二つに折れた羽ペンを机に転がした。
「ダメだ……エルムグリンの麗しき王妃には敵う気がしねぇ」
「そうじゃ? エルムグリンの賢き王の為を想って常に動いているからな?」
そう応じる王妃に、まったくだ、と王はそのまま華奢な身体を腕に抱き上げると嬉しそうに笑う妻の頬に口付けをして執務室を出ていった。
森と草原の国エルムグリン王国には隣国に名高い麗しき王妃がいる。
山と渓谷の国ローツェン王国出身の王を迎え、どうなる事かと内外から注視されていたが、各領地を視察し仲睦まじく歩く姿がたびたび見られ、エルムグリンとローツェンの関係は強固になったとの報が各国に広まる事となる。
王宮の裏庭の隅には人が一人入れるぐらいの小さな小屋がある。
騎士が一人、ピルピルと甘えるような青い小鳥に餌をやっていると、一羽の成鳥が小窓から入ってきた。
胸ポケットにある木の実をやりながら片足に付いている筒を開けると、小さな紙を広げる。
曰く、二カ国の国民の士気が高まったとして、両国への機を伺っていたボルカベア、ブクモール両国の鳴りが潜まった模様、と細かい字で書かれていた。
騎士は短い髪を鳥の巣のようにしながら切れ長の目を細めると、小窓から見える透き通った秋空を見上げる。
遠くで鳴く第二報の声を聞きながら、エルムグリンの穏やかな風を受けて柔らかく微笑んだ。
完
お読み頂きありがとうございました。
後半毎日の更新となり、一緒に追って下さっていた方は大変だったかと思います。
本当にありがとうございました。
楽しんで頂けたら幸いです。
またいつかお会い出来る日を願って。
ありがとうございました。
2018.9.9 なななん




