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37 リルー、いやじゃ、と言った。

砂糖有りマス。

 



 結局の所、リルリアンナはソフィアと話しながら寝てしまったらしい。


 目を覚ますと目の前にシャツがあって、開かれた襟ぐりからたくましい胸がゆっくりと上下している。


 見上げると、鼻筋の通った少し日に焼けた顔が眉をひそめて眠っていた。瞑った目の下に隈が出ていて、普段もあまり睡眠がとれていないのが分かる。


 リルリアンナは起こさないようにフィリッツの隆起した眉間をそっと人差し指で撫でた。


 眠る時ぐらいは、どうか穏やかに。


 心配をかけすぎて、そんな表情なのか、普段からこんな顔をして寝ているのか分からないけれど、これからはそっとそのしわを伸ばしてあげたい。


 そんな想いで触っていると、真綿を包むような柔らかさで手を優しく掴まれた。


「陛下?」

「くすぐったい」

「ごめんなさい、起こした」

「いや、いいけどな」

「まだ、みな寝静まっているみたいじゃ」

「ああ」


 二人しかいないのに、ひそひそと話すのが少しだけトキトキした。いや、本当はもっとトキトキしている。


 フィリッツが近い。吐息がかかりそうな距離に、鈍い金色の前髪のすき間から灰緑色の穏やかな瞳がこちらを見ている。


 賊は? と聞くと、今ここで聞くのか、とフィリッツが何故だか嬉しそうに笑った。


「すまぬ、無粋じゃな」

「いや、リルーらしくていい。逃げた賊は捕まえたよ。橋に検問をかけていたからな」


 そう言うと、フィリッツは昨日の顛末をゆっくりとリルリアンナの目を見ながら話した。


 ルイスとジョセフが検問へと知らせに向かうと、渡るために長蛇の列になった人々を遠巻きに眺める脚の太い男が居たらしい。


 二度と三度とその場を離れたりまた近づいたりしていたので、ルイスとジョセフが挟んでみた所、抵抗したので捕まえてみるとちょっと突いただけで吐いたようだった。


「まぁ、ジョセが尋問したら大概の奴は吐く」

「ルイスも一緒だったなら、うむ、吐いてしまうだろうな」


 お互いそれぞれ幼い頃から知っている二人の不敵な顔を想像し、そっとため息をついた。


「芋づるのように組織の事も話したのでルイスにピルーで港にも知らせた所だ」

「組織の犯行だと?」

「昨日の朝に発覚して各所に連絡したんだ。その後にリルーの不在に気づいた」

「そうだったのじゃな、まったく、知らなくて」

「ああ、間に合ってよかったが」

「分かっておる、もう……行かぬ」


 ジルやジルの母親の顔が脳裏に浮かんだが、このような騒動を起こしてしまったからにはもはや王宮を出ることは叶わぬだろう、と苦しそうに言うリルリアンナに、フィリッツは違うだろ、と少し厳しい声でリルリアンナの目を覗き込んで言った。


「薄い警備で行くな、という事だ。要人が動く場合はそれなりの警備が必要だ。それが叶わない状況では出てくれるな、という事だ」

「そうじゃな……申し訳ありませぬ」


 自分の浅慮を深く悔いて目を伏せるリルリアンナに、分かればいい、とフィリッツは大きな手でリルリアンナの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「陛下、髪の毛が鳥の巣になる」

「ならねぇよ、細くて芯がある……かつらじゃなくて何よりだ」

「陛下は短いのより長い方が好きじゃったな」

「そういう訳ではないけどな」


 フィリッツが言い淀んだのでリルリアンナは少しだけ小首を傾げて見上げた。

 身体を横にして向かい合っているので、フィリッツの表情がよく分かる。

 今は困ったように苦く笑っていて、今度はゆっくりとリルリアンナの髪を梳いた。

 その優しい感触に自然と口元が緩むと、梳いた手がそのまま頬をなぞって、顎を少しだけ上げた。


 探るよう触れられた唇にリルリアンナは戸惑ったように固まったが、口付けが深くなるにつれゆっくりと身体の力が抜けていく。

 唇が離れ、フィリッツが真剣な眼差しで聞いて来た。


「怖くないか?」

「……少し。でも、陛下だから」

「どこか……触れられたか?」

「首を舐められた。それだけ」


 淡々と話すリルリアンナに、そうか、とフィリッツはきつく身体を抱きしめてくれた。

 男に迫られた怖さと、フィリッツとの触れ合いが重ね合わさる事にならなくて良かったとほっとしたのは、夫だけではない。


「陛下……」

「うん?」

「もう一度、して、ほしい」

「リルー……」


 フィリッツはこつ、と額を合わせてリルリアンナに目を合わせた。


「そんな事を言われると止められなくなる。まだ怖いだろ? あんな事があったんだ。ゆっくり」

「いやじゃ」

「リルー」

「怖くてもいいから、陛下……お願いじゃ」


 瞼を閉じれば男の血走った目が脳裏にちらつく。それを払拭したかった。恐怖にまみれた身体のまま、陛下の側に居たくなかった。


 これ以上震える前に。

 また意図せず陛下と離れる前に。

 恋人であり、妻であり、王妃だから。


 リルリアンナの訴えに、フィリッツは迷った様に一旦目を閉じたが、やがて開いた灰緑色の瞳はゆらりと熱を帯びたようにこちらを見た。


「やめたいと言っても止まらない」

「言わぬ」

「優しくするが優しくないかもしれない」

「陛下ならいい」


 フィリッツは堪りかねたように息を吐くと、愛しているよ、と囁き、慎重に、しかし情熱を持ってリルリアンナの唇を食んでいった。


 何度も硬直する身体に唇を落とし、目を開けろ、リルー、と柔らかく耳朶に触れ、目を合わせてからキスをしてくれる。


 いやいやと首を横に振るリルリアンナの様子が甘く彩りはじめたのを見て、やっとフィリッツは先に進んだ。


 やがてリルリアンナの感覚はフィリッツの痕跡だけとなり、何も考えられずに首にすがって、一つになった。





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