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35 フィリッツは、頷いた。

 



 フィリッツ達はリルーの残した翠の玉を拾い上げながら南下していくと、やがて街道を外れて、森の中に入っていく私道を見つけた。


 しばらく走ると、手前に荷車があり、その奥には小さな掘っ建て小屋がある。


 ルイスとジョセフはフィリッツを前後に守りながら馬足を緩めて辺りを警戒するが、シンとして何も物音はしなかった。


 フィリッツとジョセフが馬を降り扉近くの壁に添って小屋様子を探っていると、ルイスが腰を低くしながら荷車を点検する。

 ルイスが荷車の下に翠の玉を発見し、フィリッツに見せながら息を殺して合流する。


 フィリッツはさっとルイスの手にある玉を確認し、右手を軽く上げた。

 ルイスとジョセフは抜刀しドアの両脇に立ち、気配がないのを確かめた後、キイ、とドアだけを開けて、しばらく待った。


 しかし中からの反応はない。

 フィリッツの合図と共に、警戒しながらも室内に入ると、テーブルがある部屋が見え、右手に煮炊きする部屋、と仕切りのない二部屋である事が見てとれた。

 人が居る気配はしない。


 ただ、テーブルの上にはコップが二つ残っている。椅子も席を立ったまま出て行った形で置かれていて、つい先ほどまで誰かがいた痕跡はあった。


「一旦ここに潜んだようですね、飲み干したコップがあります」


 ルイスが一声上げてみせるが、物音一つしない。


「二人分ですねぇ、まだ水滴が残っている」


 ジョセフもいつもの調子で声を上げ、コップを手に持ち、また、ことりとテーブルに置いた。


「一歩遅かったか」


 フィリッツが落胆したように、()()()()()()を上げた。


 次の瞬間、ふわりと見知った臭いが漂った。


 最初に嗅いだ時は吐き気がし、何度か嗅ぐ内に慣れ、やがて、嗅ぐぐらいでは何も感じなくなった、それ。


 フィリッツとジョセフはバロック領で、ルイスは、王宮の訓練場で幾度となく嗅いだその匂いが、誰が発した香りなのかをこの場にいる誰もが察し、目を見開いた。



 フィリッツは強く剣の柄を握りしめて、ルイスとジョセフに視線をドアの外に向ける。


 ジョセフは鋭い灰色の目を一つ瞬きをして頷くと、いつもと同じような声音で話す。


「今からでも追えば間に合うかもしれませんよぅ? 二人だとしても、リーさまを連れていれば足は遅い」


 ルイスも切れ長の目を細くして頷き、そうですね、とジョセフに合わせ言葉を紡ぐ。


「早めに行きましょう。今なら間に合う。急いだ方がいい」


 フィリッツはそうだな、とだけ言ってテーブルの部屋の死角に潜んだ。

 隣の部屋との境の壁に背中を触れない程度に合わせると、臭いが強くなり、胸中に渦巻く嵐を抑えて身構えた。


 ルイスが、馬を取ってきますね、と言いながら足早にドアを開けて外にでる。ジョセフも急ぎませんとねぇ、とルイスに応じて、フィリッツに頷き、部屋を、出て行った。




 ****




 そうだな、というフィリッツの声に、リルリアンナの喉がこくりとなった。


 今日、王宮に帰ったら会うつもりの人がここに居た。

 声が聞きたい、と思ったのは、いつだったか。


 ルイスとジョセフの声も遠ざかり、去って行く足音にどうしようもない絶望を感じながら、それでもと前のめりになった身体に、またナイフが食い込んだ。


 再び流れ出る赤い一筋。


 むせ返る血の匂いと共にこみ上げてくる涙を抑える事はできなかった。


 暗闇の中、嗚咽を耐えながら馬の足音が去って行くのを聞くと、唇がさざ波のように震えた。


 やがて、静まった室内の気配に男がガタリと戸を開ける。目の前に広がる西からの十字の影が、歪んだ視界の中でさえもはっきりと見えて恐ろしかった。


 男はそっと室内の様子をうかがって、誰も居ない事に安心したのか、一人、先に納戸から出た。


「ひやひやさせんなよなぁ、心臓に悪いわ」


 赤茶けた髪先が擦り切れそうな頭をぼりぼり掻いて納戸から五、六歩前に進んだ時、


「ではその悪い心臓を止めてやるよ」


 声がしたかと思うと、男の横から素早く動いた影の刃が一刀、煌めく。

 男は背中を右肩から斜めにばっさりと切られ、声もなくどお、とその場に膝をつき崩れた。


 リルリアンナは一瞬の出来事に、呆然とした。


 室内の様子を察したのか、ドアが蹴破られてジョセフが入ってくる。


「ああ、ああ、生け捕りにして情報が欲しかったんですけれどもねぇ」


 ため息とともに苦笑したジョセフの声に、力の加減なんて出来ねぇ、というくぐもった声が頭上から聞こえる。


 きつく抱きしめられて、息が出来ない。


 リルー、すまん。


 と言った声が、少しだけ湿って聞こえた。



 たす、かっ、た……?



 フィリッツが口元の紐を解放させてくれ、ジョセフが後ろに回って縛られたと手足の紐を剣で切って解放してくれる。

 馬足の音が再びこちらに向かって戻ってきて、ルイスが無事ですか! と部屋に飛び込んできた。

 声の出ない主人に代わってジョセフが、無事ですよぅ、と飄々と応える。

 ほう、と息を吐いたルイスがリルリアンナの見て、お怪我の手当を、とまた身をひるがえして馬の方へ戻る。



 清潔な布と、水が入った水筒を持って戻ったルイスが、フィリッツが抱きしめて離さないリルリアンナの傷ついた首元をなんとか手当てしようとうろうろするのに、ジョセフがぽんぽんと肩を叩いた。


「大丈夫ですよぅ、薄皮一枚です。今は二人にさせてあげましょうよ」


 ジョセフはそう言うと、足取りも軽く事切れている男をひょいと担いで部屋の外へと出て行った。


 ルイスもジョセフの行動にはっとして、そ、そうですね、分かりました、私も拠点に連絡します、と布と水筒をテーブルに置くと、ジョセフに続いて足早に部屋を後にする。


 リルリアンナは、身体を引き寄せてくれたフィリッツの首にぶるぶると腕をぎゅうと絡めてすがった。


 頬に当たる首筋が暖かく脈打っていて、リルリアンナは首と肩の境に顔を埋める。


「へい、か」

「ああ」


 ああ、という声が優しくて、涙が、また滝のように出た。


「へい、か……」

「ああ」


 リルリアンナは堪らず叫んだ。


「会いたかったぁ……!」

「すまん」


 強く抱きしめられて、うあああ、と子供のように声を上げた。



 会えないかと思った。

 このまま攫われ、辱められて死ぬのかと思った。

 政務を投げ打ってまで探しに来てくれたのに、このまま、すれ違ったまま、何も言えないまま死んでいくのかと。



 リルリアンナはごめん、なさい、と何度もフィリッツに言った言葉をまた口にした。


 フィリッツの腕が、苦しいぐらいにきつくリルリアンナの身体を抱きしめる。


「……許さねぇよ」


 いつか見た夢とは違う断りの言葉に、リルリアンナの視界は歪む。


「許さねぇから、もう、離れるな。昼も夜も俺の側に居ろ。……こんな思いは、二度とごめんだ」


 苦しげに囁いたフィリッツの言葉に、胸が潰れる想いがした。


 ずっと、出会った時から案じてくれていたフィリッツの想いを、いつも、そんなに心配しなくても大丈夫と軽んじていた。


「ごめ、なさい」

「ああ」

「もう、離れ、ない」

「ああ」

「いっしょ」

「ああ、一生一緒だ」


 涙に濡れた瞼にありったけのキスをしてフィリッツは身体を離すと、リルリアンナの首元を丁寧に水で洗い、布を当て包帯を巻いて手当をした。



 リルリアンナを抱き上げたフィリッツは部屋を出て、ルイスとジョセフにリルリアンナから聞いた逃走した男の詳細を告げ、橋の検問に指示を出しに行くようにとし、自分はリルリアンナと共にマーチン食堂へと馬をゆっくりと歩かせた。


 ぴたりと身体を預けて、自分の腰に手を回すリルリアンナの擦り傷だらけの手を片手だけ手綱を外して上から握る。


 摩擦で剥けたような手首は触らないようにいたわりながら、フィリッツは馬が必要以上に跳ねぬよう最新の注意を払って行き道を戻っていった。


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