34 リルー、親指を、ぎゅう、と握った。
ガタンガタン、と音がして、荷車が止まった。リルリアンナは身構えて身体を固くすると、突然足を掴まれてずるりと引きずり下ろされ、悲鳴を上げそうになった。
半身が荷台から下ろされた状態で、荷物のように肩に担がれたのか、お腹を押された状態で頭が下になり、ゆっさゆっさと担いだ男が歩くたびに揺れるので、酔わぬように目を瞑る。
ドサッ、と投げるように降ろされたので受け身が取れず強かに頭を打ってしまい、ぐうっと唸った。
「ふん、起きたか」
しゃがれた声がして、白い布袋が下からずるずると剥ぎ取られる。
埃がまう室内を横たわったまま薄目に目を開くと、リルリアンナの顔の前には男の足が見え、さらに机の脚の下にも太い旅装の足が見えたので、男が二人いるのだ、と認識した。
顔が見えない男は、チッと舌打ちをすると、年が多いじゃねぇか、と野太い声で言った。
「仕方ねぇだろ、黒髪の女は珍しいんだ」
「該当しねぇと金が払われねぇのによ」
「大丈夫だ、船にのしちまえばいい。払わなねぇ、ってなったらもうやらねぇ、っつってトンズラすればいいさ。……そろそろやべぇ」
文句を言う野太い声の男に、しゃがれた声の男はテーブルにドカリと座ると、カタカタと貧乏ゆすりをしながら、ひそりと言った。
なんだよ、足がついたのか? つきそうだからやべぇ、って言ってんだよ、もういい加減長くやってると、今年はこれまでだなって分かるんだよ、とぼそぼそと話している。
その内容にリルリアンナは息を呑む。
(今年……? 人さらいを何年もやっているの、か……?)
しゃがれた声がフードの男だと分かる。野太い声は仲間だろうが、日が浅いのだろう、フードの男の言葉を一応聞く、という態度だ。
(組織的だ……妾以外にも攫われた者がいる。陛下……!)
リルリアンナは見える範囲で必死に逃げられる箇所を探した。
ドアが一つ、窓が二つ、今いるテーブルの部屋の他に奥に部屋があるようだが詳細は見えない。
「ばっ! 連れがいる奴はやめとけって言ったじゃねぇかっ!」
ガタンッ と野太い声の男が立ったので、リルリアンナもビクリと身体を揺らした。
「大丈夫だ、リールは余所者には見向きもしねぇ。自分の街の人間以外の者の話は見向きもしねぇよ。連れはローツェン人だった。訴えても兵はでねぇ。それよか、他の街の憲兵の動きがいつもより早ぇ。港に先触れに行ってくれ。俺は荷物と一緒だから足が遅ぇ」
「わ、わかった」
野太い声の男は足早に部屋を出ていく。馬の嗎が聞こえたと思うと、ドド、ドドっと馬足と共に去っていった。
シン とした室内の中で、カタカタと床を小刻みに踏んでいる男の靴音だけが響く。
こくり、とリルリアンナは生唾をのんだ。
この縛られた状態では、たとえドアや窓の位置が分かっても逃げられる術がない。
男に気づかれないようにまだ出ている後ろの仕込み刃にそろそろと手首を擦り当てるのだが、刃の出方が少ないのか、かすりはするのがだ紐が切れてゆるむ事はなかった。
(何か……他に何か……)
この状況を打破するには手足の枷を取らなければならず、リルリアンナは気付かれないように手を動かしながらも、他に外す術はないか必死に考えた。
と、突然、カタカタカタカタ と続いていた音が消え、何かをごくりごくりと飲み干す音がしたかと思うと、ガタリ、と立ち上がった足がこちらに向いた。
赤茶けた男はにたりと笑ってリルリアンナの身体を足で突いて仰向けにした。
な、にを、と思う間もなく唇を器用に片方だけ釣り上げながら男は四つん這いとなり、リルリアンナに迫る。
赤茶けた白髪まじりの前髪の中から見える目が、血走りながら舐めるように自分の肢体見ているのを知り、リルリアンナは戦慄した。
喉を引きつらせながら縛られた両膝を立てるようにして上へ逃げようと抵抗するが、男の膝が太ももに乗り体重をかけられたので膝が崩れ落ちてしまう。
爪の先までも黒ずんだ骨ばかりの指が乱暴にシャツを開いたのに、声なき声を上げて身体をくの字に曲げた。
汚される訳にはいかない。
私のこの血は、私が産む子は、エルムグリンと、ローツェンの……!
「なんだ、初めてかぁ? こりゃあ、役得だなぁ」
くつくつと笑った声が至近距離でしたかとおもうと、横を向いたリルリアンナの首元を、べろりと長い舌が舐めた。
いやだ
いやだいやだいやだっ!
私に触れていいのは
私の恋人は……っへいか!
恐怖に唸りながら激しく首を振って抵抗をするリルリアンナの肩を抑えた男は、愉悦に酔った目でリルリアンナを覗き込み、笑いぶくみのしゃがれた声でいった。
「無駄さぁ、誰も来ねぇよ」
細くささくれた指がリルリアンナの胸元に迫り、リルリアンナは目を瞑り、力一杯身をよじった、その時。
遠くで馬足の音がした。
男は、はっと振り返る。
明らかにこちらに近づいてくる複数の音に、男は跳ね上がって身体を起こすと、リルリアンナの腕を力任せに握って無理矢理立たせた。
すぐに背中に周り首にナイフを当てると、一言も唸るんじゃねぇ、物音一つ立てたら殺す、と囁き、リルリアンナの腹を抱える。
リルリアンナがかくかくと頷くと、男はリルリアンナを抱えながらずるずると後ろに下がると、テーブルの部屋と続きになっている部屋の納戸を開けた。
ドサッと肩を押されて押し込められ、隣に男も入って扉をぴたりと閉める。
暗がりの中、しばらく待つと、複数の馬足の音が鳴り止み、草を踏む音がしたかと思うと、キイ と静かにドアが開いた音がした。
しばらくして、誰が入ってくる。
足音が、三つ。
「一旦ここに潜んだようですね、飲み干したコップがあります」
「二人分ですねぇ、まだ水滴が残っている」
「一歩遅かったか」
リルリアンナは、ここにいるはずのない人の声に目を見開いた。
身じろぎをした喉元に、ひたりと冷たい刃が当たった。ちり、とした痛みと共に、熱い筋が流れる。
リルリアンナは後ろ手に重ね合わされた親指を、ぎゅう、と握った。




