32 フィリッツは駆け、リルーは祈った。
「ルイス、港を閉鎖。全ての船をエルムグリンに留めろ、俺かクリストファー殿の指示が出るまで待機。一番早い伝達方法は?」
「はっ、ピルーを使います。その他知らせは」
「アーセナル領主に領主兵を借りたいと、また、クリストファー殿に至急王宮に来るように伝えてくれ。万が一の時は全権をクリストファー殿に譲渡する。その時はルイスが補佐を」
「いえ、私はフィリッツさまの側近ですからお供します。クリストファーさまの補佐は隠居しているじじぃ……失礼しました、元宰相デュラス・ターナーが適任かと思われます」
「私たちはお会いしていない方ですねぇ」
「ああ」
ルイスのじじぃ呼ばわりにうっかり反応してしまったフィリッツとジョセフだが、身体はもうマントを羽織って足早に執務室を出る。
「ルイス、ピルーはリルーしか飛ばせないんじゃなかったのか?」
「天色国まではリーさましか飛ばせませんが、拠点に飛ばすのは私が務めています。というか、私がリーさまにお教えしたのです」
「おお、そうでしたか、さすが教官」
ジョセフの軽口を聞き流しながらも足は真っ直ぐに馬舎へ向かう。
「申し訳ないのですが、ピルーを飛ばすまでお待ち下さい。そんなに時間はかかりませんので」
「分かっている、置いていく愚行はしない」
陛下が冷静で助かります、とルイスは微笑むと、厨房の脇へと廊下を別れた。
フィリッツ達はルイスの馬の手綱も持って王宮門へ待っていると、上空から青い鳥が王宮の裏手へ集まっていくのを見た。
そして、しばらくして南の方へと一斉に羽ばたいていく。
雲一つない透き通るような青空に羽ばたいていく青い鳥達の軌跡は、拍子抜けするほど牧歌的な光景で、実情を知らねばあの鳥と共に機密が飛んでいるとは到底思えない平和な景色だった。
これが、エルムグリンの強みだ。
何もしていないようで、強かに地力を高めている。それでいてそれを他国の脅威とならないようにもしている。
全ては自国を守る為の術なのだ。
そんな優しい、この国を守る為にも。
今は動く。
「お待たせしました。行きましょう」
ルイスは短い髪をぼさぼさにしながらこちらにやってきた。
「髪、すごいな」
「十羽以上になると頭にも止まらせないといけないので」
「ご苦労さまです」
淡々と話しながらも馬に足を駆けて腹を蹴れば三人共、馬の限界に近い走りを強要させた。
「囚われていると、思いますかぁ!」
「たぶん! 前の時に、リルーを、見定めていると思う!」
「陛下、ジョセフ殿! 馬足緩めて下さい!」
ジョセフとフィリッツが駆けながらも話していると、後方からのルイスの叫びが聞こえた。二人は馬足を緩める。すると、上空に青い鳥が飛んでいるのが見えた。
ルイスが指笛を吹いた。
甲高い音がなると、ピーロロロロロ、と青い鳥が応えて急降下してくる。
迎えたルイスの腕にバサリと止まると、ルイスは素早く胸のポケットから木の実を出して鳥に与えた。青い鳥が首を振りながらコツコツと食べている間に足に取り付けてある筒を外して中から細い巻物を出す。
フィリッツとジョセフが黙って待っていると、ルイスの切れ長の目がぎゅっと細まった。
「リーさまの姿がバザールから消えたとの事。影からの応援要請です」
「……分かった」
「猫さん、お仕置き決定ですねぇ」
「大方、リルーがなんとか言って席を外させたんだろう」
「そこで、外すのがいけないと、あれほど座学で……」
ぐしゃりと紙を握りつぶしたルイスに、フィリッツがぽん、と肩を叩くと、今は、リールの街に着くことが先決だ、と、また腹を蹴って駆け出した。
今度は三人共物も言わず、ひたすらリールを目指して駆けた。
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ガタタン という振動と共にリルリアンナの意識はふっと覚醒した。
目を開けると、周りは白い布に覆われている。目隠しはされていないが、口は布が挟まっており、またその布が出ないように紐できつく結んであって声が出せない。
両足はもちろん、両手も後ろ手で紐で結ばれて動かせられなかった。
ガタタン、という音にまたハッとする。
あまりに唐突な出来事で、リルリアンナの頭はゆっくりとしか動かなかった。
ひとまず経緯を思い出そうとするのだが、ジルにあって、バザールに行って、露店を見ていたら、という箇条書きのような事しか頭に入ってこない。
(まて、落ち着くのじゃ……人さらいにあったか……)
手足が動かせなく、どうも白い袋に入れられているらしい。その袋は小さかったらしく、リルリアンナの足首までしか賄えなかったのか、くるぶしを境に足だけ外に出て、あとは布で覆われている。
白い布袋の中は眩しいぐらいで、日中だと分かり、まだ攫われてからそんなに時間は経っていない事を示していた。
ソフィアとジルは直ぐ気付いて、なんらかの方法で各方面に連絡を取ってくれるだろう。
だが、捜索の手が回るまでは半日はかかる。
リルリアンナはなんとか手の紐が抜けないかと左右、斜めに引っ張るのだが、固く縛られていてままならない。
息が荒くなりながらも動かしていると、手の甲に腰のベルトが触れた。
少し凹凸のあるベルトに、リルリアンナは刃を仕込んであるのを思い出す。
手のひらを合わせるように縛られているので両肩をぐっとあげないと、腰の位置まで手が届かない。
身体を前に折り曲げながら肩を上げて、重なり合った親指で後ろのベルトの中央に蔦の型どりをしてある模様をさぐった。
少しだけ突起している模様を、親指でぐっと身体に押し込むように押すと、カチリ、と仕込み刃が出た音がした。
リルリアンナの身体を傷つけない様に少しほんの少しだけベルトから覗いている刃を慎重になぞり、方向を確かめて両手を縛っている紐に刃を入れようと思うのだが、上手く刃が当たらない。
両手を縦にしたり、横にしたりして引っ掛けるようにするのだが、かすっても紐が削れるほどの傷をつける事が出来ない。
ガタタン
振動の有る音にビクッと身体が固まる。
逃げる事ばかりに気が向いて、攫った者の存在を忘れていた。
もぞもぞと動いていたので、自分が起きた事が知られたか、としばらくじっとするが、何も反応がないので、ほっと鼻で息を吐く。
どっと疲れて、紐を切る為に緊張していた身体を休めた。
目を瞑ると、カタン、カタンと歯車が少しだけ鳴っている。しばらくすると、ガタタン、と大きな音を鳴らす。
定期的に鳴るので、おそらく荷車の歯車の具合が悪いのだろう。
一旦手を休めてしまうと、泥のように身体が重くなってしまった。
腕を下に下げて弛緩すると、肘の方にあった翠の腕輪が手首の方まで下がってきた。
リルリアンナはそっと、自由になる指で一つ一つの玉を触る。
売っていたのがあのおぞましいフードの男だとしても、買ってくれたフィリッツの心をないがしろには出来ず、この翠の腕輪を憎む気持ちは生まれなかった。
あの時から狙われていたのだろうか。
王妃と知っての犯行なのだろうか。
今となっては知るよしもなく、王妃の件はまだ分からない事柄だった。どちらにしても失態だ、と布にふさがれてままない口のまま挟まれた布もろとも奥歯を噛みしめる。
自分が攫われる事による様々な事柄が頭を巡るが、今はとにかくこの事態を打開するしか最善の方法はない。
リルリアンナは気を取り直して肩を上げ、後ろ手の紐を何度も何度もベルトに擦り上げた。
ガタッタンッ、と今までになく大きく鳴った。今度は何か大きな石でも踏んだらしく、身体が斜めに浮き上がって落ちた時に右肩を強く打った。
その拍子に、ちくり、と刃が手首に当たった感触がして、次の瞬間、ぷつり、と糸が切れた音がした。
(あっ)
リルリアンナが掴む前に、ころころと翠の玉が足元へ転がっていく。
そして足元に溜まった玉の一つが、外に転がり出た。
耳をすますと、コロコロコロと転がって、やがてふっと音が消えた。
リルリアンナは息を飲んでじっとそのまま動かずにいた。
やはり、なにも反応はない。
リルリアンナを攫った者は一人しかいないのかもしれない。
今は荷車の御者をしていると当たりをつけた。
リルリアンナはそっと、一つずつ、玉を外に出した。
どのくらいの範囲で落とせばいいのかもわからないまま、一つ、また一つと、繋がれた足首を微妙に前後に振って、手がかりになりますようにと、祈りながら、落としていった。




