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2 リルーは再会に緊張する。

 



 廊下を抜け、王宮の端にある螺旋状の石階段を降りていくと、中庭が見える窓からローツェン王国の煉瓦(れんが)色の旗が見えた。

 使節団が到着している。


 リルリアンナは胸がどきどきと高鳴っていくのを、小さく呼吸をしながらなんとか収めようとした。

 婚約者であるローツェン王国第二王子フィリッツと会うのは幼い頃に会って以来、二度目だ。文のやりとりを年に何回かしてはいたが、まともに話すのは謁見の間で挨拶をし終わった後となる。


 幼い自分を抱き上げて笑ってくれた顔を忘れた事はなく、何を話したかはもう覚えてはいないが、楽しそうに動く灰緑色の瞳をずっと眺めていたのを覚えている。


(殿下は、(わらわ)の事を覚えているだろうか)


 文のやりとりは判で押したような文面が多いから、手紙が苦手なのは分かっている。

 それにしてもあまりにも会う機会が無いので、内緒で影を使っていろいろ調べてみたが、特に女性の好みが自分とはあまりにも違った事を知った時はかなり落ち込んだ。


 それでも、今日からこちらに住んで、即位式の後は夫婦として暮らしていくのだ。


(世継ぎの事もあるし、妾が頑張らねば)


 リルリアンナは身の引き締まる想いで謁見の間へと入っていった。




 ****




「わーお、すごい顔しているよ、リルー」


 謁見の間に入った瞬間、玉座から能天気な声が飛んだ。

 リルリアンナは黙って玉座まで伸びた赤色の絨毯を歩き、ふわりと若草色のドレスを摘んで膝を少し曲げ正式なお辞儀をする。

 その麗しくも少女と女性の狭間のような姿に目を細めた兄、エルムグリン王国現国王クリストファー・スマルト・エルムグリンは、くすくすと笑いながら、いいからこちらにおいで、と手招きした。

 十年前、父を病気で亡くして以来エルムグリン王国を支えてきた現国王はいつもこんな調子で誰に対しても気さくな物言いだ。


「うーん、綺麗だけど、表情がなくて見事にお人形さんみたいな顔だよ。そんなに緊張しなくてもいいのに」


 近くに寄ったリルリアンナの頬をむにむにとつまむ。


「これが緊張せずにはいられないのです、兄上。実に十年ぶりの再会なのです」

「うん、そのババさま仕込みの言葉使いも相まって、リルーを知らないフィリッツ殿下にはちょーっと冷たく映るかもね。声は年相応に可愛いのになぁ」

「兄上、慰めにもなりませぬ」

「まぁねぇ」


 クリストファーは薄茶色の前髪から覗くその深い藍色の瞳を和らげながら苦笑し、リルリアンナを見る。


 リルリアンナは幼少の頃母を目の前で亡くしており、その精神的ショックの為、一時期言葉を無くした事がある。

 エルムグリン王国の名医という名医に診てもらったが治らず、見かねた母方の祖母マソホが、自国である海に囲まれた国天色(あまいろ)国に来て様子を見たらどうか、と提案がありリルリアンナは天色国預かりとなった。


 エルムグリン王国とは全く違う気候や自然に囲まれて、リルリアンナは少しずつ生気を取り戻していった。

 マソホが付かず離れず側で看病したおかげで言葉も発するようになり、人とも話せるようになって二年ほどして母国へ帰ってきたのだが、リルリアンナが言葉を喋りだしたのを聞いて身近な者は一様に驚く事になる。

 言葉使いが、マソホが使う、天色国の古い人間の言葉になっていたのだ。


「にこって笑ってごらん、リルー、いつもみたいに」

「ニコ」

「あー、うん、どうしようかな、うん、ま、普通にしてようか、リルー」


 ギギ、と音が出そうな口元だけ横に引いた顔に、クリストファーは明後日の方向を向いて、うんそれがいいよ、普通が一番、と呟いた。


「あー、謁見の後で個人的にリルーの事、よろしく言っておくから、安心するように」

「兄上、大事な事なので二度言いますが、慰めになっておりませぬ」

「なっていませんわ」

「イマセンワ」

「ははっ! 相変わらずだねぇ。まぁ、よく言っておくよ。そうだ、ババさまからリルーにと預かり物があってね……と、来たようだ。この話はまた後で」


 ドアの向こうの近衛騎士の声にクリストファーが頷くと、リルリアンナも兄のそばを離れ、右側のいつもの立ち位置に立った。


 王と王妹が所定の位置についたのを確認し、内側の近衛騎士がドアに手をかける。

 リルリアンナは無意識に親指を手の平の奥へと入れてぎゅっと握ると、やがて背筋を伸ばしてドレスの前で両手をそろえた。



「ローツェン王国第二王子、フィリッツ殿下、ご来訪!」



 開かれたドアから歩いてくる足音に、またしても心臓が早鐘のように鳴る。

 じろじろと顔を見るのはマナーに反する。それよりも緊張で顔を上げられなかった。

 しかしフィリッツはばさりと煉瓦色のマントを右肩に寄せ片足を折り跪いたので、否応無しにリルリアンナの視界に入る。


 癖のある鈍色の金髪が揺れ、口上を述べるその声音にリルリアンナは固まる。


(お声が……低い)


 兄と殿下で型通りの挨拶が終わった後、リルリアンナはクリストファーに呼ばれて、はっとし、条件反射的に一歩前へ出た。


「お久しぶりですね、リルリアンナ姫」

「……」

「姫?」

「あ、ああ、はい、いらせられませ」

「?」


 リルリアンナは目の前に立つ男性が、自分の中の記憶と違うのに戸惑っていた。


 鮮やかな金髪は鈍く色味が変わり、面白そうに煌めいていた灰緑色の瞳は色は変わらねど落ち着いた面持ちとなり、何より身体が大きく違っていた。


(もすこし、こう、色白で細くて、王子様みたいだったのではなかったのか……?)


 凝視して動かないリルリアンナに少し苦笑して、御手を頂けますか? と差し出された手は日焼けをしていた。

 またしても条件反射で出した指先を柔らかく掴んだ指は太く筋張っていて、しっかりとした男性の手だった。


「すまないねー、妹はフィリッツ殿下の美丈夫ぶりに戸惑っているみたいだ」


 手の甲にキスを受けても何も言葉を発しないリルリアンナを見かねてクリストファーが笑いながら言った。


「お会いしたのが十年前でしたからね、姫は美しくおなりですが、こちらはむさい(ただ)の男になっていて驚かれましたか」

「いや、男らしくなられましたよ。ローツェン王国では北の領地に住んでいられたとか」

「ええ、ここ数年はバロック領に」


 フィリッツは失礼、とリルリアンナに目礼し、クリストファーと話す為に離れた。


 謁見の間での会話は終始クリストファーとフィリッツとで続けられ、和やかに終わった。

 リルリアンナを一人除いて。



 フィリッツが謁見の間を下った後も固まって動けないリルリアンナを見て、クリストファーは、リルー、こっちにおいでー、とまた呼んだ。


 顔面蒼白となってふらふらと玉座まで来た妹に、クリストファーはその陶器のような白い頬をむにむにとつまんだ。


「リルー、見事なまでのお人形さんぶりだったよー」

「あにうえ、なぐさめに、なりません」

「うん、そうだったねぇ。フィリッツ殿下があまりに違っていてびっくりしたかい?」

「はい」

「十年前の私の即位式の時にはお伽話から出てきたような美少年だったものなぁ」

「やはり、妾の記憶違いではなかったのですね」

「ああ、色白で細くてね。今はまた違った良い(おとこ)になったね」

「……」


 クリストファーは黙ってしまったリルリアンナに、そうだなぁと顎に手をやり、リルーは今のフィリッツ殿下はだめかい? とさらりときいた。


「いいえ」

「政治的な事は抜きにしていいよ、今は私とリルーしか居ないから」


 いつの間に人払いをしたのか、謁見の間には兄と妹の二人だけだった。


「いいえ、嫌では……ありませなんだ」


 不快な人々は、手の甲にキスをされただけでも嫌な感じがする。

 ずっと手を握られたり、ねっとりと手の甲に触れられたり。

 だが、フィリッツ殿下はごく自然に軽く触れ、そっと手を離した。


 目礼した時の気遣うような目をリルリアンナは思い出す。

 その灰緑色の瞳は、記憶と違いはない。


「こんな無作法な妾にも優しくして頂けた。得難い方だと思います」

「そうじゃなくてさ」


 クリストファーの言葉に妹は兄を見る。

 兄は、こういう事を言うのはやっぱり複雑なんだなぁ、娘親でなくてよかった、と苦笑しながらもリルリアンナに言った。



「フィリッツ殿下とキス出来そうかい?」



 リルリアンナは、聞いた瞬間、ボンッと音が出そうな程の勢いで顔を真っ赤にした。


「あ、大丈夫だね、よしよし」

「あ、あ、あ、兄上っっ!!」

「よかったよかった、これで安心してフィリッツ殿下にリルーを任せる事が出来るよ」

「いいいきなり何を……あにうえっ!!」

「どうどう、落ち着いてー。でも、うん、やっぱりリルーには〝アレ〟が必要そうだ」

「〝アレ〟?」


 クリストファーは玉座から立つと、ドア近くのサイドテーブルに置いてある分厚いピンクの本を持ってきた。

 手渡されるとズシっと重く、金字に達筆な横文字で〝ホニャ=ラーラの指南書〟と書かれている。


「ババさまが送ってきた〝ホニャ=ラーラの指南書〟リルーのと一緒に私にまで送ってきたよ、おせっかいというか、なんというか。相変わらずのババさまだ」

「ピルーを使って私にも送った旨の手紙を下さいました」

「あー、うん、分かった、よっぽど読ませたいんだな」

「相分かりました、読んでおきます」

「でもね、リルー。書いてある通りにしなくてもいいからね?」

「何故です? 今までもババさまから送られてくる指南書はとても為になるものばかりでした」

「や、今回はなんというか、眉ツバモノに近いと言うか」

「?」

「恋の指南書だからさ、やった所で」

「コイ?」

「あ、そこからー? うーん、ま、それは侍女たちに聞いてみてよリルー。彼女らの方が詳しいからさ」

「兄上、投げましたね」

「うん、ほんと、娘親にはなりたくない」



 かくして兄から渡された〝ホニャ=ラーラの指南書〟を読み込んでいくのだが、恋をしたことがないリルリアンナにとっては読むだけでも難解な指南書となっていくのである。





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