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21 フィリッツ、リルーのいろいろな事を心配する。

 



 緊張し、頭突きも相まってふらふらしているジルの手を引きながら歩くリルリアンナを見ながら、フィリッツは内心胸を撫で下ろす。


 露店商達よりも身分の高い騎士が、少年の為に後ろで頭を下げる。

 ジルの後見を見せつけるには派手に、かつ真剣に見える形がいい、とフィリッツが提案して試した策だったが、一か八かの博打ものであった。


 野菜屋の女店主はともかく、焼肉屋の店主は正直読めなかった。前回刃物まで持って店から出てきたのだ。本人の怒りを収める為に、二、三発食らう覚悟をしていけ、とバザールに入る前にジルには言い聞かせた。焼肉屋だけでなく各店主にその可能性はある、という事も。


 顔面蒼白になりながらも頷いて歩き出したジルを、リルリアンナが黙って見守る事が出来るかというのも心配の種であった。

 最後の最後には飛び出してしまったが、結果として説得出来たので良しとする。王としてはそう思うが、夫としてはハラハラし通しだった。


(あの、最終的に感情のままに動いてしまう癖、どうにか諭さないとな……)


 冷静な目で状況を把握も出来るのに、目の前で有事があると身体が動いているのだろう。それはリルリアンナの長所であり短所であった。


「マーチン食堂へ報告し、ジルを家に送ったら領事館にいかねぇとな……」


 ぼそりと言ったフィリッツに、ジョセフがすっと横に連なった。


「子供のやる事だから、と胸にしまった店主も居たようですけれど、ほとんどの店主はリールの領事館に苦情を訴えていましたねぇ」

「ルイス、以前になにかそれを示唆する報告は上がっていたか?」

「実は影からは上がっていました。今回の視察で現状を把握してから報告する予定でした、申し訳ありません。しかし肝心のアーセナルからは何も」


 ルイスもフィリッツの片側に寄り、小声で素早く応える。

 ああ、そういう事か、とフィリッツも頷く。いくら現場で声が上がっていても、正式な申告がなければこちらは動けない。申告に値する案件なのか、ルイスも見極めようとしていたのだろう。


「リールで止まっていたのか、それともアーセナルで止まっていたのか」


 フィリッツは誰に言うでもなく呟くと、ルイスが、経験上、アーセナルの可能性は低いです、と同じく前を向いて言った。

 ジョセフが肩をゆらす。

 どこも役人は一緒ですねぇ、と人の悪い顔をして笑った。


「そういえば、ローツェンでもあのような武勇伝を? 頭の下げ方が様になっておられました」


 ルイスが面白そうにフィリッツに問うと、本人よりも先にジョセフが横から顔を出して片眉をあげた。


「バロック領には酒にしたたかに酔ったご子息がおりましてね、酔っ払いの客が給仕にちょっかいを出したのを止めたはいいが、輩に一発顔に食らったのをきっかけに店内で大暴れ」

「おお」

「翌朝隊長と共に謝罪と賠償金を持ってひたすら頭を下げるというねぇ。まさに武勇伝」

「飲んだら飲まれるなという教訓のような出来事を既に体感されたのですね」

「さらに別の宿屋では」

「ジョセフ、いい加減黙れ」


 主人の唸るような低い声にジョセフはひゅっとルイスに向けていた首を引っ込め、ルイスはすみません、と苦笑して謝った。


 そうこうしているうちに一行はマーチン食堂の前に着くと、扉はなぜか開け放たれていて女将が所狭しとテーブルを拭いて回っていた。


「あの……」


 てっきり説得にまた時間がかかると思っていたリルリアンナが戸惑いながら声をかけると、女将が汗を前掛けで拭きながら、ああ、無事に帰ってきてよかった、とにこやかに近付いてきた。


「どうだった、殴られてない? おでこが赤いね、それだけ? 大丈夫?」


 矢継ぎ早に質問する女将に、ジルは目を白黒させながらこくこくと頷いている。


「うちはどの子もまず皿洗いや、店の掃除から。忙しいからキツイよ? 賄いはおかわり自由。賃金は一月後に渡す形。夜もやっているけれど、子供だから働くのは日中だけ。それでいいかい?」

「女将」


 リルリアンナも呆然と女将を見ると、ふくよかな身体をふふふと揺らしながら、肩をすくめてごめんなさいね、と手を顔の前で合わせて謝った。


「うちの人がね、戻ってきたらどうであれ雇ってやれって。もう、最初からそのつもりならそう言えばいいのに。大喧嘩しそうになったわよ」


 ジル達が厨房を見ると、大柄な主人はこちらを見る事もなく忙しそうに働いている。


「ジル……」

「ね、ねーちゃん……」


 道中手を握りながら、どう断られても雇ってもらおう、とジルに言い聞かせ、金色の目がきりりと上がったのを見てリルリアンナも意気込んでいたのだ。

 妾も必ず説得してみせる、と誓っていたリルリアンナは思わずジルを抱きしめた。


「よかった……よかったな、ジル」

「ふ、ふが、ふがふが」


 ジルの頭がちょうどリルリアンナの胸の谷間にあたり、頭を抱え込んで抱きしめるものだからジルは苦しそうにもがいた。


「リルー、それぐらいにしとけ」

「ぷはっ、ねーちゃん、しぬっ」

「す、すまぬ」


 フィリッツがおもむろにリルリアンナの両腕を掴んで万歳よろしく引き離すと、ジルも身体を引いて大きく息をついた。


「あれ、絶対嫉妬ですね」

「ええ、先越されまいとねぇ、見てられませんねぇ」

「うるせぇ、俺はそこまで心の狭い奴じゃねぇ!」


 ルイスとジョセフの容赦ないつっこみにフィリッツが噛み付いていると、両腕に袋を鈴なりに持ったソフィアがよれよれと遅れて店に入ってきた。


「ちょ、ジョセフ殿、ひどいです、いつの間にかあれもこれもって私に持たせて……あ、ジル、どうです? え、雇ってもらえる事になった?! 凄い! やった!!」

「あ、ばかっ」

「うわ、やったっ」


 なりふり構わず両手を思いっきり上げてしまった為に、ソフィアの手に持った袋から野菜やら果物やらがぽーんと勢いよく飛び出した。いつもは慌てる事のないジョセフとルイスが叫びながら、曲芸師よろしくなんとか品物を床に落とさずに死守する。


 す、すみませんっ! と身体を縮めるソフィアに、両手いっぱいにりんごを抱えたジョセフがゆらりと目の前に立ったかと思うと、後で一杯奢って下さいねぇ? と口元だけ笑いながら俯いている顔に対して腰をかがめて覗き込んでいる。


 ルイスは根菜類を全て机に置き、これ、ここで使って下さい、と女将にいいながら、ソフィアには追追追加訓練ですね、と笑っていない目でさらりと振り返る。


「ソフィアのねーちゃん、意外におっちょこちょいなのな」


 ジルのくったくのない的を射た言葉に、どっと周囲が笑うと、ソフィアはす、すみません、とさらに小さくなりながら、ふ、普段はこうではないのですが……と自分では納得いかないという顔で首を傾げた。


「にゃんにゃんになってから調子が狂っているのかもしれんの」

「と、すればジョセの責任だな」

「人聞きの悪い。私は何もしてませんよ?」

「にゃ、にゃんにゃんってなんでしょう……?」

「帰ったら座学で指導します」


 リルリアンナが思わず言ってしまった言葉を、ここぞとばかりフィリッツが拾ってジョセフに投げるが、百戦錬磨はどこ吹く風。

 何も知らないソフィアへ容赦なきルイスの言葉にソフィア以外の一同また笑うと、女将さんと主人に、明日からよろしくお願いします、と全員で一礼して、マーチン食堂を出た。


「よかったな、ジル。お母上に胸がはれる」

「うん!」

「きっとご安心なさるでしょうね」

「賄い付きですしねぇ」


 前を歩くリルリアンナとジル、ソフィア、ジョセフの会話を聞きながら、フィリッツはさりげなく距離をとってルイスに小声で尋ねる。


「リルーに、ジルの母親の現状は言えたのか?」

「いえ、今朝は報告する前にジルが来てしまったので」

「そうだったな」


 リルリアンナにジルの母親の件を言う間もなく今に至ってしまったのは仕方がないとして、どの道分かるジル達の現状を見て何を思うかを想像したフィリッツは、小さく息を吐いた。


「母親にも入れ込み過ぎなければいいが……」

「はい」


 囁くように呟くと、ルイスが横で口元を引き締めて頷いた。


 雲一つない青空の下、足取り軽く前を行くリルーの楽しそうな背中が眩しい。

 この行き道と状況を見た帰り道の背中の違いを想像すると口がじわりと苦くなるが、何があっても支えるだけだ、とフィリッツは首を横に振って思い描いた残像を消した。


 その様子に気づいたルイスが、こちらを見て微苦笑し、意思を持った切れ長の目で目礼をしたので、フィリッツも黙って頷き、大股に歩いてリルー達の後に続いた。





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