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1 リルーは化粧が嫌い。

 



 春の穏やかな風が吹いていた。


 丘の上から見える緩やかなに流れる白い雲と澄んだ青空、地平線まで続く広大な牧草地に佇んだ豊かな黒髪の少女は、ピルーと鳴いて上空を飛んでいる青い鳥を見ている。


 ピューイ ピューイ


 少女が口笛で呼ぶと鳥はすぐに降下をし、瑠璃色の羽を羽ばたかせて左腕に留まる。


「お帰り、ピルー。疲れたか?」


 優しく声を掛けながら人指し指で頬を撫でると、ぴるる、と嬉しそうに喉を鳴らす。

 しばらくピルーが落ち着くまで頭や腹を撫でてから左足につけてある小さな筒を外して極細の巻紙を開いた。


「うん? 本を送った? ババさま、届いておらぬぞ?」


 思わず呟いた時、姫さまー と遠くから呼ぶ声が聞こえた。


「悪い、ご苦労だったな。羽を休めるのだぞ? また頼む」


 もう一度だけ頬を撫でてやり、左肘を少しだけ上げて飛びやすくしてやると、ピルーはまた羽ばたいて森の方へと飛んでいった。


 柔らかな日差しを手で遮りながら、迷いなく飛ぶその美しい飛行を見送ると、少女はきゅっと口を結んで踵を返した。




 ****




「姫さまっ どちらに行かれていたのですか! 本日、フィリッツ殿下がご登城なさるというのは前々から言ってありましたのにっ」


 勝手口から怒号飛び交う厨房の脇を抜けて中庭に面した回廊を歩いているところで、大きなお腹を抱えながらも足早に歩いて来た第一侍女イレーネはリルリアンナの手を失礼っ、と掴む。


「そないにせずとも逃げやせぬ」

「信じられますかっ、緊張で居ても立っても居られなくお部屋を抜け出した事、このイレーネ、分かっておりますよっ! アニタっ、姫さまのお癖は伝えておいた筈です。あなたが目を離してどうするのですっ」


 イレーネは十歩も遅れて走って来た新米第二侍女のアニタに叱責を飛ばす。

 はいっ、申し訳ありませんっと新米侍女は頭を腰まで深々と下げて謝っている。


「そう声高に叱るな、アニタの目を盗んで外へ出たのは(わらわ)じゃ」

「そのように気遣うお気持ちがあるならばご自身の行動を自重して下さいませっ」

「これは手厳しいのぅ」


 イレーネは身体を左右に振りながらずんずんと歩いて階段を登り、王宮内最奥の二階の角にあるリルリアンナの自室に入った。

 そして有無を言わさずリルリアンナを鏡台の前に立たせると、ばっさばっさと普段着のドレスを脱がせて宮廷公式の装いであるハイウエストのドレスを着つけていく。


 エルムグリン王国の基色である緑にちなんで若草色のドレスに胸の下に光沢のある乳白色のサッシュを巻き、両肩にマントの代わりの金糸のつる草の刺繍の入った薄いベールをつけると、リルリアンナは少女から淑女の装いになった。


 イレーネは手を止めずに今度は椅子に座らせて、前髪を横に流して器用に編み込んでいく。ハーフアップに編み込んだ後、光の加減によって黒とも紫とも輝く黒髪を後ろに回ったアニタも丁寧にブラッシングしていった。

 髪を任せたイレーネは今度はパタパタと光沢のある粉をリルリアンナに顔から首、胸元、肩口まではたいていくと、淑女は途端に顔をしかめた。


「あまり、派手な化粧は好かぬ」

「好きではなくても慣れて下さい。妃殿下となられたあかつきには公式の行事は今までの二倍ですからっ」

「王妃になる事はやぶさかではないのじゃが、粉の匂いがどうにも好かん」

「我慢して下さい、フィリッツ殿下の為です」

「うむー、殿下の為ならば、仕方ないの」


 まだ見ぬ婚約者の事を言われると弱いリルリアンナは、素直に目元と口元の化粧に応じた。

 全ての支度を終えて、アニタの持つ全身を写す姿見で全方位から見てチェックをすますと、イレーネはちょっと失礼します、と鏡台の横にある小さな椅子に腰かけた。


「あちらのソファに座ればいいだろうに」

「下々が主人を差し置いて座れますかっ」

「身体が辛い時に上も下もあるか」


 リルリアンナはそう言うと、イレーネの太くなった腰をいたわって立ち上がらせ、近くの肘掛け椅子に座らせて、自分も隣に座る。

 アニタがクッションを何個も持ってきて、背もたれの角度を和らげるようにイレーネの腰に当てた。

 イレーネも我慢していたのだろう、少しだけ小さく息を吐いた。


「申し訳ありません、このような大事な時期に」

「案ずるな、まずは無事、ややこを産む事だけを考えればよい」

「産んだらすぐに戻ってきます」

「イレーネは自分の身体を労わるという事を知らんのか?」

「姫さまが心配なんですっ」


 少し涙目になりながら訴えるイレーネは今月が産み月だった。もっと早く休めというのを本人の意思で伸ばし伸ばしにここまで働いていたのだ。しかし身重の身体で動くのにも限界があり、今日を境に一旦王宮を下がる事になっていた。


「アニタがおる。それに近衛隊の方からも女騎士を配属してもらうように手配してもらった。大丈夫じゃ」

「お肉、好き嫌いなく食べられますか」

「う、うむ」

「野菜だけでなくお肉も食べないとお肌とお胸が育ちませんからね?」

「た、食べる。だーいじょうぶじゃ、な、アニタ」

「は、はいっ」

「お菓子もほどほどに。食べ過ぎると太りますよ」

「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ、殿下の好みはばばーん、ぼぼーんだと影が言っておった」

「腰のくびれのないものに食指はわかぬ、との情報も入手しております」

「うぐっ……善処する」


 美しく整った顔をしかめながら頷く王女を見て、イレーネはやっと安心のため息を吐く。

 と、ぽこんとお腹の中の赤子が腹を蹴ったらしく、イレーネの太鼓のようなお腹がふるんと震えた。


「あ」

「今、蹴ったな、触ってもよいか?」

「はい」


 ぽこぽこぽこぽことまるで走っているがごとくにイレーネの腹が震える。リルリアンナは微笑みながらその腹を優しく撫でた。


「元気に生まれて来るのじゃぞ? 男でも女でも良いから、無事に生まれて来いよ? お母上を苦しめるなよ?」

「リルーさま……」


 リルリアンナはにっこりとイレーネを見て微笑むと、ぎゅっと抱きしめてぽんぽんと肩を叩いた。


「こちらの事は案ずるな、今からは自分と自分の子供の事だけを考えるのじゃ。では、行ってくるからな」


 足音と共にノックが鳴り、近衛騎士の呼び出しの声が朗々とドアの向こうから聞こえた。


 リルリアンナはさっと立ち上がりドレスの端を揃えて背筋を伸ばすと、涙ぐんだ第一侍女、緊張の為青ざめた第二侍女に見送られて自室を出、近衛騎士の先導と共に謁見の間へと歩いていった。






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