18 フィリッツ、リルーの寝顔を眺める。
お前らの所で寝させろ、と言っても、主人と同室なんてバレたらおまんま食い上げですねぇ、とか、緊急時以外はご遠慮いたします、とか、もっともな事を言いながらこちらを見てニヤニヤ楽しんでいる側近達に見切りをつけて部屋に戻った。
リルリアンナがよく眠れる様にランプの灯りを消して出たので、室内は月明かりしかなく、藍色に染められている。
川に近いからか、夜の刻が進むにつれこの中も冷えたのだろう。リルリアンナは身体を丸くして横になって寝ていた。
ベッドに入り、体の下にいってしまった掛布を起こさない様に慎重にたぐると、ん、と身じろぎをしてフィリッツの方へ寄ってくる。
おかげで掛布を全身にかける事は出来たが、今度は身体が密着して離れない。
フィリッツは、深いため息をつくと、自身の前髪をくしゃりと掻いた。
リルリアンナの髪を梳きたくて手をやると、感触の違いと短さにドキリとする。
「かつらか……」
まだ暗闇に目が慣れていないとはいえ、リルリアンナのあの豊かな長い黒髪を想像してしまったのは、フィリッツの酔いがだいぶ回っている証拠だ。
手慰みに頬に触れると、んーん、とあどけない声がした。
「あどけないんだよなぁ」
フィリッツは暗がりでも月のわずかな光で浮き上がるリルリアンナを見つめる。
黒い大きな瞳がまぶたで閉じられていると余計に幼さを感じる顔は、小さな口を薄く開けてすうすうと安心したように眠っている。
フィリッツに見せる顔は、執務室の告白以来年相応のあどけない姿ばかりで、ずっと今まで守られて生きてきた姫なのだと思っていた。
しかし地図を指しながら見せた顔は、先王クリストファーが執務室で見せた表情に酷似していて、感情を抑えて事実だけを述べていく姿は紛れもなくエルムグリンの中枢を担う者。
「俺に見せている顔が、特別なのかもな……」
以前、ピルーを放ちに一人で行動している姿を見て何も思わないルイスに違和感を感じたが、あの行為が国防も兼ねているのならば、敢えて自由にさせていたのにも納得がいく。
理由を知っている者は静観し遠くから見守り、理由を知らない者は慌てて探す。
全ての者に本当の事を言う訳にはいかないから、リルリアンナも悪いと思いつつもそのままにしているのだろう。
「ううん……」
少し肌寒さが落ち着いたのかリルリアンナは身じろぎをして仰向けに寝たので、フィリッツは下にずれてしまった掛布を肩にかけた。
うっと少しだけ眉をひそめた彼女を安心させるように肩に手を当て、ゆっくりとさすってやると、やがてだんだんと穏やかな表情になり、また、すぅ、と寝入っていく。
この小さな肩に相当な重圧がのしかかって居たのだ、とフィリッツは思う。
国を、国民を想う気持ちと、為政者として行動しなければならない現実。それに耐えられず拒否反応を示す身体。その事実に、リルリアンナが情け無いと思わない訳がない。
そして、その姿もフィリッツに見せねばと思っていたのだろう。
「俺と一緒に居たくて、視察に付いて来たいと言ったのだと思っていたぜ? こんな浅はかな俺でいいのか? といっても、もう離れられないけどな……」
離れたくない、と泣いたリルリアンナと、実は同じ気持ちでいるのに言葉が出ず、苦しまぎれに口付けた。
泣き止ませる為に触れた唇は以前よりも甘く、喘ぐ吐息に堰き止めていた自制心が取り払われてしまった。
「もう、無理だなぁ」
これ以上離れているのは難しそうだった。
リルリアンナを姪のようには思えなくなってしまった。
即位してから二月と持たずに少女を女として見る自分の浅ましさにため息が出る。が、それが正直な思いだ。
「まぁ、いいか。どちらにしろもう夫婦だ」
フィリッツは滑らかな頬を再び撫でる。
むずがるリルリアンナは子供のようだ。
その愛らしい姿を毎日でも見てみたくなってしまった。
王宮に戻り、寝室を共にする、と言った時の臣下達の生暖かい目を想像すると叫びたいぐらいの羞恥が走るが、それを耐えてでもリルリアンナとの時間が欲しくなったという事だ。
「王宮に戻ったら、閨を共にしよう」
返事のない妻にフィリッツはそう囁くと、ぐるっと自身の身体を反転させ、腕をきつく組んだ。
眠れるか眠れないか見当もつかない長い夜を耐えるために、大きく息を吐いて、目を瞑った。
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「……か、陛下……」
ぺちぺちと何か柔らかいものが顔に当たって声まで聞こえてくる。
叩かれている感触がむず痒くて、うーん、と腕を払うと、やっ、という声と共にふにんと柔らかいものが手の甲に当たった。
「ん?」
むくっと頭だけ上げて横を見ると、真っ赤な顔をしたリルリアンナが胸を隠すように手で押さえて腰が抜けたように座っている。
服着てるのになんで隠さなきゃいけないんだ?
そもそもなんでリルーがここに……
「うわあぁ! リルー! すまん、手が当たったか? 当たったんだな? すまんっ、痛くなかったか? 俺は役得だが……て違う、そうじゃなくて」
「へ、陛下、閨は夜にやるものだって、聞いたし、ホニャ=ラーラにも書いてあったのじゃがっ」
「いや別に夜に限ってって訳じゃ……って違う! えーっと、待て、落ち着こう、怪我はないな?」
「大丈夫、びっくりしただけじゃ……」
しどけなく横座りして、頬を染めながら胸を押さえているリルリアンナの姿はフィリッツの頭を朝からぐらぐらさせた。
またシャツが第ニボタンまではだけているのがいけない。少しだけ浮いた鎖骨と小ぶりの谷間が見えそうで見えなさそうで目が吸い寄せられていく。
(ダメだダメだダメだ! 王宮に帰ってからだっ!)
バチンッ と自分の顔を叩くと、むくりと起きてリルリアンナに背を向けてあぐらをかき、リルー、とりあえず胸のボタンを留めてくれ、と唸った。
「わ、わかった」
衣擦れの音が、また艶めかしい。
(あー……! 勘弁してくれっ!)
「リルー!」
「は、はいっ」
「大丈夫だから」
「な、なに、なんじゃ?」
「一緒には寝たが閨は共にしていない」
「あ、そ、そ、そう……か」
明らかに落胆した声に、フィリッツは少しだけ顔をリルリアンナに向けて、言い訳のように言った。
「疲れが出たんだ、寝てしまったからな。気にするなよ? また、機会がない事も、ないからな?」
「へ、陛下、そ、それって帰ったら閨の渡りがあるって事か?」
「あ、いや、その、じ、時間が作れたら……な」
「陛下っ!」
とすんっ と背中に温かく柔らかな感触が伝わると同時に、腹に回された手がぎゅうっとフィリッツの服を掴んだ。
ぐりぐりと頭を押し付けてくるリルリアンナに、フィリッツはぽんぽん、と白くたおやかな手を優しく叩いた。
自分の胴も周りきらない腕の少女に、あの行為を受け止める事が出来るのか非常に不安ではあるが、とりあえず優しくいこう、と固く心に決めるフィリッツ。
「とりあえずな、王宮に帰ってから、な」
「うむっ!」
弾んだ声に腹の底からじわりと暖かい想いが広がってきた。
(これが、愛しい、という事なのかもな……)
柄にもなくそんな事を思いながら、さ、朝飯食いに行こう、ジルをなんとかしないとな、と声をかけて、惜しみながらもリルリアンナの腕をゆっくりと外した。




