14 フィリッツはまたしても口を滑らし、リルーは冷える。
宿屋について各部屋で軽装になった後、ソフィア以外の一同は主人であるフィリッツの部屋に集まった。
ソフィアは宿の玄関に入ったとたん、ほっとしたのかずるずると腰くだけになって、もーねるでしぃ、と床に寝転びそうになったので、ジョセフに抱きかかえてもらって、女人用に取った二人部屋のベッドに転がしてもらったのだ。
フィリッツはまずアーセナル領の領主宛にリーヌ川に橋を渡す受諾書にサインをし印を押して、その際に石造りのもので造るように一筆したためた。翌朝、この街の領事館に届ける事にする、と周知してテーブルの上を片付けると、さて、と床に座っている少年に目を向けた。
「今度は君の処遇だが」
少年は日焼けした顔を横に向けてあぐらを組んでいる。両手を脇の下に挟んで黙っているあたり、逃げるのは諦めたがこちらへの警戒は解いていない、といった所だ。
フィリッツは一つ咳払いをすると、椅子から立ち上がって少年の前にいき、自分も床にあぐらをかいた。リルリアンナもそっと側に来て、同じように膝をついて座る。
「今日の盗みに関しては不問にしてもらった。収めてくれたのはここにいるリルーだ。何か言うことはないのか?」
猫のように目ばかり大きい少年はぎりっと歯ぎしりをさせてカサカサの唇を噛んでいる。
「見たところ痩せているし……盗んだ物を自分で食べている訳ではないようじゃ。何か理由があろう?」
リルリアンナも言葉を紡ぐのだが、少年はただ黙って横を向くばかりだ。
少年が逃げないように両脇に立っているルイスとジョセフは目線を合わせて肩をすくめあった。
「言いたくない、か。ま、それなら話が早い。詰所に連れて行くだけだ。罪状を洗いざらい吐いて、相応の刑をくらって、表に出てくるのは三月後か四月後か」
「嫌だっ!」
「嫌なら訳を言え。理由によっちゃあ見逃してやるって言ってんだよ」
フィリッツのあけすけな物言いにリルリアンナが目を丸くして見ていると、ジョセフが、すみませんねぇガラが悪くて、と茶々を入れた。
「いや、うん、まぁ、妾も同じ気持ちじゃからいいけれども」
「バロック領でかなり揉まれたのですね。頼もしい限りです」
「私達も一緒くたに働かされましたからねぇ。同じ釜の飯を食えば上下も薄れるという。良いんだか悪いんだかですよ」
リルリアンナの呟きに、ルイスがおお、と頷き、ジョセフが肩をすくめながら言うと、フィリッツが俺の事はいいからちょっと黙れ、と噛み付いた。
側近二人はすっと黙って胸を叩いて応じる。
ルイスとジョセフの息が気持ちいい程に合っているのを見て、リルリアンナはくすりと笑った。
「ルイスとジョセフ殿の息が合ってきたな。良いことじゃ」
「良くない。俺の立場がない」
ブスッとして明後日の方向を向いたフィリッツを見てリルリアンナはこれはかなり普段からしぼられていそうじゃ、と苦笑し、改めて少年の側により、ここらでは珍しい金色の瞳に目を合わせた。
「そなたが話さぬのならお父上かお母上に事情を聞かねばならぬ。それは流石にいやじゃろう?」
「……父ちゃんなんていねぇ」
「では、お母上に。日も暮れたし、心配なさっていると思う。こちらとしては事情を聞いて、そなたの状況を打破したい」
リルリアンナの言葉が難しいのか片眉を上げて黙っている少年に、フィリッツも目線を戻して補足する。
「このままだといずれ捕まって、殴られるのを通り越して殺されちまうかもしれないって事だ。盗み過ぎてかなり恨みを買っている。そうはさせたくない」
フィリッツとリルリアンナの真剣な表情に、少年の槍のような尖った瞳が戸惑ったように瞬いた。
「兄ちゃん、姉ちゃん、なんでそんな風に言ってくれんの? 今まで誰も助けてなんかくれなかったのに……」
ぽつり、と言った言葉は思いの外頼りなげで、見た目よりも少年を幼くみせた。
「あー、まあ、困った奴を助けるのが、仕事、かな?」
「そうじゃな、そなたのように必死な顔で盗んでいる者を放ってはおけぬ」
「イタズラならげんこつ一発なんだがな、そうでもなさそうに見えた」
うんうんと頷く二人を見て、少年はだんだんと肩を落として、俯いた。
「母ちゃんの、体が悪いんだ。寝てばっかで仕事にも行けなくて」
「近所の人は助けてはくれないのか?」
「俺たちよそ者だから」
フィリッツの言葉に少年は肩を落としたまま頭を振った。
日に焼けて色が薄くなっているのかと思っていたが、少年の髪の毛はエルムグリンに多いブラウン系ではなく、よく見れば銀色に近い。
「ボルカベア人の血が入っているのかもしれませんねぇ、瞳も金色ですし」
「肌の色はエルムグリンの血筋です。おそらくハーフなのでしょう」
ジョセフが顎に手を当てながらさりげなく言うと、ルイスもさっと少年に視線を落として私見を述べた。
側近達の言葉に、フィリッツは即位式に来ていたボルカベア王国からの使節団を思い出す。
屈強な体躯と共に目立ったのはその姿形。
エルムグリンからみて〝天を衝く山〟山脈を挟んで北東に位置する山と海のみの国ボルカベア王国の人々は、銀髪や金髪に金色の瞳をもち、暗褐色の肌を持っているのが特徴だった。
少年の髪色と瞳はおそらくどちらかの親がボルカベア人だということを指していた。
しかしそれは、港町でもないエルムグリンの内地に位置するリールの街では奇異に見られることも少なくない。
交易の多い街ではいろいろな国から旅人として往き交いがあり、住んでいる住民も慣れているが、リールはまだほぼエルムグリン人で占められている保守的な街だった。
「うーん、親が働けないんだったら、お前が働くしかねぇな。働く気はあるのか?」
フィリッツは腕を組みながら少年を見ると、銀の頭が力なく横に振られる。
「あるけど、どこも雇ってくれない」
まだ少年であり、しかもここらでは見ない容姿。リールの街の住民が躊躇するのも分からなくもなかった。
「それで盗みか」
リルリアンナはそっと頷いた。
おそらく少年はいろいろな所に雇ってもらえるように訴えたのだろう。
しかし、保守的な人々は首を縦に振らなかった。そして次第に蓄えが尽きたのだ。住んでいる街の店先の物を盗んだらこの街から居られなくなる。一月に二回ほど開かれるバザールに目をつけて、出来るだけここで蓄えられるぐらいの食料を盗んでいたのだろう。
「よし、妾がそなたを雇ってもらえるように知り合いの店に頼んでみよう。その代わり、もう盗みは絶対やめるのじゃ。約束出来るか?」
「や、雇ってもらえるならもちろんっ! 俺、なんでもやる。なんでもっ!」
リルリアンナの言葉に少年はがばっと顔を上げた。目を見開いて口をへの字にしている。
「相、わかった。今日は遅いからまた明日、この宿に来るのじゃ、分かったか?」
「あ、りがと、姉ちゃん」
少年は口をへの字のまま、がばりと頭を下げ、そのまま動かなくなってしまった。
身体を小刻みに震わして、じっと嗚咽を堪えている。
フィリッツは苦笑し、少年の頭を大きな手でぐりぐりと乱暴に撫でる。
「そうと決まれば腹ごしらえをしよう。あとついでに風呂もここで入って帰れ。お前、だいぶ臭い。女にモテねぇぞ」
「フィリッツ殿……モテたいのか?」
リルリアンナがしゅと目を細めたので、フィリッツは慌てて、た、例えだ、というかこいつに言っただけで、俺の事じゃない、としどろもどろに顎を引く。
「バロック領で訓練の後に隊長に言われていた言葉ですねぇ、お懐かしい。ちゃんと身綺麗にして酒場に行っていましたから、フィリッツさまはおモテになっていましたねぇ」
「あ、やはりモテていましたか。さすが陛……いえ、フィリッツさま」
「ばっ! ジョセっお前っ!! ルイスも何言って」
「ほう、そうか」
リルリアンナの声音が凍えるような温度を帯びて下がったのを見て、フィリッツはさっと立ち上がって少年を引き上げた。
「風呂! 風呂、先に行こう、な? それから飯だ。そうしよう。俺はこいつと先に行っている、また後でなっ、じゃな!」
そう言いながらフィリッツは少年の身体を脇に抱えたかと思うと、誰の返事も待たずに風のように部屋を出ていった。




