13 リルー、少年を捕らえる。
少しずつ西日が差してきた表通りを二人、来た道を戻るように歩いていると、前方にある屋台からドロボォォーー‼︎ という甲高い声が聞こえた。
「またか、もしや……」
「前にもあったのか?」
「果汁を買いに行った時に」
リルリアンナが眉をひそめながら説明しようとした時に、風のように走ってくる少年が見えた。
「フィリッツ殿」
「ああ」
リルリアンナが先に歩きながら、疾風のごとく脇を通り抜けようとした少年の足に向かって自分の左足を、トン、と出した。
「っわ!!」
突然差し出された足に見事に引っかかって、少年は上体が前へつんのめり、ゴロンゴロンと土ぼこりを上げながら転がる。
だが少年も身体のバネがいいのか、転がった先で身を起こすとまた直ぐに逃げ出そうとした。
「うわ、離せっ! 離せぇっ!!」
しかしリルリアンナとは数歩離れて歩いていたフィリッツがむんずと首の後ろの服を捕まえたと思うと、すぐに少年の脇に腕を入れて羽交い締めにして捕まえる。
バタバタとフィリッツの足を蹴って逃れようとしているが、解けるはずもなく、ばらばらとポケットの中から根菜類が落ちていく。
リルリアンナがそれを一つずつ拾っていると、後ろから中年の女が走ってやってきた。
「旅の方、ありがとうございますっ! こぉのクソガキィ!! 今日という今日は許さないよっ」
髪を振り乱して忿怒の表情で少年に迫る女に、リルリアンナが間に入った。
「女将、この少年に盗みに入られたのじゃな?」
「そうさ! 昨日は取り逃がしたが今日は勘弁ならないよ! 丹精込めた野菜たちをちょろまかして、子供だからって許させるもんじゃないよっ」
「俺もさっきやられたんだっ、このガキ、忙しい時間を狙いやがってっ」
リルリアンナが見た時に盗まれた店主だろう、肉を切る大振りのナイフを持ち出して来ていた。
俺は先月やられた、昨日勘定が合わなかったのはこいつの所為かもしれねぇ、と野次馬も集まってきて不穏な気配が漂う。
(まずい、嫌な空気じゃ)
この少年は何度も盗みに入っているんだろう。店主達の積もり積もった恨みのようなものが背中から出ているようだった。
「すまない、少し急ぐ旅なんだ。俺達が領主兵に引き渡す。それで収めちゃくれないか」
場の雰囲気を察したフィリッツがすかさず朗々とした声を上げる。
フィリッツの言葉に集まった店主達はそうは言ってもっ、とざわめいた。
リルリアンナもフィリッツの隣に立って言葉を紡ぐ。
「野菜売りと焼き肉の店主の件はわら……私も見ていた。その他の店主らの件は領主に言って欲しい」
「領主兵に引き渡す時に俺達からも言っておく。ほら、夕刻にはここも閉まるんじゃないのか? 稼ぎ時を逃がすぞ?」
リルリアンナの正論には納得のいかない顔をしていた野次馬達は、フィリッツの実利を逃すという言葉にはハッという顔になり、少しずつ離れていく。リルリアンナは感謝を込めてフィリッツに頷くと、それでも怒りが収まらない顔で残った野菜売りと焼き肉店の店主に小声で告げた。
「あの子が盗んだ分を私が払う。それで収めてはくれないか?」
「そりゃ、それならいいですけれど……」
野菜売りの店主はそれで溜飲を下げたが、焼き肉店の店主はガタイの良い腕をぶるぶる震わして、俺ぁ何回もやられてんだ、我慢ならねぇっ と低く唸った。
ナイフの切っ先も少年に向けたまま詰め寄りそうな雰囲気に、リルリアンナはそっと刃物を持っている店主の手首を柔らかく両手で包んだ。
「店主、怒りはもっともだ。私があやつにもう二度とこのような振る舞いをさせぬようにする。それで許してはくれまいか」
ゆっくりと、怒りに血走っている店主の目をじっと見つめて話すリルリアンナに、フィリッツは戦慄する。
激昂して刃物を振り回したら間違いなく怪我をする距離だ。
思わず羽交い締めにしていた片腕を離して後ろ手に腰にある短剣に手を当てた。
「ぐ、ぐるじぃ」
「あ、悪い」
片腕に変えて少年の脇を締めたので力の加減が出来ず首が絞まってしまったらしい。
だんだんと手足をだらんとして逃げる様子が無くなった少年の様子を見て、店主もふ、ふんっ仕方ねぇ、旅の方がそういうんじゃとナイフを持った手を下げた。
リルリアンナはほっとして、にっこりと微笑んで店主に告げる。
「収めてくれて感謝する。さ、店はどこじゃ? わら……私も一つ食べてみたい。盗まれる程の味じゃ、きっと美味しいのだろう」
「お? お、おう、そりゃあアーセナル一美味い焼き肉さぁ! こっちだ」
そういや、小腹が減ったなぁ、俺も、と呟きだした通りの人々がぱらぱらとリルリアンナと店主について行った。
フィリッツは安堵のため息をついて、最後尾を歩こうと少年を抱え直そうとすると、少年は口から泡を吹いて気絶していた。
「しまった、絞め過ぎた。ま、運ぶには丁度いいか」
そう言うと、ひょいと少年を肩に乗せて、リルリアンナが見える距離を保ちながら後について行った。
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「なんですか、それは」
呆れたようなルイスの言葉に、リルリアンナとフィリッツはそれぞれ、土産じゃ、土産だ、と同時に言った。
側近達が呑んでいるテーブルに置かれたのは、芋類の根菜と山のように盛られた焼き肉。
そしてフィリッツが担いでいる少年。
「デートをしに行って土産が食べ物と子供とは、またなんとも言えないですねぇ、何しにいったんだか」
「あー! ひめしゃま、イヤリング買ってもりゃってるー! しゅってきぃっ!」
ジョセフ、ソフィアも続けて声をかけて来たが、側近達の最後の言葉に今度はリルリアンナとフィリッツがババっとルイスとジョセフを見た。
「飲ませ過ぎだろっ」
「ルイス、ジョセフ殿も、ソフィアはおなごじゃぞ」
リルリアンナの詰るような視線に、ルイスはアッシュブラウンの短い髪に手をやって、すみません、ここまで弱いとは思わなかったもので、と柔らかく苦笑した。
一方、ジョセフはひょうひょうと手元の杯を空けている。
「ソフィア殿は一杯でこの調子ですよ、安上がりで羨ましい」
「馬鹿っ、お前が普段飲んでる酒でも勧めたんだろっ! そんなキツい酒、一発でへべれけだっ」
「飲んでみたいと言われたら頼むでしょ」
「どうなるか目に見えている奴がやる所業じゃねぇっ」
「へーかっ、らーいじょうぶでしからー! じぇーんじぇんよってにゃいでしゅからー!」
「……撤収じゃ」
ソフィアのにへらぁと笑った顔を見てリルリアンナが発した言葉は聞いたこともない冷えた一言で、ルイスとジョセフは、はっ、と立ち上がる。
そして直ぐに、ひめしゃまー、うでわもありゅー! きゃわいいー! いいでしゅねぇ、あいされてましゅー! いいにゃ、いいにゃー! と足元おぼつかない同僚を両側から支えて立たせ、撤収します、と空いた片腕で胸を打って応えた。
ざくざくと先頭に立って歩くリルリアンナに数歩離れて歩く夫と側近達。
「……怒ると冷えるタイプだったんだな」
「バロック領のブリザードを思い出しましたねぇ」
「普段そんなに怒らないんですけれどね。ちょっとやり過ぎました」
「ひめしゃまはやさしーれしゅよう〜」
「ソフィア殿、しぃですよー、ひめしゃま、おこってしまいますからねぇ」
「じょしぇふどにょ、ひめしゃまっていっちゃらめれすっ、ひめしゃまっていっていいのはなかよししゃんだけでし」
「はいはい」
くっくっと芋を片手に笑いながら相手をしているジョセフ。
少年を背中に背負ったルイスも、フィリッツと顔を見合わせて苦笑する。
「姫さま呼びはリルーの近しい女人だけの愛称、という事か」
「そうみたいですね、知りませんでした。可愛らしいですね」
「ああ」
こそこそと話しているのを聞きつけてリルリアンナが、なんじゃ、何か言ったか、と低い声で言うので、三人は即、なにも、なんでもねぇ、どうと言うこともないですよぅとそれぞれ叫んだ。
「ひめしゃま、みなしゃん、ひめしゃまがこあいってー!」
と叫んだよっぱらいの言葉に側に居た三人、全員で口を塞いだが、言霊はよどみなく王妃の耳に入ったらしく、ほぅ、そうか、とだけ残して、リルリアンナは宿屋の入り口に入って行った。




