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12 フィリッツ、たまらず前髪を搔き上げる。

 



 フィリッツはもう大丈夫だ、と額に当てていた杯を外して、中にある果汁を流し込むと、りんごの甘酸っぱい香りが口の中に充満した。


 先ほどから、薄く目元を赤らめながら横を向いて杯を飲んでいるリルリアンナに振り回されっぱなしでぐらぐらする。


 いつもとは違う少年のような出で立ちで迫ってこないで欲しい。どのような姿形でも、フィリッツを見つめる瞳は淡い少女のような黒めがちの紫紺。それでいて耳元で囁く言葉は、フィリッツの男心を乱す色香を無自覚に投げつけてくる。


 早期に床を共に、とは世継ぎの観点からして求められるものだとは分かってはいるが、リルリアンナ自身があまりにも初心(うぶ)な為にそうそう一足飛びに手を出すのは難しい、と自分を律しているのだ。

 しかしリルリアンナは例のへんてこな指南書を時折思い出したように使ってくる。


 微笑ましいものから度肝を抜くものまで、突然にやってくるので、フィリッツは予測がつかずくらくらし、額をどこかに打ち付けねば正気が保てない程なのだ。

 少しはこちらの気持ちも分かって欲しい。


「あー、リルー、あのな」

「なんじゃ?」

「その、例の指南書、その通りにしなくてもいいと思うのだが」

「何故じゃ?」

「俺の心臓がもたないっていうか」

「あ、妾もトキトキする」


 そういって自身の胸にそっと手を置く姿は可憐で、髪が短くなっても変わらずに可愛らしい。


「でもな、トキトキもするが、陛下と近しくなったように思えて嬉しくもなるのじゃ。

 陛下と妾はまだ一緒にいる時間が少ないゆえ」


 そう言って見上げてくる顔に、少しだけ寂しさが見える。


「閨を共に出来れば、毎日でも顔を見ることが出来るじゃろ? でもまだなのじゃろ?

 だから少しでも、一緒にいる時は、恋人のように過ごしたい。だめか?」

「い、いや、だめという訳では」

「じゃ、指南書も使っていいか? といっても、パラパラと頭の中から出てくるので仕方ないのじゃが」

「お、覚えているのか……」


 リルリアンナはこくりと頷くと昔から書物は二、三度読むと重要な所だけ頭に残るのじゃ、じゃが……とため息を漏らした。


「うん?」

「いや、実際見てもらった方が早い。今晩は閨は共にせぬでも良いので、少し話をしに部屋へ行ってもいいか?」

「かまわない。時間を作るとも言ったしな」

「ありがとう」


 そう言うと、リルリアンナは吹っ切ったようにニコッと笑って、もう少し屋台を見て回ってもいいか? とフィリッツを見た。


「ああ、側近達もまだ酔いきらないだろうしな」

「ジョセフ殿もゆっくり回ってと言っておったしの」

「あいつの言う事はほっといていい」

「仲良しでちと妬けるのじゃが」

「妬かなくていい」


 そう言って触れるか触れないかで迷っていそうな手を握って表通りへ出た。


「……なんで分かった?」

「分かるさ」

「陛……フィリッツ殿はいろいろ知っていそうで、複雑じゃ」

「俺は貴女がいろいろ知らなくてよかったと思う反面、複雑だ。でも今の貴女でよかったとは思う」

「そうか?」

「ああ」


 フィリッツが頷くと、リルリアンナはいつかみたアザレアの花の様に嬉しそうに笑った。



 ****



 一度果物の屋台に寄って杯を返してから、二人は再びまだ見ていない路地の屋台を見て回った。


 食べ物や、日常雑貨の屋台の群を抜けると、端の方に露店が所狭しと簡素な板の上に、独自の装飾品を並べていた。


 何も言わずとも吸い寄せられるようにそちらにいくリルリアンナを見て、やはり女性なのだな、とフィリッツは口を緩ませる。


「何が気になる?」

「うん……このイヤリングと腕輪が」


 リルリアンナが手に取っているのは、深緑色の小ぶりな丸い球体のイヤリングと、同じく球体が連なった腕輪だった。


「おや、珍しい、天色(あまいろ)国の方で?」


 しゃがれた声音で声をかけて来たのは、フードを被った店主だ。目にかぶるぐらいの赤茶けた白髪まじりの前髪が露天商の年季を物語っている。


「ああ、そうだ」


 リルリアンナは淀みなく肯定したので、フィリッツは忍んで行った先でよく聞かれているのだろうと見守る。リルリアンナの黒髪は遠目にも目立ち、表通りを歩いていても、通りすがりの人々によく振り返られていた。


「懐かしい。昔、かの地によく足を運んだもの」

「そうか」

「今も変わらないので?」

「と、思う。私もこちらが長いのでな」


 そうですか、と繰り返し頷く露店主にフィリッツは、これに同じ形のネックレスは無いのか? と聞いた。


「ございますよ。出すのを忘れていましたな」


 そう言って木台の下から腕輪と同じ球体のネックレスを出してきた。


「なかなか三点買って下さる方はいないので、つい、手に取りやすい物を並べてしまいますな」

「あ……もう一つ、これも三点揃っているか?」


 もう一つリルリアンナが手に取ったのは深い青の腕輪だった。


「ああ、すみません。そちらは二点が売れてしまったので今はそれだけ。次のバザールの時にはまた揃いますけれどもね」

「そうか、どうしようかな……」

「よければどちらも買うぞ?」

「あ、いや……青はまた今度にする」


 リルリアンナが手を引いたので、フィリッツは最初の三点を買って手渡した。

 露店主は、またご贔屓に、と言ってゆっくりと頭を下げた。


 露店が途切れた所で休憩所も兼ねた円形の広場があり、フィリッツとリルリアンナは広場の中央にある人工の池のふちに座った。


「付けていいか?」

「ああ」


 リルリアンナがフィリッツに買って貰ったイヤリングと腕輪をつけた。

 髪が短いのが幸いして、白く小ぶりな耳たぶに深緑がよく映える。


「ネックレスはいいのか?」

「この格好ではちと似合わぬのでな、ドレスの時の楽しみにする」

「いや、流石にこの程度でドレスには」

「案ずるな、普段使いのドレスの時に付ける。常に身につけておきたいのじゃ」


 そう言って笑うリルリアンナのいじらしさにフィリッツはくしゃりと前髪を掻き上げた。



 ……たまらんな……もう、閨、共にするか?



 何故こんなに受け入れてくれているのか分からない。幼い頃から婚約者だったとはいえ、きちんと向き合ったのは結婚して、しかもリルリアンナが執務室に来てくれてからだ。


 その時には、リルリアンナはもうフィリッツを受け入れてくれていた。

 世継ぎを作る為、という大前提があるとは言え、そこかしこで心を寄せてくれているのが分かる。


「なにが、そんなにいいんだ? 地位を外せば至って普通の男だぞ?」


 フィリッツはうっかり、ぼそりと本音をもらしてしまった。

 リルリアンナからすると、思いもよらない言葉だったのだろう。黒目がちな眼をぱちぱちと瞬いたあと、突然ぶわっと顔を赤らめた。


「そ、それを妾に言わすのか?」

「いや、つい。決まっていた事とは言え、ここまで好いてもらえるとは思ってもみなくてな」

「そんなの……前にも言ったではないか。幼き頃からと」

「いや、あの頃とは全然違うだろ?」


 自慢ではないが、昔の自分はいわゆるオーソドックスな王子だったと思う。

 今よりも明るい金髪に灰緑色の瞳、少年独特の線の細さも相まって、舞踏会に出ると同じぐらいの少女はもちろんの事、年配の女性方にも囲まれていた。

 その姿に憧れて初恋、というのは分からんでもないが、今の自分はがたいの良いただのむさい男だ。

 バザールで庶民に紛れてもだれも振り向かない程に。


「姿形など、関係ない。フィリッツ殿はフィリッツ殿じゃ。昔も今も変わらぬ。妾を心配してくれる、心優しき方じゃ」

「そうか?」

「そうじゃ。それに、エルムグリンの事を考えても下さっている。これがどれだけ嬉しい事か」

「いや、責務を果たしているだけだ」

「そうだとしても」


 リルリアンナはふわりと花のように笑った。


「エルムグリンの国民として嬉しく思う。感謝いたします」


 深々と頭を下げたリルリアンナに、フィリッツは慌てて肩を持って身体を引き起こした。


「目立つ、忍びの視察にならん」

「大丈夫じゃ、主人と侍従じゃ」

「どう見ても逆だろ。もしくはうだつの上がらないむさい騎士と小姓のように見えなくもない」


 二人が顔を近づけてぼそぼそと話していると、きゃぁと遠くで嬌声が上がった。

 ピタッと話を止めて顔を離すと、今度ははぁ、と複数のため息が聞こえる。


「……目立ってしまったようじゃ」

「戻ろう。たぶん、いろいろ間違えられているように思う」

「いろいろ?」


 リルリアンナが不思議そうに首を傾けたので、フィリッツは気にするな、と頭をぽんぽんと叩いて立ち上がりさっと手を握ると、また後ろの方で嬌声が上がったので、二人は足早にその場を去った。




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