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ふとんの中で

 相変わらず寒い日だった。

 僕は身をふるわせながら帰宅した。玄関先で学生服をはたき、外の汚れを家の中に入れないようにする。靴の泥を落としてから玄関に入った。

「ただいま」

 家の中も寒かった。

「おかえりー」

 同級生の女の子の声がした。


 2014年 11月29日 04時21分投稿を再掲します。

 相変わらず寒い日だった。

 僕は身をふるわせながら帰宅した。玄関先で学生服をはたき、外の汚れを家の中に入れないようにする。靴の泥を落としてから玄関に入った。

「ただいま」

 家の中も寒かった。

「おかえりー」

 同級生の女の子の声がした。それを聞いて僕は、ほっとする。彼女は僕の家のすぐ隣に住む幼なじみだ。昔からよく僕の家に来ていた。

「おみやげはー?」

 姿が見えないのは、コタツの中で丸くなっているからだろう。猫みたいに。出迎えにも来ないなんて無精者め、と僕は笑いながら悪態をつく。

「ないよ」

「えー」

 頬をぷくっとふくらませる様子が目に浮かぶ。

 和室に入ると、案の定だ。彼女はコタツで丸くなっている。制服姿だった。彼女は僕と同じ高校に進学していた。そして制服の上から、どてらとかいう防寒着を羽織っている。寒いのだろう。

「寒いからふすま、しめてよね」と、彼女の命令が下る。

「はいはい」

 僕はその命に従う。

「おかえり」と彼女はもう一回言った。

「ただいま」

 彼女はコタツの天板に顔を乗っけて、だらだらしていたようだ。そりゃあこんな寒いのだから仕方ない。仕方ないけど、十七歳の女の子にしては年寄り臭いと僕は思ってしまう。

「どうだったの、外は」

「いつもと変わりなかったよ。寒いだけさ」

「ふーん」

「あ、これ。角にタバコ屋があったであしょ。あそこのおばあさんがくれたよ」と、僕は嘘をついた。

「あ、みかん」

 僕が天板にみかんをゴロゴロ転がすと、彼女はやっぱり猫みたいに興味を示した。人差し指でコロコロ転がして遊んでいる。

「おみやげじゃん、これ」

「そう?」

「ありがと」

「どういたしまして」

「……」と彼女は黙り、僕の顔をじっ……と見る。

「何」

 おいでおいで、と彼女は僕をすぐ隣にすわらせる。

「顔が赤いよ」と言いながら、彼女は僕の頬に手を当てた。

「外が、寒かったから」

 僕は照れ笑いしてごまかす。でもごまかせていないようで、彼女はころころ笑っている。と、セキをし出した。

「げほげほっ」

「寒い? ごめんね。そうだ。倉庫にホッカイロがあったはずだ」

「げほっ。でもあれ、最後の一袋じゃん。使ったらなくなっちゃう」

「いいよ。持ってくる」

「いらない」

 彼女は言って、僕の両手を持った。それを自分のほっぺたに添えて、言った。

「こうすればあったかい」

「……うん。僕も暖かい」

 彼女はただのクラスメイトだ、と僕は自分に言い聞かせる。家が隣同士の幼なじみだから、幼稚園もしくは保育園も一緒で、たまにお風呂なんかも一緒だっただけだ。小学校も中学校も同じなのは当然だ。彼女は頭が良い。だから高校は市外の高校へ行くと思っていたけれども、僕と同じ高校へ行くことになったのもやっぱり偶然の産物だと思っている。それだけだ。さすがに今は一緒にお風呂も入らないし。そう、彼女は単なる……幼なじみだ。

「ねえ」と彼女がたずねる。

「何」

「耳も赤いよ」

「外が寒いから耳も赤くなる」

「ふーん」

 彼女は目を細めた。これは僕を信用していない証拠だ。

 しばらく彼女の目を見ていた。彼女は口元にうすい笑いを浮かべたまま僕から目をそらす。長いため息をついて、僕の手を、今度は僕の頬に当てた。

「はい、今度は自分で自分をあっためるのよ」

 自分の手の平は思うよりも暖かだった。その上からおさえてくる彼女の手はもっと暖かい。

「あ」と彼女が思い出したように言った。

「そろそろラジオが聞きたいな」

「ああ……。もうそんな時間」

 名残惜しくも彼女は手を離す。僕はラジオのスイッチを入れた。雑音が入った。チャンネルを操作していつもの番組を探し当てる。

『……時ちょうどをお知らせします』

 ちょうど始まるところだった。アンテナを伸ばす。コタツの上に、ことりと置く。

「ねえ。音が小さい」

「音量をいじればいいんだよ」

「やって」

「僕は夕飯を作るから」

「やってよー」

「はいはい」

 彼女には頭が上がらない。僕が音量のスイッチをひねるうちに、彼女はみかんの一つをむき始めている。

「はい、音量はこんなもん?」

「うん。口、開けて」

「んがっ」

 みかんを一ふさ、僕の口に放り込んだ。そして僕は感想を一つ。

「このみかん甘いね」

「そうね。思ったよりも」

 それから僕は台所で晩ご飯の準備に取りかかる。彼女が聞いているラジオの声に耳を傾けながら。

『……気象庁の予報によりますと、この寒さは当分のあいだ続く見込みです。(台本をめくる音)。次のニュースです。政府は国民に対し、移民を広く募集するとともに、すでに移住した国民に対しては移民受け入れの協力を呼びかけることとしました。この措置は増える移民希望者のあっせんを』

 チャンネルを変える音。雑音が入り、別の番組が入った。

 音楽の番組だった。陽気な音楽だった。それを聞きながら僕はメニューを考える。

「今日の夕飯、何?」とすぐ隣で彼女の声。

「うわっ。コタツにいたんじゃないのか」

「ねー何ー」

「ちょ、抱きつかなくても教えるって。鍋だよ、鍋」

「えええええー」

「本気で嫌そうだな」

「だって飽きたよ。寒いから鍋、なーんて考え。ありきたり。やり過ぎて飽きたの!」

「ひどい言われよう……。でもこれを見ても同じこと言える?」

 買い物袋から、とあるものを取り出す僕。取り出されたものを見た彼女の目が輝く。

「お肉!」

「鶏だけどね」

「お鍋! お鍋!」

「はいはい。おとなしく待ってた、待ってた」

 彼女はらんらんらんとうれしそうにコタツに舞い戻る。

 米を米びつから炊飯器にうつす。洗う。スイッチを入れる。

「あとは……」

 土鍋だ。鶏肉を一口大に切っておく。野菜も食べやすいよう切る。あとは煮るだけ。デザートにみかんを考えていたが彼女がすでに食べてしまっている。

 僕があれこれメニューを考えていると、彼女が「ねー」と何か言ってくる。

「ラジオの音が小さくなったよー」

「音量を大きくすればいいんだ」

「これで最大だよー」

「じゃあ電池が切れたかな。ちょっと調べてみて」

「うあーい」

 珍しく言うことを聞く彼女。どこだったかなー電池チェッカーはーとか言っている。戸棚の一番下の段を探している。膝をついて。僕にスカートを向けて。

 僕はちょっとだけ見ておいて、あとは見ないフリをした。我ながら最低だけれども。手元の新聞を読むことにした。かなり前のものだが、まだページ数が減っていない頃のもので読み応えがある。

「深刻な顔してる」

 彼女がトコトコやって来て言った。

「ん、ああ。電池はどうだった」

「切れてた。新品ある?」

「箱の中になかったの?」

「なかった」

「じゃ、もうないんだ」

「そう」

 彼女はそっけなく言った。すぐそばで見る彼女はまさしく薄幸の美少女とも評するべきで、輪郭が弱々しく見える。でも肩より長い黒髪や、化粧っ気の全然ない幼な顔は、どこか守ってあげなきゃならない雰囲気をかもしている。

 そんな彼女はふと何かを思い出したらしい。慌てて二階に走っていった。そして息を切らして帰ってくる。

「これ」

「これって、新品の電池じゃないか。あったのか」

「うん。取り替えて」

 はいはい、と言いながら僕は取り替える。ありがたいことに、ラジオはまた復活した。音量を上げたりチャンネルを動かしたりする。ちゃんと動く。

「うん。おっけー」

 僕は指で丸を作る。

「ありがと」と礼を言う彼女。

「はいはい」

 ほめられたのでちょっとうれしい僕。また夕飯作りに戻ることにした。

 鍋をのぞく。昆布だしがよく出ているようだ。野菜を放り込む。しばらくして煮えたら鶏肉を投入。これであとは煮るだけ。調味料、おたま、お椀などを和室に運ぶ。

「わたし何か手伝う?」

「じゃ、鍋敷きを置いといて」

「はーい」

 右手をまっすぐ上げて彼女は答える。返事だけはいいな、と僕は思う。ご飯のときは素直だ。

 あと少し煮込めば出来上がりだ。カセットコンロをとろ火にした。

 台所のくもった窓ガラスの向こうには相変わらずの寒空がある。色変えぬ松、と言われる常緑の松の木さえも枯れ木の色だ。鉛色の空の下で寒そうにしている裏手の山は、すべて枯れ木と同じ灰色だった。

 あの山の向こうには僕らの学校があるのだ。学校はいつ始まるだろう。みんなに会えるだろうか。家族にも。

 僕はそんなばかばかしい考えを打ち消した。頭をぶんぶん振った。

「どうしたの」

 彼女が心配そうにやってくる。

「なんでもないよ。ご飯にしよう」

 はかったように炊飯器が音を立てた。ご飯が炊けた。

 彼女が配膳してくれた。ほかほかと湯気ののぼるご飯。鶏肉と野菜の鍋。それに体の芯から暖まる麦茶をいれてある。

「豪勢だなー」

 彼女はびっくりした猫みたいに目を丸くしている。ご飯を僕によそってくれる。そのあと自分にもよそうが、その量は昨日よりも少ない。

「あれ、それだけで足りるの」と僕は聞いた。

「あーうん。最近食欲がなくて」

 そう、と僕は返事した。

「いただきます」

「はい、いただきます」

 僕らはそろって手を合わせた。

 もくもくと食事を終える。

「ごちそうさまでした。ふー、おなかいっぱいよー」

「おそまつさま。満足した?」

「もちろんー。今日はもう寝るだけかなー」

 時計を見ると十九時ちょっと前だった。食べ終わった後片付けのついでに僕は電灯を消して、古風なランプに灯りをともす。

「暗いけど、こういうのいいね」

 彼女はやっぱり目を丸くした。両目の中にランプの光が揺らいでいる。ただしランプの光よりもずいぶん弱く見えた。

 僕が洗い物をしている間にも彼女はセキ込んでいる。

「ねー」と彼女は言った。「風邪かなあ」

「かもね」と僕は興味なさそうなふうに聞こえるよう言った。「風邪は引き始めが肝心なんだ。今日はもう寝よう。みかんは体にいいから食べていいよ」

「もう食べてる」

「僕の分は?」

「ちょっとあるよ」

 水道の蛇口を閉める。手をふく。

 ベッドメイキングをする。和室の隣の洋間に置かれたベッドが僕らの寝床だ。朝、彼女が起きてからそのままだ。寝跡がくっきりついている。シーツのシワを伸ばす。

 ふと彼女に目をやる。和室で脱ぎだしていた。

「ええええ、な、な」

「えっ、ああ。開いてたの」

 何気ない調子で彼女はふすまを閉める。が、すぐ顔だけ出るくらい開ける。

「今さら恥ずかしがるの?」

 それだけ言って、ぴしゃりと閉めた。その顔がにやっと笑っていたのを僕は見逃していない。

「見慣れないっての」

 僕はグチった。ちょっとニヤけながら。

 衣ずれの音がする。変な妄想をしながら僕は待つ。ふすまが開くと彼女はパジャマ姿だった。大きめのパジャマだからダブついている。足先も手の先もちょこんと申し訳程度にのぞかせている。

「ねーねー」と彼女。

 こういう言い方をするときは何かお願いごとがあるのだ。

「何」

「一緒に寝ようよー」

「え」

「久しぶりじゃん。だからさ」

「あー、うん。とりあえず僕、着替えてくるから」

「うん。……待ってる」

 彼女はベッドにもぐり込む。

 今度は僕がふすまを閉めて和室にこもった。ふと部屋の隅を見る。彼女の制服がきちんとたたまれていた。僕も学生服を脱いで、たたみ、それの近くに置いた。あとにやることはないかな、と、ふとカレンダーに目が行く。日めくりカレンダーだ。八月になっているが、僕は放っておいた。今さらどうしようもない。

 台所で火の周りを確認する。そして勝手口に置かれた家庭用発電機の主電源を落としてから、庭に向かって手を合わせた。今日の鶏に哀悼の意を表したのだ。

 意を決してふすまの向こうへ足を踏み入れる。

 ランプの灯りは最小限にしぼられテーブルの上に置かれている。洋間は、なんだかつやっぽい雰囲気になっている。いやらしい。

 ベッドの中に一人分のふくらみがある。ふとんの中に彼女はいた。僕が来たのを音で判じた彼女はふとんのはじを持って、ちょっとだけ顔をのぞかせる。が、僕と目が合うや、すぐさまふとんにもぐってしまった。

 僕はふとんに入る前に、窓のカーテンをしめようと思った。寒い。外はまったくの冬景色だった。

 雪が降り出していた。

 降れ、降れ、と僕は祈った。そうすれば救われる気がした。

 背中からセキが聞こえた。彼女だ。このところノドの具合が良くないようで、しょっちゅうあんなふうだ。

「寒い?」

 彼女は何も答えなかった。

 カーテンをしく。ランプの火を消すと部屋の中は暗闇一色になった。そして勇気をふりしぼってふとんに入った。

 枕を一つに寝ていると、話しかけてきたのは彼女だった。

「ねえ。前はいつだっけ。一緒に寝たの」

「うーん。かなり前だなあ。覚えてないや」

「そうねー。わたしも覚えてない。一緒に寝たのは覚えてるけど」

「うん」

「ふとんの中、あったかい」

「そうだね」

「……」

「……」

 無言が支配する。

 窓の向こうで雪が降る音さえ聞こえるようだ。実際には聞こえないので単なる比喩表現だけれども、とまれ、僕の隣で彼女が鼻をすする音は聞こえる。

「眠いー……」

 彼女は言った。

 僕は彼女の頭を抱いた。

「恥ずかしい」と彼女はうれしそうに言った。

「僕も」

「でもあったかい」

「僕も」

 暖かいふとんの中で僕は彼女をなおも強く抱いた。

「痛い」

「あ、ごめん」

「いいの」

「うん」

「おやすみ」

「うん、おやすみ」

 僕はしぼり出すように答えた。

 あの日。

 あの日、僕らは学校をサボった。そして裏手の山を越えてこの町に来た。何があったわけではない。ただなんとなく、二人で行けば何かがあるような気がした。

 そして、あれが起こった。

 雪よ、雪よ。

 僕は祈った。

 彼女はもう寝入ったらしく、定期的な寝息が聞こえてきた。彼女はもうセキをしないだろう。話すこともないだろう。そんな気がした。

 僕は彼女の小さな頭をなでた。心なしか、彼女がニヤついたふうに思えた。恐らく気のせいだろうが。

 だから、僕も寝てしまおう。

 すべて、白い雪は僕らの家をうずめるだろう。あの裏手の枯れ木ばかりの山にも、そしてその向こうにもある、人の灯りの絶えてしまった僕らの町にも。今はがれきだらけとなってしまった、僕らの家があった町にはどれほど積もるのだろう。

 裏手の山が守ってくれたこの一軒家をのぞき、すべてを破壊してしまった核の炎は、夏だというのに冬と雪をもたらした。待てど暮らせど冬また冬を、僕は彼女とずっと過ごしてきた。彼女の体調がどんどん悪くなってゆくのを痛切に感じながら。

 やがて僕も眠くなってきた。いいや、悲しいことを考えるのはもうやめよう。僕は彼女の頭をなで、言った。おやすみ。また明日。


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