「恋愛小説が書きたい!」後編4
今回も本当につまらないことを書いてしまった。笑いのない小説を題材にすると、影響されてしまうのだろうか?
今回検討する『ジェーン・エア』を初めて読んだのは、たぶん小学生の高学年の頃だったと思う。読んだのは子供向けに省略された岩波少年文庫だったはずだ。中身を詳細に覚えていないものの、赤いソフトカバーの表紙に寄宿舎らしい寝室でひとりの少女が白い寝間着姿で佇んでいる挿絵がついていたことだけははっきりと覚えている(手元にないので思い違いではないとは断言できないが)。
当時の感想は「うへぇ!なんじゃこりゃ」だった。
前半で主人公が孤児としていじめられるのはいい。ディケンズの小説を読んでいるみたいなもんだし。
しかし、後半の、主人公が一度別れた相手と結ばれるというのがよくわからなかった。さしたる障害もないのに自分からなんでそんなめんどくさいことしなければならないの?という疑問で頭がいっぱいになったのだ。
また、火事で財産を失うどころか体も不自由になった男をひたむきに愛するー献身というのだろうかー女性(主人公)の気高さについても、ひねたガキであった当時の僕は「へえ、すごいな」と思うものの、なぜだか面白くなかった(もちろん、これは子供らしく『ジェーン・エア』を間違った読み方をした結果であった。後述するように『ジェーン・エア』は女性の気高い精神による勝利を描いたものではない)。
その後、成長するに及んで僕は何度となく『ジェーン・エア』の文庫本に挑戦したものの、すべて途中で挫折して最後まで読みきれないでいた(正直に言って僕が『ジェーン・エア』を最後まで読んだのは今回が初めてである)。
原因を簡単に言ってしまえば、僕に主人公(女性)の心理がわからないことによる。
主人公の独白にある、「わたしが主人公だ!」「わたし、戦ってます!」『わたしは自分が大切だ』と曰う自己主張の心情を理解できないのだ。
たしかに当時のイギリス社会の息の詰まる雰囲気の中で女性が自己を確立するためこういった自己主張をしたくなるのはわからないことでもない。
しかし、なにゆえ「恋愛小説」の中であえてそれをしなければならないのだろうか?作者は「風刺小説」ではなく本気で「恋愛小説」を書いているのである。「恋愛」するために本当に何かと戦って自身の内部のなにか(個人の尊厳や矜持みたいなもの)を守り通さなくてはいけないのだろうか?まったくわけがわからない。
そのうえ、作者のシャーロット・ブロンテは一人称を用いてこの小説を書いている。読み手が主人公に共感できれば一人称形式ほど小説に没入しやすい書き方もない。
ところが、前述のように主人公(女性)の自己主張の心理を理解できない僕には共感ができない。
これは一人称形式が悪い効果を呼ぶ最悪のパターンである。つまり、読み手というのは、小説の主人公に共感できない場合、妙に冷静になって、小説の中の主人公の独白や行動にいちいちツッコミを入れたくなってくるのである。その時点ですでに楽しく読書するというのではなく、読み手はいわば小説とケンカしながら読んでいることになる。これでは小説はまったく面白くない。
僕などは、ここらでもうすでに読む気力が半減してしまう。
とはいえ、面白くなくても、短い小説ならまだ力を振り絞って読み通すことができたりもする。
しかし、作者のシャーロットはそれを許してくれるほど甘くはない。『ジェーン・エア』は長編小説であるばかりか、まるでこちらのツッコミに対して予期していたように言い訳と反撃と宣言の、怒涛の洪水のような独白(しかも、あまりうまいとは思われない詩が中途中途に挟まれている)が用意されているのである。
『ジェーン・エア』を通しで読んだことのある人なら、怒涛の独白に心が折れてしまい、僕が「参りました。もう反抗は致しません」とこれまで何度も本を閉じてしまったことについて理解してくれることだろう。
読んだことのない人たちに言っておくが、『ジェーン・エア』が駄作というわけでは決してない。
ただ、読んだ人の好き嫌いがはっきり分かれる小説であり、好きな人にはたまらなく好きな小説なのである。その証拠に、関西にはブロンテ協会関西支部なる学会(ブロンテ姉妹の作品について研究し、文学者等を交えて関西の大学で研究の発表・講演活動をしている団体)まであるくらいである。
今回、僕は気力を失わずに読み通せた。『ジェーン・エア』について書くと宣言したこともその理由の一つであるが、小説と真正面から向き合う下策ぶりを身にしみた僕が小説を読む前にブロンテ姉妹の小説を書いた動機など周辺事情を調べたことが最も大きい理由である。
ブロンテ姉妹の三女シャーロットは1816年に、4女エミリーは1818年に、そして五女のアンは1820年に牧師の子として生まれている。前に紹介したジェーン・オースティンの亡くなったのが1817年のことだから、ブロンテ姉妹はちょうどその一世代あとの人間ということになる。つまり、ジェーン・オースティンの『自負と偏見』や『エマ』などの王道の「恋愛小説」が全盛を誇っていた時代にブロンテ姉妹は生まれたのである。
にもかかわらず、ブロンテ姉妹は王道の「恋愛小説」を書かずに極めて異質の小説を書いている(『嵐が丘』は「恋愛小説」ですらない。僕自身は「ゴシック・ロマン小説」あるいは「怪奇小説」とみるのが正しいと思っている)。
なぜだろうか?
特にシャーロットはなぜ王道ではなく変化球の「恋愛小説」を書いたのであろうか?「恋愛小説」にかわいそうな孤児の要素を付け加えるとしても、同時代のディケンズのようにご都合的な救いのある話を書けばいいではないか?その方が受けるのに……。
内容についてもう少し紹介すると、四女エミリーの『嵐が丘』と異なり、シャーロットの『ジェーン・エア』はたいへん厳しい小説である。
笑うところなど一つもない。ほぼ同時代の、奇しくも同じ牧師の子としてジェントリー階級の婦人であったジェーン・オースティンの『自負と偏見』がおおらかな笑いと温かみに溢れていたのとは対照的に、『ジェーン・エア』にあるのは主人公の強い自己主張とあらゆるものに対する抗議だらけである。
この時代、社会に対する問題意識をあらわにした女流小説家の作品がほかにないわけではない。1877年にはアンナ・シュウエルの『黒馬物語』が世に出ている(『黒馬物語』は馬を主人公にした小説で、働く動物の過酷な環境に対して作者のキリスト教的な博愛の精神から同情的に描いたもの。馬に仮託して「思いやり」の大切さを説いたものともいえる。なお、作者は貧しい家の娘であり、この時代の他の女流小説家同様、未婚のまま生涯を終えている。決して金持ちのご婦人が暇つぶしにご高説をたれた作品ではない)。その『黒馬物語』にしても、ユーモラスな描写はあるし、貧富の差に関係なく人々の幸福そうな生活をもキッチリ描いている(このため『黒馬物語』は最初から世間に好意的に受け止められ、早期に名作という評価を確立した)。
これに対して、『ジェーン・エア』では、主人公と他人との関係は大抵敵対関係であって、他人の幸福などを温かな目で見る余裕はない。恋人であるロチェスター氏に対する関係でも彼が自己の生き方の障害になる限り論破すべき対象でしかない。また、ロチェスター氏と別れて荒野をさまよい挙句に行き倒れ寸前のところを救ってくれたダイアナとメアリー(実は従姉妹)に対しても主人公は「お好きなように生きなさい。わたしはなんの口をはさむ気もない」と始終冷淡な態度を崩さない。
なんだろう?この小説に流れる峻厳さは。
あとで述べるように『ジェーン・エア』も「恋愛小説」の起承転結を遵守しているし、男性の立候補の申し込みと女性(主人公)の「特別視されたい」との承諾もあり、「恋愛」として成立している。にもかかわらず、「恋愛小説」特有の甘さが一切ないのだ!
ちょっと長く引っ張り気味なので、さっさと『ジェーン・エア』の異質さの正体をバラしてしまうと、同時代の他の小説が内容の大半を作者の頭の中で作り上げられたものであるのに対して(ジェーン・オースティンのように現実の詳細な観察をもとに物語の部分部分を書き上げた人もいるが、それでも恋の相手のキャラクターとか恋の顛末とかの本筋は純粋に作者の創作である。リアリズム小説といっても何から何まで事実の暴露ではない)、『ジェーン・エア』の内容のほとんどが作者シャーロットの実体験の出来事であり、「チビで美人でない意固地な女」であるジェーン・エアという主人公こそが作者のシャーロット本人にほかならないことによる。
ついでに言えば、作者のシャーロットはほんとに不器用で、実体験しか書けない人であった。
もう少し異質さの謎を明かすため、以下、『ジェーン・エア』が発表されるまでの過程を述べてみようと思う。。
まず、ブロンテ姉妹の父パトリックはアイルランドの貧農の小倅から散々苦労してオックスフォード大学を出て英国教会の牧師(終身助任司祭)に成り上がった刻苦勉励のひとであるが、極めて狷介でムッツリとした性格の男であって、ブロンテ姉妹の人づきあいが苦手で無口な性格はすべてこの男が形成したものといえる。家族に対しては非常に口やかましい男であり、娘たちの人付き合いに干渉し、特にシャーロットの結婚については最後まで反対した(結局折れたが、結婚式には参加せず娘の門出を祝うことすらしなかった)。シャーロットがときおり小説で示す暗い情念(強い自己主張。押さえつけにかかるものに対する強い反抗反発)はこの父との確執によって生じたものであることにまず間違いない。
また、父パトリックはあまり娘たちを可愛がる気がなかったらしく、幼い娘たち(マリア、エリザベス、シャーロット、エミリー)をさっさとカウアン・ブリッジ寄宿学校へ入れてしまう(『ジェーン・エア』でも、ロチェスター氏が情婦の娘である幼いアデールについて「子供なんてたくさんだ。結婚したらすぐさま学校へ入れてしまおう」と再三言うシーンがある。なお、主人公ジェーン・エアの他人に対する冷淡でかたくなな態度については、設定が孤児であるということだけでは説明がつかないように思える。僕には、作者であるシャーロットに対する父の愛情の薄さが色濃く反映されているように見えて仕方がない)。
そして、このカウアン・ブリッジ寄宿学校こそが『ジェーン・エア』に出てくるローウッド学院のモデル(学院の経営者や教師もすべて実在の人物がそのままのモデルである)であって、その不衛生で劣悪な環境のせいで姉のマリアとエリザベスは肺を病み、学校から連れ戻された翌年に幼いふたりは死亡してしまう。
なんとか生き残って連れ戻されたシャーロットとエミリーは以後、終生、父の最終的な赴任先であるホワース(ヨークシャーにある風の強いヒースだらけの荒野。まさに『嵐が丘』の風景)の牧師館で暮らすことになる。
友人をつくれずに孤立したブロンテ姉妹はこの牧師館で少女時代を弟のおもちゃの兵隊を題材とした自分達だけの夢物語を紡いで過ごし、のちの創作活動の原点となる。
1838年、自活することを強いられたブロンテ姉妹(父は弟パトリックだけを溺愛した)は私塾経営を目論み、フランス語習得のためシャーロットとエミリーがブリュッセルへ留学してエジェ夫妻の寄宿学校で学びはじめる。そこでシャーロットは妻のいるエジェ氏に激しく恋をする(秘められた恋であり、シャーロットはエジェに最後まで告白していない。シャーロットの恋は二度目のブリュッセル生活である1843年に最高潮に達する。たが、エジェ夫人はシャーロットの気持ちに気づき、シャーロットをイギリスへ追い返したうえ、イギリスから送られてくるシャーロットの手紙をすべて握りつぶした)。つまり、『ジェーン・エア』のロチェスター氏は間違いなくエジェ氏がモデルである。
1844年、失恋の痛みを晴らすようにシャーロットは念願の私塾をホワースの牧師館で開こうとするが、一人の入塾希望者もあらわれずに私塾経営を断念する破目に陥る。
次に、ブロンテ姉妹は文筆活動によって収入を得ようと考え出す。
3人の寄せ集めの詩集を自費出版するのだが、たった2部しか売れずに敗退してしまう。ブロンテ姉妹のうち本当に詩の才能があったのは4女のエミリーだけであって、思いつきで文筆活動をしても売れるわけがないのである。
しかし、厳しい現実にさらされてもなおブロンテ姉妹は諦めない。一年半ほど創作活動に当てて、今度は小説でデビューしようとする。ブロンテ姉妹は出版社へ草稿を送りつけては断られ続けるいう苦い経験の末、エミリーの『嵐が丘』とアンの『アグネス・グレイ』の出版だけが仮に決まった。1847年7月のことである。不器用な姉のシャーロットはこのときは出版を断られてしまう。しかし、不屈の人シャーロットはそれでも諦めずに2作目『ジェーン・エア』を書き上げ、同年の10月にどうにか出版にこぎつける(結局、妹たちの『嵐が丘』と『アグネス・グレイ』の出版は『ジェーン・エア』の発表後となってしまう。しかも、より小説的に面白いはずの『嵐が丘』は出版当初まったくと言っていいほど注目されなかった)。
以上の顛末をまとめると、私塾開設を断念せざるを得なかったブロンテ姉妹はお金を稼ぐためにやむを得ず小説を書くことになったが、文才のあるエミリーとは異なり、学はあるが才能的にも性格的にもとても王道の「恋愛小説」向きとは言えないシャーロットにとって書けることは自身の体験だけしかなかった。仕方のないシャーロットは自身のたった一度だけの恋愛、しかも不倫話を小説に仕立て上げたのである。
だが、不倫話をそのまま書けるほど当時のイギリス社会は甘くはない(婦人にはその当時特有のキリスト教的倫理観に合った、慎ましい貞淑さという枷が与えられており、枷を破るものには躊躇なく社会的制裁が加えられた。当時、イギリス人が野放図な振る舞いをするには、大陸に渡りパリの住人になる必要まであったのだ。フランス人からみてそれがどれほど愚かしく映ったかについてはモーパッサンの『悲恋』を読めばわかる)。シャーロットはその言い訳として小説に延々と続く独白と、主人公の別れと狂人の妻の死という無理な構成まで書いてみせねばならなかった。
繰り返すが、『ジェーン・エア』に「恋愛小説」特有の甘さがないのは、小説の大半を頭の中の想像ではなく実体験をそのまま書いてしまったためである(本来、実体験が片恋でしかないのだから、シャーロットの想像でどんなロマンスでも紡ぎ出せたというのに不器用すぎたせいか想像で付け足した部分はあえて控えめなものに終わっている)。
たとえば小説でヒロインの相手を魅力的に描くとしても、自由な想像による白馬の王子サマと、書くことに制約のある作者個人のリアルの恋人とどちらが読み手に受けやすいかは言うまでもないことだろう(ヒロインのジェーン・エアが「チビで美人でなくかたくなな女」であり、相手のロチェスター氏が美男の優男でないことに当時のイギリスの文学界は衝撃を受けた)。
また、すじだてにしても、実体験をそのまま書いただけでは普通はロマンスとならない。
にもかかわらず、シャーロットが想像で付け足したロマンスとするためのプロットは、ロチェスター氏が最初のプロポーズのときに主人公の気持ちを知るため嘘をつくシーン(イングラム嬢と結婚すると主人公に信じ込ませた上アイルランドで働けるよう手配しようとまで言う酷いいじめ)と、最後にジェーン・エアが不具となったロチェスター氏の嫉妬心を煽るためにした焦らしのシーン(愛の無いセント・ジョンのことをことさら褒めまくる)の二つしかない。しかも、どちらも極めて冷静な問答で行われている。
こんな小説に誰が甘い恋愛を期待できるというのだろうか。
さらに、『ジェーン・エア』の後半にあるロマンスの道具立てにも見えるロチェスター氏の狂女の妻、その放火による妻の死、ロチェスター氏のケガなどの要素はすべて当時のキリスト教的倫理観からくるだめだしを回避するために無理に付け加えられたものであり、作者の本意ではない。あくまで作者が書きたかったのはシャーロット本人のエジェ氏に対する心情である。
その証拠にこれらの部分は小説の中でもっとも精彩を欠く。他の部分が実体験をもとにしているだけに生々しいのに、これらの部分はたいへん嘘くさい。
たとえば読み手の同情を引くためにロチェスター氏の妻を赤黒い顔をした背の高い怪力で狡猾で淫蕩な西インド人との混血の老女という「怪物」にまで仕立てなければならなかった。これでは、へたな怪奇小説でもあるまいにギャグにしかみえない。
また、これらの部分はそれまでの小説の内容とはかなり調和を欠いており、無理をしていることがミエミエであるのだ。
ここで、『ジェーン・エア』を読んだことのない人達のためにあらすじを説明しよう。
性懲りもなく、今回もウィキペディアのあらすじを拝借させてもらうとー
「ジェーン・エアは孤児となり、リード夫人とその子供達から差別されて怒りと悲しみの中で育つ。9歳になった頃、寄宿学校ローウッド学院に送られ、そこで優しいテンプル先生やヘレン・バーンズと出会う。ヘレンの深い信仰心と寛大さにしだいに尊敬の念を抱くようになるが、折しもローウッドでは不衛生の問題からチフスが大流行し、ヘレンは結核にかかり死亡する。後になってローウッド学院は環境・食事の汚染が世間に暴かれて改善される。
生徒として6年間、教師として2年間ローウッドで過ごした後、ジェーンはソーンフィールド邸で家庭教師として雇われる。そこで当主ロチェスターとの身分を超えた恋愛を経験し結婚を申し込まれるが、結婚当日になって狂人の妻の存在が判明する。当時の法律ではキリスト教に基づいて重婚は厳罰であり、深く悩んだジェーンは神に救いを求め、『神が与え人間が認めた法や道徳は誘惑がないときにあるものではない』と彼を諭し、一人黙ってソーンフィールドを去る。路頭に迷い、行き倒れになりかけたところを牧師セント・ジョンとその妹、ダイアナとメアリーに助けられ、その家へ身を寄せることになる。しばらくしてジョンとその妹たちがジェーンのいとこであることが判明し、1年間をともに過ごして勉学に励む。セント・ジョンに神の忠実な僕として宣教師の妻になりインドへ同行することを求められる。彼には恋愛感情のないことを知っていて深く苦悩する。信仰心からジョンの申し出を受けようとしたとき、嵐に紛れて頭の中にロチェスターの自分を呼ぶ声を聞き、ジョンを拒んで家を出た。
その後旅館の主から火事でロチェスター夫人が亡くなり、ロチェスター自身も片腕を失って盲目になったことを知る。彼のもとを訪ね、財産も年齢も健康な体でさえも愛の前には何ら障害でないと彼を諭し、結婚することを自ら誓って2人は静かに結婚式を挙げる」(たったこれだけのスジなのに、文庫本では上下巻2分冊で1000ページを軽く超える分量がある。しかも、その大部分の内容が主人公のキリスト教的倫理観からくる言い訳と自己主張の独白なのである。
自慢でないが、僕にはわけもわからず『赤と黒』や『戦争と平和』などの長編小説を読みあげるガキの頃があったのだ。その僕でもさえも、この怒涛の独白には「うへぇー」と根をあげた。好きでもない人に読める小説ではない)。
このようにあらすじだけみれば、美しい話である。恋愛小説の起承転結もちゃんと踏んでいる。(起)孤児として引き取った伯母たちからは虐待され、さらに悲惨なローウッド学院で忍従の日々を送ったジェーン・エアは成長し旅立つ。(承)ロチェスター氏の情婦の娘アデールの家庭教師となりソーンフィールド館に住み込みとなったジェーンは主人のロチェスターと出会い、ふたりは恋に落ちる。(転)結婚式の当日、ロチェスター氏に狂女の妻が居ることを知ったジェーン・エアはロチェスター氏とともに暮らしたいという感情を捨てキリスト教的倫理観に従い出奔する。そして、行き倒れになりかけたジェーン・エアは牧師館でダイアナ、メアリ、そして牧師のセント・ジョンらに保護され、ふたたび心の平穏を取り戻す。(結)信仰の人であるセント・ジョンから妻としてインド布教に従事しないかと誘いを受けてぐらついてしまうが、本当の恋愛を知っているジェーン・エアは彼が愛を求めているのではなく単なる布教の道具としての妻という体裁しか求めていないことを理解し、結局、断ってしまう。ある夜、闇の中からロチェスター氏の声を聞いたように感じたジェーン・エア(この主人公はよく心の声や幻聴を聞く)が声に導かれるようにソーンフィールド館へ戻ってみると、館は焼け落ち、ロチェスター氏の妻は燃え上がる館から飛び降りて死んでおり、そして、ロチェスター氏自身は盲で片腕となっていた。ジェーン・エアとロチェスター氏はお互い愛し合っていることを確かめ合い、ついに結婚する。
話の途中であるが、前振りだけで精も根も尽き、疲れ果ててしまった。
今日は、ここまで。
今回もとりとめのない話で本当に申し訳ない。次回も『ジェーン・エア』のお話がもう少しだけ続く。
内容は「恋愛小説」に求めるものの男女間の違い、である。『ジェーン・エア』では女性の自己主張という一見「恋愛小説」向きでない要素が含まれているが、この要素こそが『ジェーン・エア』という小説の最大の魅力でもあるのであって、はたして「恋愛小説」としては余計な部分といえるのか?男女の感じ方の相違からそう見えているのではないか?という疑問について解き明かしてみようとの試みである。
僕としては、一刻もはやく小説的に面白い『嵐が丘』について検討したいのだが、「恋愛小説」を書くためには避けては通れない課題であるので仕方がない(今回『嵐が丘』を読み返してみて、この小説の醍醐味はヒースクリフという男の執念にあるのではなく、ロックウッドとネリーという嘘つき女中のストーリー・テーラーぶりにあることに気づいた)。
今回も本当につまらないことを書いてしまった。ここまで読んでいただいた方々にはことばもありません。ありがとうございました。
以下は、おまけの雑文です。読み飛ばしてくださって結構です。
前回紹介した『初恋』は主人公であるわたしという一人称(の語り手)による小説であった。そのため、つい錯覚しがちになるが、あの小説は結局「父」とジナイーダの対決のお話であって、主人公であるわたしが本当は主人公でなかったのだということを前回説明したと思う。
そして、『初恋』が「恋愛小説」でないことも言葉足らずに説明したように思う。
繰り返すけれども、『初恋』は「恋愛小説」ではない。
その証拠に、「父」にジナイーダが鞭で叩かれた日の夜の内省でわたしは『これが恋なのだ』と本物の「恋」に触れて自身の抱いていたジナイーダに対する思いは「恋」というほどのものではないことに思い至るばかりか、真の情熱というものに恐れおののく。
そして、4年後、ジナイーダの死にわたしは衝撃を受ける。
『あの若々しい、燃えるような、きららかな生命が、わくわくと胸をおどらしながら、いっさんに突き進んでいった先は、つまりこれだったのか!』
虚しい!人の生などというものは自分の力によっても、ましてや他人から差し伸べられる手によってもどうこうできるものではないのだ!青春のとき人はなんでもできると考えがちだが、期待したうち一体どれほどのことを実現できるというのか。
ジナイーダの死を知ってほどなく、わたしは貧しい老婆の臨終に立ち会う。あまり報われなかった人生のように見える老婆が最後まで眼の中に末期の恐れやおびえの色を残しているのを見て、わたしは「人は哀れだ」という感慨を抱き、「ジナイーダのためにも、父のためにも、そしてまた、自分のためにも」祈る。ここで小説は終わる。
つまり、わたしは小説の主人公としてではなくあくまで登場人物たちの傍観者として出てきて、小説の最後で、何に対しても冷笑的で社会に対して何もせずする気もなかった「父」の「余計者」としての人生も恋をして情熱に満ち火の塊のような(チェーホフの『小犬を連れた貴婦人』のアンナが望んだ「生きて生きて生き抜いて」)ジナイーダの人生も無意味であったと切り捨てて、人の生の虚しさを嘆くのである。
とても「恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作」(新潮文庫の帯)とは言えないと僕は思うのだが(「恋愛小説」の要素に欠け、これほど面白くない「恋愛小説」もない)、皆さんはどう思われたであろうか。
前回で書いておくべきことをここまでしつこく書いたのは、今回と次回で検討するブロンテ姉妹の作品と対比するためである。
まず、形式面から言えば、『初恋』とは一人称形式で書いている点で共通している。
ツルゲーネフは多くの小説を一人称で書いているが(僕は『父と子』以外、ツルゲーネフが三人称で書いた小説を知らない)、彼が一人称を用いて小説を書いたとき、常に「わたし」は小説の主人公でなく傍観者であって、物語の進行になんの手も貸さずつまらない感想を述べるにとどまる(読み手としてはそういった断片から作者が何を言いたいのか読み解いていかなければならない、実に不親切な小説である)。これは作者の人生観によるところが大きい(子供の頃、領地の農奴たちと親しく交わりその独自の死生観を知ったことと若くしてベルリン大学へ留学して当時のドイツ哲学を学んだことなどから、物事を極限まで客観的にみる癖がある。多くの人間と交流したが、影響を受けたのは最初の友人である評論家のベリンスキーくらいしかいない。彼がパリで客死したとき、「政治的には成熟しなかったが(当時パリの知識人はほとんど左翼。ツルゲーネフはどこにも肩入れせず死ぬまで政治的中立を保った)、公明であり、誰に対しても友愛の手を差し伸べた……」と友人に弔辞を読まれているのもそういう理由による)。
これに対して、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』ではくどいばかりに一人称形式の独白が続く。
「わたしが主人公だ!」「わたし、戦ってます!」『わたしは自分が大切だ』
『ジェーン・エア』はシャーロットの正真正銘の半自伝的小説である。だから、「わたし」は常に主体的に動かねばならず、主人公で有り続けなければならない。同じ一人称を用いようとも、ツルゲーネフが『初恋』で一人称を用いたのとは意味合いが異なるのである。
また、同じく一人称を用いようとも、『ジェーン・エア』は『初恋』のように実は「恋愛小説」ではなかったという曲者でもない。そのことは次回の小説本文で強調したいと思う。