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Adagio  作者: 咲良
第一章
8/11

 目を開けると、辺りは暗闇に包まれていた。時は夜と朝の狭間。疲れ果て、夢も見ずに深く眠ったせいか、頭の奥が軽い。熱も随分下がったようだ。ふと、何気なく寝返りを打とうとして、身動きが取れないことに気づく。

「…………?」

 背後から腹部にかけて、何かがきつく巻きついている。それがわたしを抱きしめる男のしなやかな腕だと理解するまでに、さほど時間はかからなかった。首を巡らせて慎重に後ろを振り返ってみると、わたしの肩に頬を埋めるようにして眠るソニエールの美しい寝顔があった。銀色の長い睫毛は伏せられ、薄く開いた端正な唇から安らかな寝息が零れている。長い銀髪がわたしの腕や胸に流れ落ち、乱れたシーツの上に広がっていた。

「ソニエール」

 吐息だけで名を呼んでみた。無論、返事はない。のぼりつめ、落ちるまで。わたし達は一言も言葉を交わさなかった。それでいい。きっと、口を開けば余計なことを言ってしまっていたに違いない。わたしはそっと、ソニエールの腕の中から抜け出した。よほど深い眠りに落ちているらしく、ソニエールは腕を投げ出したままぴくりとも動かない。珍しいこともあるものだ。以前はわたしが僅かに身じろぎしただけですぐに目を覚ましていたのに。疲れがたまっているのだろうか。わたしは寝台の上にぺたりと座り込み、固く閉ざされたソニエールの白い瞼をじっと眺めた。

 ―――これで、最後。

 そう思い、わたしはソニエールに身を委ねた。もう二度と、会うことはない。そう考えると、涙があふれて止まらなかった。そんなわたしを見下ろし、ソニエールは何度も瞼に口づけ、涙の痕を冷ややかな唇で優しく拭ってくれた。まるで出会った頃に戻ったような気がして、わたしは束の間の幸福に浸った。けれど、夢のような時間はもうすぐ終わる。

 わたしはふと、窓辺に何かが置かれていることに気づいた。足音を立てないように寝台から降り立ち、わたしはそれを手に取った。いつからそこにあったのか、カーテンの陰に隠れるようにして、わたしの手の平に収まるほどの華奢な小瓶がぽつりと置かれていた。軽く揺らしてみると、中には無色透明の液体が入っていることが分かる。おそらくこれがグリシアの言っていた毒薬だろう。これを飲めば眠るように意識を失い、体を巡る時が止まるのだという。グリシアが三日待てと言ったのは、この薬を調合するための時間でもあったのだ。

「―――っ」

 わたしはこくりと息を飲み、小瓶の蓋を静かに開けた。鼻を近づけて嗅いでみるが、特に変わった臭いはしない。わたしは躊躇うことなく、小瓶の中身を一気にあおった。甘くて苦い、不思議な味がした。全てを飲み終えると、驚くことに小瓶は手の内から消えてしまったけれど、それを気にしている暇はなかった。急激に瞼が重くなったかと思うと、くらりと目眩がして、わたしはその場に膝をつく。気分は悪くなかった。そのまま這うようにして寝台に戻り、穏やかに眠り続けるソニエールの傍らにやっとのことで体を横たえた。すぐ目の前に、ソニエールの端正な顔がある。起きているときよりも少しあどけないその表情が愛おしくて堪らなかった。やがて、視界が霧がかかったように曇り、意識が遠のいていくのを感じた。わたしは震える手を伸ばし、ソニエールの白い頬にそっと触れる。

「あいしてる」

 だからこそ、そばにはいられない。

「―――さよなら」

別れの言葉は、ひどく掠れて音にならない。もう、声が出せなかった。


* * * * *


 ―――――ロ、………ヒロ…っ!


 ああ。


 誰かがわたしの名前を呼んでいる。


 思わず手を伸ばして、慰めたくなるような悲しい声だった。


 けれど、目が開かない。


 声が出ない。


 指先一つ動かせない。


 その悲痛な声もやがて届かなくなった。


 何も見えない。


 何も聞こえない。


 わたしの意識は完全に闇に飲まれた。

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