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Adagio  作者: 咲良
第一章
2/11

 王宮は目眩がするほど広く、常に人の出入りが激しい。舞踏会が開かれている今夜は特にそうで、警備がいつも以上に厳しくなっている。皇妃ともなれば一人で出歩く事も許されない。護衛に守られながら自室に戻ると、主人の帰りを一人待っていた侍女のレイサが目を丸くした。

「まあ、ヒロコ様! 舞踏会はまだ途中のはずでは?」

「具合が悪いと言って、抜け出して来ちゃった。わたし、やっぱりああいう場所って苦手だわ」

 えへへと苦笑して肩をすくめると、レイサは呆れたように声を上げる。

「全く、ヒロコ様は贅沢すぎますわ! 今宵の舞踏会に憧れている娘達が、帝国中にどれだけいる事かっ」

 レイサはぷりぷり怒って、皇妃のわたしを平気でたしなめる。わたしは内心くすりと微笑んだ。彼女は周囲の人間のように、わたしの事をまるで神様みたいに崇めて傅いたり、媚びたりしない。わたしより二つ年下で、泣き虫のくせに気が強いところが、故郷で生き別れた妹に少し似ている気がした。

 夜会用のドレスは装飾が多く、脱ぐのも一苦労だ。レイサに手伝ってもらい、やっとの事で部屋着のワンピースに着替えた。鏡台の前に座って複雑に編み込まれた長い髪を解き、入念に施された化粧を落とすと、ようやく本来の自分の姿に戻る。ぴかぴかに磨き上げられた鏡に映るのは、二十歳の平凡な女の子だ。

 わたしの名前は尋子=ベルーシ。旧姓宮田。純粋な日本人である。わたしがベルーシ帝国に迷い込んだのは三年前。まだ現役女子高生の頃で、卒業式の朝だった。登校中に有無を言わさず召喚され、気がついた時には異世界にいた。魔術(当時のわたしには信じられなかったけど、この世界には当たり前のように存在した)を使ってわたしを呼び出したのは、グリシアという白髪の魔女。白髪と言っても老婆ではなく、地味なローブから零れんばかりの豊満な体が悩ましげな美女だ。見知らぬ土地で目覚めたわたしは突然のことにもちろん驚いたが、わたしをその手で召喚したはずの彼女も何故か驚いていた。何でも、ちょっとした手違いがあったらしく、本来呼び出されるはずの人物はわたしではなかったそうなのだ。つまりは単純に人違い。グリシアはすぐにわたしを元の世界に戻してくれようとしたけれど、それを制したのがその場に偶然居合わせたソニエールだった。わたし達は一目で惹かれ合った。ソニエールはわたしの黒い髪と瞳をいたく気に入ったらしく、混乱して泣きじゃくるわたしを優しく宥め、それは熱心に口説いてくださった。たった十七歳で恋愛経験もろくにない小娘のわたしが、十も年上の男に言い寄られて落ちないはずはない。しかも、ソニエールは美形だった。面食いのわたしは呆気なく陥落し、一ヶ月後には神の前で結婚の誓いを立ててしまっていた。

 ――――けれど、幸せは長くは続かなかった。

 結婚から一年後、ソニエールは側室を迎えたのだ。悪く言えば愛人。

 一年経ってもわたし達の間に子供は恵まれなかった。帝国の未来を案じた家臣達が、皇帝に二人目の妃を娶る事を勧めたのだった。ソニエールはそれを受け入れた。皇帝ともなれば、世継ぎを作るために愛人の一人や二人いても当然かもしれない。

 それでも、わたしには理解できなかった。他の女に触れた手で、ソニエールに触られるのは苦痛だった。そのどうしても拭い去れない嫌悪感が伝わったのだろう。やがてソニエールはわたしに近寄らなくなり、今では寝室も別々だ。夫婦仲はすっかり冷め切っている。

 さらにソニエールは半年前、二人目の側室を迎えた。一人目の側室は去年、ソニエールによく似た愛らしい皇子を出産している。その子はやがて未来の皇帝となるだろう。この国にわたしの居場所はない。

「う………」

 レイサを下がらせ、ソファで膝を抱える。一人ぼっちの部屋で、わたしは久しぶりの涙を零した。


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