07.我が儘
人や馬車、開発されたばかりの車が多く行き交う都市部の街を一人の愛らしい少女が、やや急いだように駆けて行く。
小型の真っ白な鞄の紐を伸ばして両肩に掛け、肩を流れる金色の髪を弾ませて、路地を曲がった。と、目の前に現れた住居がひしめく住宅街の通りに、柔らかな茶色の髪をきっちりと結い上げた年配の婦人が一人歩いていた。少女は、その婦人を追い越すか追い越さないかの所で足の速さを落とすと振り返って声を掛けた。
「こんにちは!ラスキンさん」
「おや、ジェシカ。今帰りかい?」
にっこりと笑顔を向けて声を掛けてきた少女に、少し驚きながらも婦人は皺が増えた顔に笑顔を作って早いねぇと続けた。
少々時代遅れと言えるような地味な服を纏う婦人は、名をラスキン婦人といい、少女の隣に住むやや気がキツイお婆さんだ。しかし、小煩いその裏には人を思う思いやりの心で溢れているということを少女は知っているから、小さい頃からこの婦人が大好きだった。…彼女の父は、そうでもないようだが。
「えぇ、今日お父さまが帰ってくるの!だから、学校が終わってから走って帰ってきたのよ、お父さまが家に帰ってくるまでに家に帰って、出迎えなくちゃいけないから」
走る速さを上げたジェシカは、じゃあ、急ぐから~と手を振って駆け出した。似たり寄ったりの住居が並ぶ中、迷いもせずに薄汚れた赤煉瓦の家に向かう。息を切らして家の前に辿り着いたが、家の前に連なる道路に一台の車が止められていることに気が付いて、彼女は不思議そうに首を傾げた。
ジェシカの父、チャールズは派手な機械音を立て、おまけに黒い煙をもうもうと吐き出す得体の知れない車という乗り物が余り好きではなく、極力嫌っている。移動手段はもっぱら馬車か魔法という手段を用いる彼が、家の真ん前に横付けするなど考えられない。そうなると残るは、二人の家に良くやって来る風変わりな友人だけだが、家主であるチャールズが嫌っている乗り物を長い付き合いである彼が、そんな事をするはずがないと彼女は良く知っていた。
来客だろうか?首をひねってそんな答えに辿り着いたジェシカは、まず大好きな父の顔をとにかく見なければ、と家の前にある数段の階段を駆け上がって玄関扉を押し開いた。
「ただいま~!お父さまぁ、帰ってるの?」
明かりが灯る家の中に、元気良く声を張り上げた。
「あ、ジェシカちゃん。おかえりぃ」
話し声が聞こえる居間に向かって歩いていたジェシカを出迎えたのは、戸口からひよっこりと顔を出した青年。柔らかな赤毛を少々長く伸ばし、美しい緑色の瞳を持つ彼は、この家に何かと理由をつけて入り浸り、既にお馴染みとなったエドマンドだ。
「ただいまっ、来てたの?レイモンド」
「うん、ちょっとね。ってジェシカちゃん、いっつも言ってるけどさぁ。僕の名前を故意に間違えるのやめてくれない?」
居間の戸口に辿り着いたジェシカに、エドマンドが怒ったように言った。最も、そう見せているだけで、本当は少しも怒ってなどいないが。
「あら、故意なんかじゃないわ。うっかりよ?」
ふふんと笑って、六歳の少女が笑顔を向けた。やれやれと首をすくめたエドマンドの脇を通り、ジェシカが小走りで居間に入った。
「お父さまーっ」
ごく自然な笑顔を浮かべて、父の姿を探したジェシカの視線に真っ先に入って来たのは、厳つい顔つきの男性だった。戸口と向き合うようにして置かれた長椅子に、でんと腰掛けたその男性は、焦げ茶色の短い髪を綺麗に整え、深緑の帽子を被っている。腰には重々しい長剣をぶら下げ、立派な口髭を生やして、深緑色の軍服を着込む姿はさぞかし立派な軍人であるのだろうと窺える。
「…ジェシカ、帰ったのか」
じっと探るように男性を見つめていたジェシカに声をかけたのは、食卓について男性に向かいあっていたチャールズだった。
「だれ?」
そそくさとチャールズに抱きつきながら、呟いたジェシカを見て異様な雰囲気を纏う男性が野太い声を上げた。
「ふん、その歳にもなって挨拶の一つも出来ないとは。これだから片親は」
「兄上」
眉をひそめたジェシカに変わるように、戸口に立つエドマンドが咎めるように声を掛けた。しかし、彼はだんまりを決め込んだようで、服の上からでも分かるほど良く鍛えられた腕を組んだだけだった。その様子に溜め息をついて、エドマンドはジェシカに向いて彼を紹介した。
「ジェシカちゃん、この人は僕の兄であるジャスパーだよ。今日はチャールズに用があるって言うんで、僕に付いてきたんだ」
そう紹介されても、気にくわないと言うようにジャスパーを見やるジェシカは、普段の彼女らしくない態度で睨んでいる。まだ幼い少女の視線を物ともせず、ジャスパーが目深に被った帽子の下から視線を向けて口を開いた。
「…その娘が?」
「あぁ、娘のジェシカだ。ジェシカ、挨拶を」
長い付き合いであるエドマンドの兄であるからか、チャールズは平然とジェシカに挨拶を促した。
「…人様の家の中で平然と帽子を被った不作法な人に、挨拶なんてしたくないわ。それに、兄弟なのにエドマンドとはちっとも似てないのね」
バッサリと切り捨てた娘に、目を剥いてチャールズが驚いた。
「…ぷっ、六歳の子に指摘されるなんて」
ぷぷっと笑いを堪えるエドマンドを見やりながら、ポリポリと手袋をはめた人差し指で頬を掻くと立ち上がった。
「これは失礼した。ジャスパー・キャロルだ。次期国王第一継承者であるが、今は第一軍隊に属している。今日は父君に話があった…だが、しかし。また出直してくるとしよう…」
スタスタと戸口に向かうジャスパーの動作に合わせて、服や剣、小型の銃につく装飾品の重々しい金属音が音を立てた。エドマンドの直ぐ近くにやってくると、チャールズに向き直って口を開いた。
「チャールズ、話を前向きに検討する気はないか?」
「断る」
バッサリと言い捨てたチャールズを困ったように見て、まるで彼の言葉を聞かなかったように無視をして言葉を続けた。
「エドマンドに写真を持ってこさせよう」
「兄上、今の彼の答えを聞かなかった?その気じゃない人物に無理やり自分の考えを押し付けても、ただの迷惑にしかならないよ。それに、チャールズが嫌がっている事を無理にしたくないし。兄上は、僕達の友情を壊したいわけ?」
すかさず反論したエドマンドは、腰に手を当てて片眉を釣り上げて兄を睨み、冗談じゃないと怒った。
「…では、違う方向で考えよう。一緒に帰るか?」
「いや。筋肉馬鹿な人とこれ以上一緒にいるのは御免だから…しばらくここにいるよ」
全く持って会話が成り立たない兄に溜め息を返し、ひらひらと手を振った。そんな弟にそうかと返し、チャールズにまた来ると告げて彼は帰って行った。
「なんの話?」
「大した用じゃない」
不思議そうに尋ねたジェシカに、やや不機嫌そうにそう言ってチャールズは机に向かい合った。普段食事が並ぶ食卓の上には、沢山の書類が散乱しており、それをぞんざいにかき集めて片付けていく。機嫌が悪そうな父を見ていたジェシカだが、一体どうしたというようにエドマンドを見やった。しかし、彼もまた、困ったように首をすくめて長椅子に向かって歩き、どさりと腰を落としただけだった。
自分一人をのけ者にされたようで不愉快になったジェシカは、背負っていた鞄を食卓の上に置いてチャールズの袖を引っ張った。
「お父さま。あのね、週明けに参観日があるの。わたし、作文を読むのよ…来てくれる?」
「いつ?」
立ち上がって重ねた書類を手にしたチャールズが、少し驚いたように瞳をぱちぱちと瞬いてジェシカを見た。
「来週の月曜日。三限目」
そう聞いて、チャールズは少しの間天井を見上げて思案に暮れていたが、予定が分からないようで長椅子に座るエドマンドを見やった。
「残念だけど、その日は会議が朝から詰まってる」
「…だそうだ」
申しわけなさそうに言ったエドマンドの言葉を受け取って、そう締めくくった。その言葉に、ジェシカは悲しそうな表情をまだ幼いその顔に浮かべて訴えた。
「三限目だけなの。会議なら、途中抜け出して来れるんじゃないの?」
どうしても来て欲しいとごねるジェシカだが、チャールズは無言で首を横に振っただけだった。
「お父さまは魔法使いでしょっ、魔法でなんとかして…」
「どうしても抜けられない仕事だってある」
困ったなと表情を浮かべつつも、チャールズはきっぱりと言った。その言葉にジェシカの顔が歪んだ。俯いた彼女はポツリポツリと呟いた。
「…いつもお仕事、お仕事って、そればっかり。運動会だって学芸会だって来てくれた事なんてないわ。でも、仕方ないって我が儘言ったことないじゃない!ずっと我慢したもの、他の子達は誰かしら来てるのに!」
大声で涙を堪えながら叫ぶ娘を前に、チャールズがおろおろと手にした書類をぶちまけてエドマンドに助けを請うように見た。その視線を受け止めて、慌てて長椅子から立ち上がり、今にも泣き出しそうなジェシカに駆け寄った。
「あぁ、ジェシカちゃん。そうだね、君はいつもいい子でお留守番してたもんね。だけど、その日は大事な大事な会議で…どうしてもチャールズは身体が空かないんだ。分かってやって欲しい。その代わりに…そうだな、お隣のラスキン夫人に頼んでおくよ。作文は、家に帰ってからチャールズに読んであげてさ…」
「それじゃ、何の意味もないっ!参観日の意味がないの!」
甲高い泣き声で思いっ切り叫ぶ彼女に、眉を潜めながらエドマンドは宥めようと必死だ。
「うん、分かってるよ…。そうだ!参観日に行けないけど、来月、チャールズにお休みが取れたらどっかに連れて行って貰おう?」
名案だと声を上げたエドマンドは、ねっ、そうしようとジェシカの顔をを覗き込んだ。が、しかし、子供の癇癪はそう簡単には収まらない。
「…嘘ばっかり。そんなこと言って、お父さまが休みを取れたことなんてないじゃない!よそのうちのお父さんは、週末には家に居て、どこどこに行ったって自慢してるのに」
うっと小さく唸ったエドマンドを押しのけて、食卓の上に乗せた鞄を腕に抱きしめてチャールズとエドマンド、二人の間を駆け足で通り過ぎた。戸口に辿り着いたジェシカは、真っ赤に充血した瞳で二人を睨んで言った。
「お父さまもエドも…。二人共大っ嫌い!顔も見たくないわっ」
「…ジェ、ジェシカちゃん?」
涙で濡れた頬を拭いながら駆けて行くジェシカに、エドマンドが戸惑ったような声を上げた。しかし、彼女は階段を駆け上がって自室に飛び込むと勢い良く扉を閉めた。
居間に残された男二人。チャールズはしょんぼりとうなだれて床を見つめ、エドマンドが困ったなと言うように頭を掻いた。
柱時計が時刻を刻む音だけが、しばし居間に響いた。やがて、チャールズがゆっくりと顔を上げてエドマンドを物言いたげに見た。長い付き合いである友人は、彼が何を言いたいのか悟ったようで、首をすくめると心底申し訳なさそうに言った。
「本当にごめん…墓穴を掘っちゃった」
颯爽とジェシカの後を追って居間を出て行ったエドマンドを見送ったチャールズ。
床に散らばった書類に向かって手を振ると、締め切った部屋で穏やかな風が舞い立ち、ふわりと紙を舞い上げた。天井近くまで舞い上がった多くの書類は、くるりと一回転をして食卓の角に順々に舞い降り、綺麗に一カ所に纏まった。その様子を見ずに台所に向かったチャールズは、やかんを手にとって水を入れ、火を掛けた。
さて、気が重いながらもジェシカの部屋に向かったエドマンド。彼は、歳の離れた弟と兄の息子達の世話をしていた頃もあって、子供の面倒にはいささか自信があった。しかしながら、それは手の掛かる男の子の場合であって、扱いの難しい女の子ではない。
彼女の部屋の扉の前で、どうしたものかと溜め息を零して扉を叩いた。
「ジェシカちゃ…」
「あっちに行って!!」
凄まじい剣幕で扉越しに怒鳴られ、エドマンドは仕方なくすごすごと引き上げるしかなかった。
階段を降りて行くと手すりを挟んだ廊下側から、チャールズが心配そうな顔をしてエドマンドを見上げていた。彼に首をすくめて、エドマンドは肩をすくめて手すりに腕を掛け、身を乗り出して行った。
「随分とご機嫌斜めみたい…しばらくそっとしといた方がいいと思うよ。お茶でもして時間を潰そう」
透き通る金色の瞳が少し揺れ、戸惑いがちに頷いた。そんな友人を見ながら身体を起こし、手すりに手を添えて階段を軽やかに降りると、チャールズに向き直った。
「…兄上が持ってきた話だけど。君が本当に嫌なら、僕の方からはっきり断ったっていいんだ。ジェシカちゃんもあれだけ真っ直ぐ育ってることだし、母親がいなくてもいいかもしれない。だけどね、初等部を卒業したら、直ぐに思春期だよ?母親が一番必要な時期ではあるでしょう?」
じっと押し黙ったチャールズだったが、声を絞り出すかのように口を開いた。
「…女性は怖い。それに、結婚したとしてもどうせ長く続かない」
ジェシカにぬか喜びさせるだけだと言い切り、居間に戻って行った。その後ろ姿を見ながら鼻から空気を押して息をつき、上の階を見上げていたエドマンドも彼の後に続いて、居間に入って行った。
部屋に閉じこもったジェシカ。寝台をばん、ばんと拳で叩きながら怒りをぶつけていた。
「お父さまもエドマンドもだいっきらい…」
そこへ、再び扉を叩く控えめな音が部屋に木霊した。またエドマンドがやってきたのかと眉をひそめた彼女は、追い返してやろうと息を吸った。
「…ジェシカ、入ってもいいか?」
しかし、扉の向こうから発せられた声は、大好きな父の声。悲しそうな、少し困っているようなその声を聞くとジェシカはちょっと彼が可哀想だと思って黙り込んだ。
「ジェシカ?」
扉を開く音に続いて、チャールズがそっと顔を覗かせた。ジェシカは寝台の近くにしゃがみこみ、彼に背を向けたまま微動だにしない。そろりそろりと部屋に踏み込み、チャールズはジェシカの側にしゃがんだ。
「…怒ってるのか?すまない、本当に」
そっと彼女の頭に右手を乗せて撫でてやるが、ジェシカはぷいと顔を背けてうさぎのぬいぐるみに顔をうずめた。チャールズは、小さく溜め息を零して立ち上がると戸口に向かって歩き、扉の取っ手に手を添えて振り向いた。
「エドが…焼き菓子を作ると言っている。気が向いたら降りてこい」
「お父さま」
そう言って出て行こうとしたチャールズに、ジェシカが不意に声を掛けた。ゆっくりと振り返った父に、涙で濡れた茶色の瞳を向けて言った。
「わたしのこと好き?」
「…勿論だ」
「じゃあ、こっちに来てわたしを抱きしめて?」
静かに肯定したチャールズに、両腕を広げてねだった。そっと部屋に散らばる人形達を避けながら戻って来たチャールズは、床に座るジェシカを抱き上げて寝台に腰掛け、膝に乗せて抱きしめた。
「…大っ嫌いなんて嘘よ?お父さまの事、誰よりも一番好き。ごめんなさい。お仕事で忙しいって分かってるのに」
チャールズの膝の上に乗りながら顔を肩にうずめて、小さく言った。髪を梳くように撫でるチャールズは、ぽんぽんと背中を叩いて気にしていないと伝えた。
「…議長に、頼むだけ頼んでみる」
そう小さく言った父の優しさに頷いて、彼の首元にぎゅっと抱きついた。いつだって彼は娘に愛情を注ぎ、優しい父親になろうと努力している。それを知っているから、彼女も彼を困らせた事に罪悪感を抱いたのだ。
けれど、休みが思うように取れないチャールズも、彼女に寂しい思いをさせていると実感していた。
「作文は、どんな課題で書くんだ?」
「自分の名前の意味と家族について。…ねぇ、どうしてジェシカって名前を付けたの?」
顔を上げて尋ねた娘に、チャールズが言葉を少々濁しながら答えた。
「…俺を育ててくれた、ばあさまの名前だ」
「おばあちゃん?」
「あぁ、俺の母さんのそのまた母さん、ジェシカの曾おばあちゃんだ」
へーと瞳を輝かすジェシカに、チャールズは静かに言葉を続けた。
「俺の母さんはろくでもない人だった。父親がいなかったせいか、毎日、酒ばかりを飲んで俺にあたって。それに見かねたばあさま、先代魔女に引き取られた。仕事に関しては厳しかったが、俺をとても可愛がってくれて人当たりの良い人だった…もう亡くなって、何年も経つがな」
膝に乗せたジェシカを見やりながら、そっと頭を撫でてやり彼女を床に下ろした。
「さぁ、下に降りてエドマンドが焼く菓子を食べに行ってこい」
「お父さまは?」
「荷物の整頓が残ってる。終わらせたら直ぐに行く」
「わかった。…エドマンドにごめんなさいって言わないと」
そう言って駆け出した娘の後ろ姿を見送って、チャールズもゆっくりと腰を上げた。
「エドウィン、我が儘言ってごめんなさい」
居間にやって来て早々、そう言ったジェシカに、エドマンドは鉄板を親指だけが分かれた手袋で持ちながら、驚いたように振り返った。
「どうしたの、急に。機嫌が直ったの?…いいよ、気にしてないから。参観日、チャールズを行かせられなくてごめんね。君の我が儘なら、出来るだけ聞いてあげたいのだけど。それで、何度も言うようだけど、僕の名前はエドマンドだよ」
「わたしの名前、お父さまのおばあさまの名前ですって」
「さり気なく無視するところは親子そっくりだね、びっくりするよ。で、それを教えて貰ってご機嫌が良くなったのかな?」
小さな窯に鉄板を滑り込ませて扉を閉めると、立ち上がってそう尋ねた。
「えぇ、おばあさまって素敵な人だったのね」
椅子に腰掛けて机に肘を乗せると顎を両手に乗せて嬉しそうに言った。そんなジェシカを台所と居間を仕切る台に体重を預けたエドマンドが、首を捻りながら唸った。
「うーん、優しい人ではあったけどね。あの人も魔女だったから、特に仕事場に忍び込んだ時の剣幕は凄まじかったなぁ」
「あら、それはいけないわ。ねぇ、写真か何かあるかしら?お父さまに頼んだら見せてくれる?」
「そうだね、反省してるよ。…どうかなぁ。あの人は極度の写真嫌いだったからね、魂を抜き取られるって言って、写真を撮られる事を拒否してたから…待てよ、一枚だけあったかな。チャールズが二番目の王宮魔法使いになった記念に、撮ったのが」
くすくすと笑って言うジェシカに、参ったとばかりに首をすくめた。その言葉に、今度はジェシカが驚いたように目を見張って叫んだ。
「魂を取られるの!?どうしよう、わたしお父さまとたくさん写真を撮ったわ!」
そんなジェシカに、エドマンドが声を上げて笑いながら否定した。
「違うよ、昔の人はみんなそう言うんだ。写真というものが出来たのが僕達が丁度大人になった頃だからね。どうも、ピカッと光って自分と全く同じ人物が、紙に映るのが嫌みたいだよ。チャールズも撮られるのはあまり好きになれないみたいだけど。お婆さんほどでもないから…写真を見たいなら、チャールズに言ってごらん。多分、この家のどこかにあるんじゃないかな」
なんだとほっと息をつくとジェシカはにっこりと頷いた。
「大好きだったお婆さんと同じ名前を君につけるなんて、チャールズはよっぽど君が可愛いんだね」
「わたしも、お父さまが大好きよ」
「そりゃあ、良かった。で、ジェシカちゃん、お菓子が焼けるまで僕と…」
「わたし、部屋に戻って作文を書けるところまで書いてみるわ」
とんと床に降り立ってエドマンドの言葉を遮り、そそくさと居間を出て行った。
「どうも、ジェシカちゃんに嫌われている気がするんだけどなあ、気のせいかな?」
台所に一人残されたエドマンド。ぽつりと寂しく呟くと何か自分はしただろうかと、甘い香りが漂う部屋の中で首を傾げて唸っていた。