06.贈り物
ちょっと手抜きをしつつ、一度書いてみたかったサンタクロースのお話です。(話に出てくるサンタクロースの設定は、作者が都合良く勝手に作り出したものですので、ご了承の上お読み下さい)
子供成長というのは、めまぐるしいものがある。
ミルクをよく飲み、たっぷりと睡眠をとる彼女はすくすくと大きくなり、床を這って動き回り一人歩きをするようになった。
そんなチャールズの娘、ジェシカは三つになっていた。
金色の髪を持つ少女は、誰にでも愛想良く笑うため、近所でも沢山の人々に可愛がれている。そんな彼女は今、暖かな居間にある暖炉の前で一人、木馬片手に遊んでいる。
窓掛けが開かれた窓辺には、その様子を横目に空を見上げているチャールズがいる。窓は、朝から降り出した冷たい雨で濡れ、暖炉の暖かな空気によって曇り硝子のように結露が出来ていた。
そんな穏やかな夕食時に、来客を告げる鐘の音が彼の家に響いた。来客を出迎えようとチャールズが居間の戸口に立った丁度その時、玄関の扉が勝手に開いて彼が入ってきた。
「ジェシカちゃーん?カッコイイお兄さんが、お土産持ってやって来たよ~」
嬉々として絨毯に雨水を滴り落として染みを作っているのは、チャールズの友人と自ら名乗るエドマンドだ。
水を弾く雨天用の黒い外套は、激しい雨に打たれたようで、ぽたぽたと滴が止めどなくなだらかに表面を滑り落ちている。
しかし、両腕に綺麗な包み紙で包まれた荷物を抱え、未だに上品な黒い帽子さえ脱がない本人は、にこにこと上機嫌で佇んでいる。
「また買ってきたのか」
そんな友人を居間の戸口に凭れたまま、冷ややかに見つめているチャールズ。
「うん、だけど気にしないで。これは僕の自己満足に過ぎないから。ほんと、君の娘って可愛いよね!」
友人の視線もなんのその。エドマンドは、ずかずかと廊下を軽く飛び跳ねるような勢いで進んだ。
「いらっしゃいましぇ~」
そこへ部屋から顔を出してエドマンドを笑顔で迎えたのは、金髪を結ばずに流した彼の娘、ジェシカであった。
「おぉ、ジェシカちゃん!会いたかったよ~」
荷物をさっと廊下に置いて身体をかがめたエドマンドの前に立ちはだかったのは、不機嫌丸出しのチャールズ。
「なに?君も抱きしめて欲しいとか?生憎だけど、男と抱き合う趣味は持ち合わせてなくてね」
「…ちょっと待て、そんなわけあるか。そんな濡れ鼠でジェシカに触るんじゃないと言ってるんだ。風邪をひいてしまうだろうが」
そう言われてから、自分の姿を見下ろしたエドマンドは、自身が酷く濡れていたこと今更気づいたというように肩をすくめた。
「車で君の家の前まで送って貰ったんだけどなぁ。酷い雨だから濡れてしまったんだろうね」
「風呂に入ってこい。ジェシカを抱くのはそれからだ」
「えー!!そんなのないよ!」
あんまりだと猛抗議するエドマンドをよそに、無言で促すチャールズの圧力と下から見上げてくる可愛らしい視線に負けて、エドマンドは拗ねたように言った。
「わかったよ、着替えは君の服を貸してもらうからね!」
くるりと踵を返して玄関まで戻り、そこから二階へと伸びる階段に足を掛けたところで、彼は再び叫んだ。
「夕飯は、ジェシカちゃんを膝に乗せて食べるからね!文句言わないでよっ」
「夕飯を食って行くつもりなのか…」
「えじょ?」
階段際から叫ぶエドマンドとぽつりと呟いたチャールズを見ながら、拙い言葉でエドマンドと不思議そうに呼んだ幼い娘は、こてんと首を傾げて父を仰いだ。
「風呂に入りに行っただけだ。しばらく経ったら降りてくる」
そう答えたチャールズの言葉を理解したのかしていないのか。定かではないが、父の黒い襟付きの肌着の裾を引っ張って笑みを浮かべた。
「どうした?」
膝を折って視線を合わせた父に、彼女は小さな左手の人差し指を台所に向けた。金色の瞳がその指に沿って視線を向ければ、丁度白い小さな鍋から中身の汁が派手に零れ落ちている所だった。
水が蒸発する音にせき立てられるように、慌てて台所に向かう父の後に続いて、きゃっきゃっと楽しそうな声を上げながらジェシカが続いた。その様子を階段の手すりから身を乗り出して覗いていたエドマンド。
まるで、微笑ましい親子の姿を見たような笑みを浮かべていたが、はっと思い出したように「お風呂に入らなくっちゃ」と一人呟いて、階段を駆けて行った。
「あぁー、さっぱりした!」
襟が付いたやや大きい白い肌着を纏ったエドマンドが、居間の戸口に現れた。
「ん!?この匂いは…」
ひくひくと鼻をひくつかせて台所から漂う匂いを嗅いだ彼は、ばたばたと駆けて行き、チャールズの脇から鍋の中を覗き込んだ。
「やっぱり!チャールズのお婆さん直伝の煮込み料理だっ!」
「もう少しで出来るからあっちに行ってろ」
「ふふん、さてはさっきお鍋を零しただろう」
邪魔だとお玉杓子を片手に追い払う動作をするチャールズに、エドマンドがお見通しだと言わんばかりの顔で見上げた。
「うるさい…」
図星だという顔を向けたチャールズを小さく笑って、居間へと戻って行った。
「ジェシカちゃーん、夕飯が出来るまでお兄さんと玩具を見てようね」
暖炉の前に座る小さな娘は、手招きするエドマンドに誘われてトコトコと居間の入り口に歩いて行く。
「何が出てくるかな~」
ばりばりと盛大な音を立てて包装を破っていく二人を台所から静かに眺めていたチャールズだったが、鍋に向かいあってお玉杓子でゆっくり中身をかき混ぜた。
「じゃーん!」
「おぉうっ」
軽快なエドマンドの声に反応して、ジェシカの喜びの声が上がった。しかし、チャールズはのんびりと鍋の汁を小皿に取って啜り、火を止めて大きな皿を二枚、小さな皿を一枚棚の上から取り出して中身をよそっていく。その際に、彼の後ろからは幼い娘がはしゃぐ声が絶えず聞こえている。
三人分をよそい終えたチャールズは、居間と台所を仕切っている細長い、物を収納できる扉が付いた台に皿を並べて、長方形の銀色のお盆を持ち上げた。
「おとうしゃま!」
「うわっ、なんだ!?」
熱い湯気が立ち上る皿を両手に持った父に体当たりしてきたのは、両手腕に抱えきれないほどの玩具を抱えた小さな娘。親子諸共、危うく頭から真っ白な煮込み料理を被る所であったが、重力に従って落ちようとしていたところをチャールズが一瞬の間に留めた。
「危ないだろう、ジェシカ」
片眉を釣り上げて怒るチャールズは、小さな娘にめっというように怒ったが、その様子は端からみれば元気いっぱいの娘に困っているお父さんという風景だ。少し離れた場所で、友人であるエドマンドが腹を抱えて笑っているのが、その証拠である。
「えじょが、くれたぁ」
そんなことは気にしないと言った風に、小さな娘はにこーっと微笑みながら、腕いっぱいに抱えた玩具を父に見せようと必死だ。
「そうか、良かったな。ちゃんとありがとうって言ったか?」
「うん、いったぁ!」
「よし、じゃあ片付けてこい。夕飯だ」
「あーい!」
元気良くパタパタと駆けて行く娘を眺めてから、チャールズは手元にある独自な芸術作品のように、宙で固まる汁と具を短い呪文で皿へと戻した。
流れるように皿に戻った夕飯は、食欲をそそる匂いを立ち上らせて、食卓に並んだ。
「…それが僕の分って、どゆうこと?」
ちょうど皿に戻った料理がエドマンドが座る席へと置かれると、彼は不満げに友人を睨んで言った。
「なにも汚くないだろう?」
「そう言う問題じゃないんだよ、こう気配りっていうの?普通さぁ、お客さんに出す物には気を使うものでしょうが」
しれっと答えたチャールズに、エドマンドはぶつぶつと文句を連ねている。
「…誰が客だって?」
「この僕が!」
「ジェシカ、席につけ。夕飯にするぞ」
「人の話を聞こうよ!君の悪い癖だよ」
「それが俺の治らない悪い癖なら、お前のそのぎゃあぎゃあ喚く癖も同じぐらい酷いだろうな」
あっさりと言い返した友人に拗ねながら、なんとか言い返せはしないだろうかと画策していたエドマンドは、子供用の椅子によじ登っているジェシカを見て慌てて言った。
「ジェシカちゃん、お兄さんの膝の上においで」
「やっ!ひとりでたべりゅの」
考える素振りさえ見せず、バッサリと切り捨てたジェシカ。その衝撃のあまり、固まるエドマンドにチャールズがジェシカを椅子に座らせてやりながら、もう一度言った。
「一人で食べるそうだ」
「今、聞いたよ!…ジェシカちゃんに振られるなんて。僕、傷が深くてしばらく立ち直れないよ」
そんな事を言いながら落ち込む友人を見て、台所に食器類を取りに踵を返したチャールズは小さく鼻で笑った。
「あっ!チャールズ。君、今鼻で笑ったね!!」
酷いじゃないか!と喚くエドマンドを無視して、洋食器を並べていった。
「…大体さぁ」
「いっただきまーしゅ!」
ぶつぶつと未だに怒りの限り呟くエドマンドを放って、ジェシカが元気よく叫んで小さな匙を握り締め、口に放り込んでいく。その様子を眺めていたチャールズも、もそもそと食事を始めた。
「ごちそーさま!はぁ、おいしかったあ、やっぱりチャールズの煮込み料理は最高だね!」
満足げに皿に盛られた料理を平らげたエドマンドが、食後の果物の残骸を片付けながら叫んだ。そんな彼は、視線の先に並ぶ『親子』を見て目を細めた。
「ほら、ジェシカ。口に付いているぞ」
「ん~?」
お気に入りの匙を片手に手を振り回すジェシカは、子供用の椅子に座ってかなりのご機嫌だ。チャールズは、娘の口の周りについた食べかすを布巾で拭ってやっている。世話が焼ける娘をすっかり父親気分でしっかりと面倒をみている。そんな様子を穏やかに眺めていたエドマンドの視線をチャールズが気づいたようで、彼を見やりながら尋ねた。
「…なんだ?」
「なんでもなーい」
「気持ち悪いな…」
うふふと笑う友人を怪訝そうに見やって、小さな娘を椅子から抱き上げ、床に下ろしてやった。転げるように部屋の中を駆け出した娘を見ながら、チャールズはゆっくりとした動作で机の片付けを始めた。
そんなチャールズを見上げて、エドマンドが机に両肘を付いて聞いた。
「チャーリーは、ジェシカちゃんに何をあげるの?」
「あぁ、降誕祭のか?ついでだから今渡すか…」
聖人の誕生を祝うその祭りで、子供達は贈り物が貰える。
その存在を今思い出したばかりに、台所の棚から取り出そうとしたチャールズに、エドマンドが慌てて立ち上がって叫んだ。
「ダメダメダメダメダメ!だめ!めっ!」
「だれが、めっなの~?」
エドマンドのあまりの血相に、ぎょっとしたチャールズ。娘のジェシカが、エドマンドの少々変わった言葉を聞きつけ、首を傾げて尋ねた。ハッと振り返ったエドマンドは、小さなうさぎのぬいぐるみ片手に二人を見上げる少女に、取り繕うような笑みを向けて言った。
「あぁ、何でもないんだよ、ジェシカちゃん。向こうで遊んでてくれるかな?」
「うん…」
渋々暖炉の近くに戻って行ったジェシカを確認してから、チャールズにくるりと向き直った。
「チャーリー!今ここで渡してしまうなんて、なんて馬鹿なんだ。いいかい?君は魔法使いだろうに。どうやって渡すべきなのか、ちょっと考えれば分かるはずだよ」
かなりの形相で形を掴んで揺さぶる友人に、チャールズは困ったように眉をひそめて一言答えた。
「分からない」
「どうして分からないの?この、お馬鹿さん!」
「…エドマンドはさっき手渡しで渡してだろう」
「僕は僕、君は君!小さな子に夢を与えるのも魔法使いの仕事だよっ」
そう言って、山のような贈り物の中を掻き探し、真っ赤な服を隠しながらチャールズに手渡した。
「これはなんだ?」
「いいかい、聖夜の前夜には立派な白髭をつけたおじいさんが真っ赤な服を着て、子供達に贈り物を届けるって決まってるんだ。八頭のトナカイとそりに乗って、煙突から子供達がぶら下げる靴下に贈り物を入れるんだよ」
ふふんと威張るエドマンドを横目に見ながら、チャールズが手渡された衣類を手に、浮かんだ質問を彼に投げかけた。
「トナカイ?そんな生き物はここにはいないぞ?それに、それは不法侵入にならないのか?しかも、そのおじいさんとやらはどこにいるんだ?」
「夢がないね~、チャーリー。いいかい?そのおじいさんは、名前を『サンタクロース』って言うんだよ。大抵、子供を持つ親御さんがこっそり贈り物を置くのが恒例だけど、ここでは代々王宮魔法使いの業務の一環になってる…知らないの?」
まさかと聞くエドマンドに、聞いたことがないとチャールズが首を振った。
「そんなはずはないんだけどなぁ」
おかしいなぁと声を上げるエドマンド。衣類を汚そうに摘まんで、椅子の背に掛けたチャールズは、腕を組んで彼を眺めていった。
「それで?幾ら業務の一環にされているとしても、何故そのクロウなんたらというじいさんに俺がならなくてはいけないんだ?なにも俺じゃなくてもいいだろうに。一番目の魔法使いがやってくれるだろうが」
「あぁ、あの人なら二つ返事でやってくれるだろうね」
チャールズよりも何倍も早く仕事をこなし、国王からの信頼も厚い一番目の魔法使い。尚且つ、人当たりも良い彼を想像して、エドマンドはやれやれと首を振った。
「でも、今回は多分君がやるしかないよ。確か彼は今週末から有給を取って旅行に行っておられるから」
その言葉にぎょっとしたチャールズは、たいそう嫌そうに赤いと白の服に視線を落とした。
「…なぜ、俺がそこまでしないといけないんだ?」
「お仕事だから、仕方ないでしょう?」
ぶつぶつと小言を漏らすチャールズに、宥めるように言ってエドマンドは腰に両手を当ててピシャリと言い放った。
「今日の深夜、その服を着て西倉庫に来ること!」
以上!と元気良く叫んで、くるりと踵を返すとエドマンドは途方にくれる友人を放って戸口へと向かった。
「チャールズ、忘れたら駄目だよ。じゃあね、ジェシカちゃん」
そう言って部屋から消えたエドマンド。ジェシカは、しばらく不思議そうに彼の消えた戸口を見やっていたが、とととっとチャールズの近くに寄って来ると脚にしがみついて見上げた。
「おとうしゃま、どこかにいくの?」
「…あぁ、厄介な仕事を言いつけられた」
どこか遠くで扉が閉まる音が聞こえた頃、チャールズが困ったようにジェシカを見下ろして答えた。
「おもちゃをくれるおじーちゃんより、おとうしゃまといっしょにいたい!どこにもいかないで」
涙を浮かべて必死に懇願する娘の頭を撫でてやり、居間にある唯一の時計を見上げた。
エドマンドが指定した時間は真夜中。それまでには寝入ってくれるだろうと淡い期待を抱き、チャールズは後片付けに取りかかった。その期待が、簡単に打ち砕かれるとも知らないで。
「――で、つれて来ちゃったの?」
街の住人達がすっかり寝入った真夜中に、エドマンドは指定した西倉庫の中でチャールズを待っていた。年に数回しか使わない物達で溢れているこの倉庫は、所謂物置だ。広い王宮の中でも、ポツンと佇むこの倉庫は良く利用される東倉庫と真反対の場所にあり、あまり人もやって来ない為に中の物達はすっかり埃を被って眠っている。最小限の明かりだけを灯している倉庫内は薄暗く、当然暖をとる物もないために真冬の寒さである。天井が高く取られた造りで、出入り口はエドマンドの真正面にある大きな両扉だけ。地面は冷たい煉瓦が剥き出しとなっており、微かに見える壁も同じように冷たい煉瓦が顔を出している。
真冬の寒さの中、この場所の密会は拷問に近いのではないか…などど思いながら、エドマンドはゆったりとした長い上着の前を掻きあわせた。
上着の下は外出に不向きな寝間着だ。使用人達にバレないように、時間ギリギリになるまで寝たふりをしていたから、仕方がないと言ったらそれまでだが。
辛うじて救いと言える物は、暖かな毛糸の帽子と首にぐるぐると巻き付けた縞模様の首巻き。薄いけれど熱が逃げない毛布と、もこもことした羊の毛が覆われた分厚い室内履き達だ。
端から見たら、恐らく雪だるまが毛布に絡まって動けない状態に錯覚されそうではあるが、この状態で格好など気にしていられないとエドマンドは歯をカチカチと鳴らせて思い留まった。
深夜を数分過ぎた頃、扉が重い音を立てて開いた。その音に飛び上がるとエドマンドが大声で苦情を漏らした。
「チャーリー、遅かったじゃないか!僕、凍死しちゃうかと思ったよ」
ちょっと大袈裟過ぎたかなと思いながらもそう苦情を言い放って、エドマンドは友人が抱える小さな持ち物を見て固まった。チャールズは、エドマンドが言いつけた通り、袖のない黒い外套の下に赤い服を着ている。髭はつけていないが、ぱっと見ただけでは無愛想な若いサンタクロース、と見えないこともない。問題は、彼が腕に抱えている少女だ。
深い緑色をした三角の毛糸の帽子と揃いの親指だけが分かれた手袋をはめていて、淡い赤色の踝まである暖かな外套を纏う彼女は、チャールズの娘のジェシカだ。
「…どーして、ジェシカちゃんがいるのかなぁ?」
静かに、けれど問い詰めるようにエドマンドが腕を組んでチャールズを見やった。
「…なかなか寝付かなくて。置いていこうとすると大声で泣くんだ…」
もごもごと言い訳を始めたチャールズを冷ややかに見やっていたエドマンドが発した言葉が、先程の一言だった。
うっと言葉に詰まるチャールズに、エドマンドが大きなため息を大げさについて言った。
「駄目だよぉ、つれて来ちゃ。そりゃ、つれて来ちゃ駄目だなんて僕は言わなかったけどさ。普通分かるよね~?君が仕事をしている間、誰がジェシカちゃんの面倒を見るのさ。僕は君がちゃんと仕事を終えてくるかここで待ってなきゃいけないんだよ?風邪でも引いたらどおするのさ!」
グチグチと言葉を繋げてチャールズを怒るエドマンドに、ジェシカがピシャリと言い放った。
「おとうしゃまをいじめないでっ」
「虐めてなんかいないんだけどね…。なんで僕が悪者にされなくちゃいけないんだ?」
トホホと嘆いたエドマンド。あからさまに傷ついた様子を見せる彼を放って、ジェシカはぎゅっとチャールズにしがみついて宣言した。
「ジェシカ、おとうしゃまといっしょにいるのっ。おとうしゃまはジェシカのものだもん!」
「はいはい、分かりましたよお姫様。というわけだから、お父さん」
身体にぐるぐると巻き付けた毛布に文句を漏らしながら、近くに置かれていた木箱の中を漁り、再び毛布を揺らしながら戻って来た。手にはやや幅が太い紐を持っている。
「ジェシカちゃんをしっかり抱えて…そう、そのまま」
双方が向き合うように抱えるチャールズの身体とジェシカを手際よく結びつけた。まるで、小さな赤子を胸に抱く母親の構図だ。
「これなら、ジェシカちゃんをうっかり落っことしたりしないでしょ。君のことだから、今度は落としたなんて言って帰ってきそうだからね」
両手が空いた事で幾分か気楽になったチャールズに、エドマンドは冗談に思ってはいそうにない事を言った。
「さてと、チャールズ。君がする仕事の内容は、至って簡単だ。この住所に書かれた子供達の家に贈り物を届けること」
胸元にある隙間から手首だけを出して、何枚かの洋紙を折り畳んだ物をチャールズに手渡した。それを受け取った彼はそこに書かれた子供達の数にげんなりてした表情を見せた。
「その時に注意することが三つある。一つ、絶対に姿を見られてはいけないこと。二つ、空が明るくなるまでに全てを配り終えること。三つ、子供達の住所と贈り物、双方を間違えないこと」
いい?と指を三本立てて確認するエドマンドを見つめて、チャールズがポツリと言った。
「配り終えられなかったら…」
「配り終えるのっ!」
ピシャリと言い切られて、すごすごと身を縮めたチャールズから視線を外し、エドマンドは背後を見やって言った。
「さぁ、早速準備をしなければね。チャールズ、この銅像をトナカイにして使うんだ。で、このそりを引かせて空を行くんだよ」
複雑に物が積み上げられている山の中から無理やり引っ張り出してきたと思わしき大きなそりは、職人が丁寧に時間を掛けて作ったと見受けられる年代物であった。大人が精々二人程しか乗れそうにない小型のそりだが、後ろに僅かに空いた場所に白い袋に入った荷物が大きい物が一つ、小さい物が二つ積み込まれている限りでは、案外乗せられる重量は大きいようだ。それは上質な木材で作れていて、左右の側面には対称の柄が浮き彫りとなっている。しかし、所々傷が目立ち、繊細なその模様は痛々しい程に削り取られ、完成当時はさぞかし美しい芸術作品であったと想像できるが故に、それが何とも残念である。
色合いは、品のある黄金色が塗られていたようであるが、年を重ねるごとにはげ落ちたようで、後方の一部と美しい曲線を描く前方部分だけしか今はほとんど残っていない。雪の中を走るそりであるからなのか、木で作られた刃の部分は丁寧研がれていて刃こぼれもない。
本体部分に使われていた黄ばんだ木材が顔を出し、御者台のような座席部分は固い木板が埃を被って姿を見せていた。
そりの左右から伸びる太く丈夫な牛革は、馬車で馬を引かせる際に使用する物とよく似ていた。
「さぁ、チャールズ。ぼぅとなんかしていないで、さっさと準備に取り掛かりなよ」
ぼけっとそりを眺めていたチャールズに、エドマンドがせき立てた。渋々、彼は八頭ある馬の銅像を二頭ずつ魔法で綺麗に並ばせて、息を吹き込ませる魔法をかけた。
「トナカイだよ、チャールズ。それじゃあ、ただの馬だ」
ぶるぶると鬣を振る八頭の馬に四苦八苦しながら、複雑な馬具をつけたチャールズが面倒くさそうにエドマンドを振り返って右手を一振りした。すると大きな馬達は立派な角を持ったトナカイに変身した。
「トナカイには大きな鈴をつけるんだよ」
エドマンドの言葉にうんざりとしたように手を振ると、ガランガランと派手な音がする鈴がトナカイの首に出現した。ちょっと間抜けな顔をしたトナカイ達。そんな愛らしい顔を眺めて、エドマンドはフサフサとしたトナカイの毛に触りながらチャールズを見た。
「チャールズ、その外套を脱いで帽子を被って。ちょっと小太りになって立派な白い髭を生やして」
言われた通りに魔法で変身した彼、子供を胸に抱いたサンタクロースが出現した。
「うん、見えない事もないね。…くれぐれも子供達にバレないようにしてよ?」
チャールズをそりに引っ張って行くエドマンドは、念を押すように言った。
「子供の頃さぁ、そりに乗ってやってくるおじいさんに会いたくて、寝台で起きてたんだ。わくわくしながら待ってたら、やって来たのは姿を変えた君のお婆さんだったんだもの。あの時の衝撃は凄まじいものがあったね」
はぁと溜め息をついてそう呟くと、チャールズにしっかりと手綱を握らせて彼の肩をたたいた。
「…君ならなんとかやり遂げるだろうと信じてるよ、出来れば僕が凍え死んでしまう前に戻ってきて欲しいけれど」
それは多分無理だと返すチャールズに笑って、手を振った。
「いってらっしゃい」
その言葉に見送られて、チャールズは手綱を振ってトナカイの群を発進させた。魔法を加えたチャールズの姿は瞬間に速さを加速して前に進んだ。物が積まれた山に激突するかと思われたが、ぶつかる瞬間にその風景はぐにゃりと歪み、八頭のトナカイとチャールズとジェシカを乗せたそりを吸収した。
倉庫の外で、たくさんの鈴が鳴る音に耳を傾けていたエドマンドは、鈴の音が遠く離れていった頃に大きな伸びと欠伸をして呟いた。
「…一眠りしよう」
一方、夜空を掛けるトナカイに引かれてそりを走らせるチャールズ。泣きそうな彼とは反対に、娘のジェシカは口を半開きにさせてきょろきょろと辺りを見渡している。
「大人しくしてるんだぞ」
「うん!」
何度目かになるその会話。ジェシカはにこにことチャールズを見上げて答えている。
「…おとうしゃま、きれいだね―」
「うん?」
「おちゅきしゃまのひかりぃ」
唐突に左手を広げて言うジェシカに、チャールズが視線を街並みに向けた。
明かりが消えた街並みは、先程雲から顔を出した明るい月明かりに照らされて、きらきらと光って見えた。
「あぁ、そうだな」
じっと街並みを静かに見つめていたチャールズが、少しだけ笑ってジェシカを見た。ジェシカも嬉しそうに笑うとチャールズの胸に頬を寄せた。
「…ジェシカ」
「なぁに~?」
「懐にある物入れを見てみろ」
珍しく声を掛けてきた父を見上げたジェシカは、言葉通りチャールズの懐にある物入れを探った。出て来たのは、可愛らしい紙に包装された正方形の小さな板。
「くれるのぉ!?」
両手で握り締めて尋ねる娘に、チャールズは小さく頷いた。
「ありがとー!おとうしゃま、だいしゅき~っ」
ギュッと抱きつくジェシカを眺めながら、チャールズはぶっきらぼうに言った。
「開けるのは帰ってからにしなさい」
「あーい」
喜びを全身で表す娘を見て、少しだけ柔らかくチャールズが微笑んだ。その微笑みはまさしく、娘を見守る父の顔であった。
「…おと~しゃまぁ」
しばらく経って、嬉しそうに小包を胸に抱いていたジェシカが、不意に声を上げた。
「なんだ?」
「おしっこ…もれりゅ」
「えぇっ」
ジェシカの一言に、チャールズが大声で驚いた。握っていた手綱は不安定な引き方をし、トナカイ達が混乱して様々な方向に向かおうと列を乱した。
「…ちょっと待て」
「おとうしゃま、がまんできにない…もれちゃう!」
もれちゃうよ!と叫ぶジェシカの声に焦り、チャールズはトナカイ達を操ってそりを傾け、街に向かった。
朝日が登る前に、親子揃って無事に帰還した彼らを半目で出迎えたエドマンドは、贈り物を全て配り終えたことに大満足であったが、後日街に広がった噂に頭を抱えることになった。それは、五つになる一人の少年がある男性に出会ったという話だった。
聖夜の前日の晩、親に内緒で天体を観測していたその少年の部屋に、突如として男が現れたらしい。最初は、泥棒かと警戒した少年だったが、真っ赤な服装と数頭のトナカイが引くそりを見てピンときたという。
本物を見て緊張する少年に、若いサンタクロースは一言こう言った。
『手洗いを貸して欲しい』
その思いも寄らぬ言葉に面食らう少年だったが、サンタクロースの切羽詰まった様子に言葉少なく手洗い場の場所を教えた。サンタクロースはそれを聞くやいなや、凄まじい速さで駆けて行った。その際に、腕に抱えた少女はもれちゃう!と叫んでいたという。
どうやら間に合った様子の娘を抱えて部屋に戻ってきたサンタクロースは、お礼に綺麗に包まれた贈り物を手渡して去って行った。
うちに、子供連れのサンタクロースが手洗いを借りに来た。と同い年の友人や近所の人達に自慢気に話す彼の話は、尾鰭をついて街を駆け回り、エドマンドの耳に入った頃には笑ってしまうくらい、少々変わったサンタクロースの話になっていた。
なんでも、サンタクロースの正体は子連れの若い青年で、贈り物を届けるついでに、実はお手伝いを借りに来ているというものだ。だから、サンタクロースが困らないように手洗い場所の地図を貼り付けておかなければいけないとか。
ジェシカのお手洗い騒動で、チャールズが慌てて魔法を解いて人前に姿を現したという事実を知るのは、その事にしばらく腹を立てていたエドマンドのみ。彼らの国で、『サンタクロース、手洗いを借りにくる』という風変わりな話が数年の間、有名になったのだった。