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15.舞踏会

この話の前にひとつ話を入れたかったのですが、出来上がってしまったので。

煌びやかな光に埋め尽くされた目の前に広がる世界に、ジェシカは言葉を失ってその場に立ち尽くした。


光で満ちる大広間の中、華やかに着飾った婦人達と燕尾服を品良く着こなす紳士達が、穏やかに談笑をかわしている。彼女が日々過ごす生活の中では、縁遠い世界だ。どぎまぎと辺りを見渡して、ジェシカはすぐ側にある上品な服を握って小さな声を掛けた。


「エドマンド、どうしよう…わたし、変じゃない?」


金色の髪を半分だけ緩やかに結い上げ、髪によく似合う真珠と控えめな髪飾りが添えてある。濃い緑色の礼服用に作られた服を纏うその姿は、さながらどこかの令嬢のようだ。


「よく似合ってるよ、ジェシカちゃん。さぁ、胸をはって素敵な笑顔を見せて?」


真っ黒の燕尾服を着こなす彼は、すっきりと一つに結んだ髪を揺らして笑った。そんな彼に腕を絡ませて、ジェシカは答えるように控えめに笑った。似合いの二人は、ゆっくりと足を進めた。


「ご機嫌よう、ヘンシェル公爵。そちらの令嬢はご婚約者?」


そんな二人に声を掛けてきたのは、臙脂色の礼服を見に包んだ美しい茶髪の女性だった。嫉妬の炎をありありと見せるそんな彼女に違いますよと笑って、ジェシカを紹介した。


「チャールズの愛娘のジェシカですよ」


エドマンドの答えに、女性は好奇心に変わった赤い瞳をジェシカに向けた。


「あら、二番目の王宮魔法使い殿の?…でも、トールキン殿とはあまり似てらっしゃらないような」


「可愛いでしょう?僕達はチャールズを探さないと、では」


上品な薄い紫色の扇を開いて控えめに指摘した彼女の言葉を笑顔で遮って、エドマンドはジェシカをさり気なく違う道へと導いた。


「ねぇ、今の人誰?」


「…男爵家の令嬢だよ。まぁ、ジェシカちゃんは気にしなくて良い人さ」


歩きながら、エドマンドの横顔を見上げてそう訪ねたジェシカに、彼はこれといった興味を示さずに答えた。それからも、二人に声を掛けてくる輩は沢山いたが、エドマンドは適当に相手をしてかわし、ジェシカは人懐っこい笑みを浮かべて相手をした。人で溢れる大広間を端から端に移動してチャールズの姿を探す二人。しかし、背の高い彼の姿を見つけることは出来なかった。


「…チャールズの奴、まさか忘れてるんじゃないだろうな」


慣れない高さの靴を履くジェシカの足がすっかり真っ赤に腫れ上がってしまった頃、窓近くにある淡い黄色を交えた白の長椅子に腰掛けてエドマンドはそうぼやいた。左隣に腰掛けて痛む足の具合を見ていたジェシカが顔を上げてエドマンドを見、そして軽やかに踊る人々へと視線を向けた。

舞踏会はすでに中盤に差し掛かり、穏やかな雰囲気を醸し出している。深夜を過ぎてしまう前に、未成年であるジェシカは家に帰らなければいけない。チャールズの燕尾服姿が見れるかもしれない、あわよくば一緒に踊る事も出来ればと期待したジェシカにとって、その時の落胆さはかなりのものであろう。そんなジェシカを横目で見やっていたエドマンドは、なかなか姿を現さない喧嘩中の友人に業を煮やして腰を上げた。


「…ちょっとチャールズの仕事部屋を見て来るよ。ジェシカちゃんはここで…」


そう口を開いたエドマンドの言葉を遮るように、大広間がざわめいた。二人の斜め右にある両扉の戸口から、一人の男性が姿を現した。裾を引きずる程の銀色に光る外套を纏うその姿は、そこらの輩にはない風格がある。現国王の登場である。

緩やかな少ない焦げ茶色の巻き毛を撫でつけて、その頭の上に金色に輝く王冠が光っている。


一際高い王座に腰掛けた国王が老いた、しかし、威厳があるその声を上げた。


「舞踏会を楽しんでいるところすまないが…皆の衆に、少し聞いてほしい事がある」


ざわめきも静まって、管弦楽団達の演奏も止んだ大広間は、しんと静まり返っている。


「隣国との冷戦状態は、皆よくよく知ることであろう。近頃、隣国の動きが怪しく、探りを入れた結果、東から大量の銃や火薬を輸入していると報告があった。我が国に攻め入るのももはや時間の問題…よって、我が国は開戦宣告をあげることになった」


その言葉を聞いた貴族達のどよめきが起こり、辺りは騒然となった。その様子を眺めながら、国王はよく通る声を張り上げた。


「だが、案ずるな。既に先行隊は今宵出立し、先手を打っておる。同盟国にも援軍を求める手紙を出しておる。この戦で都市部に被害が及ぶことはなかろう。…民衆には明日の早朝に伝達する」


戸惑いを隠せない貴族達を尻目に、席を立とうとした国王に厳しい声が投げかけられた。


「…お待ちください!」


群集をかき分けるように飛び出して来たのは、厳しい表情をしたエドマンドだ。彼は、しっかりと国王を見つめて尋ねた。


「陛下、隣国と戦を始めて我が国が被害もなく勝てると仰るのですか?ご存知の通り、隣国は大勢の術師と魔法使い達を抱えております。中には法に反する術を使う輩もいるというのに、たった二人の魔法使いしかいない我が国が勝てる保証はないでしょう」


「あぁ、だから先手を打つことにしたのだ」


静かにそう言った国王を見つめ返していたエドマンドの瞳が、驚愕したように見開かれた。


「…まさか」


「ジャスパー率いる先行隊に、第二魔法使いのチャールズ・トールキンが同行しておる。第一魔法使いのポール・J・ルイスは城に残り、万が一我が国が攻め入られた時の場合に備えてエドマンドと指揮を取るように命じた」


淡々と言葉を繋ぐ国王を睨み付け、歯を食いしばるように叫んだ。


「あなたは…、チャールズを。僕の友人を捨て駒にしたのか!」


突然席を立って国王の前に立ちはだかったエドマンドを追って、何事かと彼の背後に立ったジェシカの耳にその言葉は鮮明に届いた。その場に呆然と佇む彼女をよそに、怒りと悲しみをまじえた視線を父に向けるエドマンド。彼をたしなめるように、国王は静かに首を振って悲しみをこらえた深い緑色の視線を向けた。


「エドマンド、分かっているはずだ。戦というものを」


「…だからと言って」


「彼も承諾してくれた」


それが留めとばかりに、ジェシカは踵を返して駆け出した。後ろから、自分の名を呼ぶ声が聞こえたが、彼女は立ち止まることなく大広間を駆け抜けた。ひだ飾りがふんだんに使われた裾を両手で手繰り上げて、長い階段を駆け下りる。途中、使用人とぶち当たってしまったが、謝罪もそこそこに先を急いだ。


華やかな世界から逃げるように、すっかり暗闇に包まれた冷たい街に飛び出した。灰色の雪が街を覆う中、涙をこらえた少女が一人薄着で先を急ぐように駆けて行く。その姿はまるで、どこかの御伽噺に出てくる一部分のようで。

掛けられた魔法がとけてしまう前にと、急ぐ主人公と重ね合わせて街中を歩く数人の人々が彼女を見た。


どこかからか零時を告げる鐘が鳴り響く中、真っ赤に腫れ上がった両足で煉瓦が連なる地面を蹴る。普段履かない靴は、いつの間にか脱げてしまっていた。凍える程の寒さが、彼女を包んで体温を奪っていく。


荒い息を吐いて立ち止まった彼女の視線の先に、真っ暗な家が姿を現した。一目散に数段の階段を駆け上がり、玄関扉を押し開けて静かな家の中に呟いた。


「…お父様」


言葉と共に零れた吐息は真っ白な煙となって、廊下に消え去った。ふらふらと居間へと向かったジェシカは、誰も居ない家の中を目のあたりにして彼女は叫んだ。


「チャールズ!…チャールズ、返事をして」


最後は泣き声と化したその声に応える声は無く、時を刻む時計の針の音だけが響いている。涙を浮かべて立ち尽くすジェシカの視線に、食卓に置かれた一通の手紙が目に留まった。黙ってどこかに出掛ける際に置き手紙を残す父の癖を思い出し、そっと手紙を手に取った。

自分宛てであることを確認して、封がされていない茶封筒を開けた。


独特の筆跡が連なる文字は、数枚の便箋でまとめてあった。内容は、黙って戦場に行く事への謝罪、今後のことは国王が後見人となってくれることやヘンリーとの婚約の話をよく考えるようになど、ジェシカの想いで溢れていた。


『幸せになってくれ』


そう最後に締めくくられた手紙を抱きしめ、嗚咽を堪えて一人、涙を流した。


ジェシカが居間で一人涙を流している頃、時を同じくして彼はチャールズの仕事部屋で一人、呆然と佇んでいた。得体の知れない物であふれていたチャールズの部屋はすっかり片付けられており、あるのは小綺麗な家具の数々だけだった。古い床板が一面顔を出すその殺風景な部屋は、まるで最初から誰も使っていなかったように錯覚する程綺麗である。


エドマンドは向かって右奥の扉を盛大に開け放ち、部屋の中を窺ったがその視線の先には白い敷布をかけた寝台がひとつ、ぽつんとあるだけだった。彼がかつて、その場所を仮眠で使っていた名残さえない。


寂しいばかりのその部屋に佇んだまま、エドマンドはじっとその場を動かなかった。


『先生は既に、ジャスパー様と共に出発されました』


そう、チャールズの助手であるピーターが言ったのはつい先ほどのこと。大広間を飛び出したジェシカを追って廊下に出たエドマンドとばったり出くわした青年。チャールズの居場所を噛みつかんばかりの勢い良いで尋ねる彼にすっかり怯えながら彼はそう言った。


その言葉を振り切るように駆け出したエドマンドを迎えたのは、この殺風景な部屋だった。友人の姿を探してさまよう視線の先に、机に置かれた一枚の紙切れが映った。


『――すまない、エドマンド。ジェシカを頼む』


そう言葉少なげに書かれた紙を手に取り、小さく呟いた。


「君はいつもそうだ」


出会った頃は何時のことだっただろうか、エドマンドは遙か昔の記憶に想いを馳せた。

会話という会話さえ出来なかった彼に愛情を与えたのは彼の祖母で、人の付き合いというものを教えたのはポールだった。いつもそばにいたエドマンドは、彼の世話をやいて。喧嘩をすれば、真っ先に謝るのはチャールズであって、エドマンドは最終的に許すのだった。

許してくれることを分かっているから、小さな紙切れひとつ残して彼は戦場に向かった。


「エドマンド」


静かに佇むエドマンドの背中に、控えめに声が掛けられた。部屋には月光が差し込み、彼を浮かび上がらせていた。いつまで経ってもその場を動こうとしないエドマンドの背中を見つめていたポールは、足音も立てずにその場を去った。


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