06。 廊下。
田口は中学校からの知り合いだ。
と言っても、別段親しかった訳でもなく、2年の時一度、同じクラスになっただけ。
だから、田口が同じクラスなのは知っていたけれど、話したことはなかった。
「とーむーらぁ」
可愛らしい声が後ろから聞こえた、と思ったら背中にタックルをかまされた。
「うげっ」
不覚にも蛙が潰された様な声を、出してしまう。
両手をついたので、不様に倒れなくてすんだ。
正直に言う。
かなり痛い。
「田口……?」
掃除前の廊下は、ひどく埃っぽい。
軽く咳込んで、田口を見上げる。
「そ。よくできました」
花丸――田口は満面の笑みで俺に手を差し出す。
数秒後、立ち上がるのに手を貸してくれたのだと理解する。
女子に助けおこされるのは、男子として格好がつかないので本来なら遠慮したいが、田口の厚意を無下にするのも気が引けた。
「ありがと」
差し出された手を握り、立ち上がる。
ズボンについた埃を、払おうと右手を――
「……田口、手ぇ放してくんない?」
「あの噂は本当だったのね」
田口は俺の手を握りしめたまま、ぽつりと呟いた。
「噂ぁ?」
「そ。外村が変わったって話」
「そんな噂、あんのかよ」
「うん。だから、付き合わない?」
「は?」
付き合う?何処に?
「そう何度も言わせないでよ。恥ずかしいでしょ」
はてな顔の俺に、田口は手を離し、人差し指を振ってみせる。
全然、恥ずかしがってない。
「彼氏になって欲しいなって言ってるの」
「は?俺が田口の?」
なんでそうなる。
「外村の顔はずっと好みだったんだけど、一人が好きって顔してんだもん」
今は違うね――笑った顔に、誰かがデジャヴュする。
あの笑顔が。
「ごめん、田口」
でも、田口は違う。
あいつじゃない。
「理由は?」
静かで簡潔な問い。
澄んだ目が俺を見据える。
「俺、高校生になって、大切なものが増えたんだ。無くしたくないし、前みたいにも戻れない。自分の周りのこと、もっと大切にしたい」
言葉を選んでそれだけ言う。
もう、無関心の無関係は嫌だ。
どうでもいいなんて、投げ出さない。
「俺は田口のこと、よく知らない。今まで知ろうとも、しなかったから」
他でもない自分自身のことも、知らないふりで逃げた。
「でも、田口のこと知りたいと思う。だから、友達になりたい」
差し出した手。
誰かに関わる為に、手を伸ばすこと。
色んな人に教えてもらった。
「外村、あんた真面目すぎる」
田口が額に手を当てて、ため息をついた。
「友達から始めましょうとか」
「駄目なのか?」
「駄目じゃないけど」
「いいじゃんか。俺が好きな訳じゃないんだし」
田口が目を瞬く。
「ばれてた?」
「好きとは言わなかったし」
「そっかぁ」
田口は苦笑して、俺の手を握らず、パシリっと叩いた。
それがなんとなく嬉しくて、笑って言った。
「でも、ちょっと嬉しかった」
「なっ、何それっ」
「必要とされたみたいで、さ」
ぢゃ、また――片手を上げて、田口の横を通り過ぎる。
「でも、もし私が本気で告ってたら?」
囁かれた声は、あまりにも静かだった。
「そうやって曖昧にごまかせないよ」
俺は沈黙を守って、振り返らなかった。
田口の声が背中に刺さる。
「外村、それは優しさじゃないよ」
俺は振り返れなかった。
誰かを大切にしたいと思うほど、大事なものが増えるほど、動けなくなる。
大切にするのは、いつだって難しい。