04.南十字を飛び越えて
「松澤、お前店番!」
クラスメイトの唐突な声に、松澤が慌てて立ち上がる。
「塚本もだろ? 外村は?」
「そうでした」
「今行く。園田もだよな?」
頷いた園田の手を取って、外村が井上を振り返った。
「井上、まだいるよな?」
「うん。いってらっしゃい」
ひらひらと手を振る井上をみていたら、不意に櫻井に腕を取られる。
「田口、中庭で爆竹やってる馬鹿がいるから止めてこいって。委員長が」
「はぁ?」
「あと5分で見回り交代だからって押し付けられた」
押し付けられた風紀委員の腕章にうんざりしてため息を零した。
「たく、もう。ごめん、井上。ちょっと行ってくるわ」
「気をつけてね」
「勿論。てことで、朝比奈」
一人残った朝比奈に顔を向けると、途端に嫌そうな顔をされる。
けれど気にせずにこりと笑ってその背中を思い切り叩いた。
「井上案内してあげて。よろしく」
「なっ、おい、田口」
「片が付いたら合流ね。行くわよ、櫻井」
文化祭のざわざわに包まれた廊下を渡ながら、すっかり落ちた胸の閊えのお陰で周りをみる余裕が出来たことに気付いて、小さく肩を竦めると、後ろから追いついてきた櫻井が覗き込むようにこちらを向いた。
「なに?」
「あのさ、田口にとって井上さんは特別?」
「なによ、それ」
「田口、さっきから嬉しそうだし」
別にからかうでもないその穏やかな口調に、目を細めて櫻井から視線をそらす。
「馬鹿じゃないの」
「なんだよ。外村の元カノで、田口の親友じゃない訳?」
「元カノな訳ないでしょ」
「痛ッすぐ手が出るの止めてよ」
少し前に出てくるりと振り向いた桜井を思いっきりどついて、呆れたふりで肩を竦めた。
「何よ。馬鹿なことばっかり言うからでしょ」
「−ちゃん」
特別な呼び名ではないのに、井上の声は良く届いた。
耳朶を揺らした瞬間には、誰が呼んだのか解るくらいに。
「おはよう」
「おはよ」
井上が抱くクールな印象を壊さないように、答えはいつも少しだけ間をあける。律儀な自分に、少し笑ってしまうくらいに。
「今日の星予報は?」
「昨日から流星群なの。今日も良く見えると思うよ」
「ふうん」
一緒に見たい、と言う言葉を飲み込んで曖昧に頷いた。
クールという印象は、いつだって素直さの邪魔をする。
「おはよう」
「あ、おはよ。井上さん」
「井上、おっはよー」
クラスメイトの明るい声が飛び交う中で、井上は気付いたように一角に目を向けて笑った。
「おはよう、外村君」
「ん」
外村と井上が話すようになったのに気付いたのは、此処暫くだ。
外村は取り立てて目立つほうでもないし、かといって暗い訳でもない。
ただ、自分から手を伸ばさない奴。
それが第一印象だった。
一度だけ、理科室でプラネタリウムを眺めていた二人を見たことがあるが、背中を合わせて天井を仰ぐ二人は、恋人と云うよりはまるで双子のように見えて、なんだか少しだけ泣きたくなった。
外村はきっと気付いていなかったと思う。
女の子は男の子より少しだけ早く大人びる。
だからこそ井上は、転校する日に外村の手を離した。
「井上」
理科室から出てきた井上は、小さく苦笑して、ごめんね。と言った。
「我儘でも、もう少し、一緒に星を見たかったな」
「井上」
俯いた井上の手を掴むと、ぽたりとその手に雫が落ちる。
いつでも、井上はまっすぐに立とうとしていて、それが眩しかった。
多分、羨ましかったのだ。
昇降口まで井上を見送って戻る途中、外村の横顔を見かけた。
あの時、裏切られたようなそんな表情の外村から声をかけずに目を反らした。
今なら解る。
外村が気付かない限り、外村より井上の側に居られるような、そんな優越感の中に浸っていたのだ。
でもそれが、自分勝手な感情なのはもう解りきっていた。
「あんたと朝比奈みたいなもんよ」
ぽつりと呟くと、櫻井がきょとんと振り向く。
「え? なに?」
「何でもないわ。さっさと行くわよ」
全て洗い流す様に、今日はもう心置きなく騒ぐことにしよう。
折角のお祭りなのだから。
【註】これは、シュレディンガーの羊による創作の「淋しい夜に星が降る。」を基にした、尻切レ蜻蛉による創作の番外編です。