02.プリオシン海岸の黄昏
携帯電話を開いては閉じる。
何度も電話帳をなぞって、でも結局コールボタンを押せないまま、何度目かになるため息を零して、携帯電話をベッドの上に放り出す。
ごろごろとベッドを転がっても、ただボタンを押す。
それだけの勇気がなくて、恨めしげに携帯電話を睨んだ。
それでも諦めきれなくて、何度も打っては消してを繰り返して送ったメールに、中々来ない返信をやきもきと待ちながら、どんな返事を期待しているのか解らずにいた。
だから、届いた返事に希望と不安を抱いたのは本当だ。
思い出すのは、挨拶を交わす光景とプラネタリウムを眺めている姿で、結局は終着点よろしく裏切られたような横顔にたどり着く。
けれど、今のあいつの顔は、あの時のどれとも違う。
外村は変わった。
そう思えたから、彼女を呼んだ。
祭事は嫌いじゃない。
いつもなら心おきなく騒ぎにのるところだけど、今日はひとつの事柄が心の中に留まっているから、なんだか足が鈍っている気がした。
「田口さんっ」
楽しそうに近寄ってきた塚本は、両手に綿菓子とタコ焼きを持っていて、思わず苦笑してしまう。
「どうしたのよ、塚本。色気より食い気?」
「あ。ち、違いますよ。これは、櫻井くんの」
「櫻井?」
「向こうに皆集まってるんです。田口さんも行きませんか?」
「皆?」
「外村くんに櫻井くん。あと、園田さんです」
あがった名前にどきりとしたのは、まだ心の準備ができていなかったからだろうか。
「人と待ち合わせしてるから、あとで行くわ」
「待ち合わせ?」
「別の学校の子よ」
「あ、そうなんですか?」
「そ。外村達、何処にいるの?」
「渡り廊下の角です。まだ、暫くいると思いますよ」
「解った。あとでね」
ひらひらと手を振って、小さくため息を零してから、気合いを入れるように目を閉じる。
待ち合わせの時間までは後少し。
たどり着いた用具庫前の木の下で、一抹の不安を払うように頷くと、途端に朝比奈とばっちり目が合った。
「っ」
「なんだ?」
「何でもないわよ。どうして此処にいるわけ?」
「はぁ?」
「店番は終わったの?」
朝比奈の店番の割り振りは、まだぎりぎり時間内のはずだ。
「予備の暗幕返しにきたんだよ」
言われて気付く。
生徒会室がこの奥にあるのだ。
人の少ない場所を選んだつもりだったが、寧ろそれを見越した学生が思い思いに溜まっていて騒がしい。
「お前こそ何してる? 塚本が探してたぞ」
「待ち合わせよ」
面倒になって吐き出すと、早々に訝し気な顔をされる。
「親でもくるのか?」
「馬鹿。違、」
不意に視線の端で揺れた手に瞬くと、彼女が笑った。
「井上!」
「久しぶりだね、−ちゃん」
井上の口から零れた自分の名前に、懐かしさと既視感を覚えて、田口は慌てて頭を振る。
中学の時はショートカットに近かった髪は、ボブカットになっていたが、声も笑顔も変わらない。
「久しぶり。来てくれてありがと」
「こちらこそ。誘ってくれてありがとう」
「あ。これ、クラスメイトなの。朝比奈ね。こんな成りだけど良い奴よ。朝比奈、こっちは中学の時のクラスメイトで井上」
少し驚いたような顔をしている朝比奈に眉を顰めると、井上がふわりと笑った。
「こんにちは、井上です」
「、朝比奈だ」
「なによ、その挨拶は。まあ良いわ。さくさく、行くわよ」
朝比奈がいてくれて良かった。でなければ、無意味に口を噤んで、井上に気を使わせてしまうところだった。
「朝比奈も、店番終りでしょ。行くわよ」
「はぁ? どこに」
「さっきアンタがいったんじゃない。塚本が探してるって」
面倒臭そうな朝比奈から視線を移して、意を決して井上の瞳を覗く。
まだ心は迷ったままだけれど、それでも会うまでよりは随分と落ち着いていた。
渡り廊下へと歩を進めながら、唐突にならないように口を開く。
「井上、あのね」
「?」
「会わせたい人がいるのよ」
「会わせたい人? 誰かな」
「あ、田口さん」
きょとんとした井上を促すように、声をあげた塚本に目を向けると、その向こうに園田と外村、それに松澤や櫻井を見つけて、思わず笑ってしまう。
タイミングはばっちり。
でもそれが良いことなのか悪いことなのかは蓋を開けてみるまでは解らない。
視線を戻せば、井上の目があいつを見つけた。
「外村くん?」
それは酷く穏やかな、普通ならば聞き逃してしまいそうな言葉だったのに、櫻井と話をしていた外村が振り向いたのはどうしてだったのか。
それでも、紡がれたのが自分の名なら多分気付いていたと思うから、僅かに視線を落として苦笑した。
「井上!」
「なんだよ、外村の知り合い?」
「田口といるってことは、中学のクラスメイトか?」
ひどく驚いて立ち上がった外村と声をあげた櫻井、松澤に答えるように、井上は本当に嬉しそうに笑う。
「良かった。会えたんだね」
その言葉の意味が解ったのは、自分と外村だけだ。
外村が変わったと聞いたとき、確かめようと思った。
井上の気持ちが伝わったのかどうか。
あの時の外村はまだ解っていなかったけれど、園田に伝えると外村が決めたのをみて、井上を呼びたいと、そう思った。
「井上、俺さ。ずっと『なんでだ』って思ってたんだ」
躊躇うことを止めて踏み出した外村は、まっすぐに井上を見ていた。
「でも、園田達と話して気付いた。あの時は、ごめん。あと、ありがとう」
「外村、あんた」
零れた言葉は予想外で、目を見張ると、外村が唐突にこちらを向く。
「田口も。井上、呼んでくれたんだろ」
「そうだけど、」
「俺は、連絡先も何も知らなかったからさ」
ありがとう―穏やかな言葉に、こちらの方が戸惑った。
どんな邂逅を期待していたのかは解らない。
でもこれは、予想外だったのだろう。
多分。
「井上、紹介する。園田に松澤、櫻井、塚本、朝比奈だ」
田口は良いよな― 一人頷いた外村に、井上がくすりと笑って、呆気に取られていた櫻井が気付いて抗議の声をあげた。
「ちょ、外村! 俺達に紹介は?」
「あ、そうか。井上だ」
「こんにちは。井上です」
「この、言葉足らず! 同じ中学だったのよ、あたしたち三人とも」
何も言わない外村に視線を向けるが、意味の解っていない様子に眉を顰めてしまう。
「この説明で良いわけ?」
「え?」
「はぁ。もう良いわ」
井上が哀しまないならこれで良い。
【註】これは、シュレディンガーの羊による創作の「淋しい夜に星が降る。」を基にした、尻切レ蜻蛉による創作の番外編です。