01.そして、列車は走り出す
祭りの気配を引きつれてカラスウリの灯りが流れていく。
それは、夜空を渡る星のように、いくつもいくつも連なって、人の想いを乗せていた。
「歩くの、早いんじゃないかな?」
唐突にかけられたのは、そんな言葉だった。
浮足立った空気というものは伝染するものだ。
此処数日授業に身の入っていなかった生徒たちの熱意を受けた文化祭は当然といって良いほど熱とノイズに溢れている。
だから、だろうか。
「あ、ヒナ。良いところに!」
「櫻井?」
「ちょっと預かって」
「は?」
渡されたのは、繋いでいた小さな手。
その持ち主は予想違わず小学生になる前くらいの子どもで、ぴょこんと櫻井の後ろから顔をだした。
「誰だよ?」
「松澤の弟」
「はぁ?」
びくりと身を竦めた子どもに、櫻井はにこりと笑う。
「これ、ヒナ。松澤のとこ、連れてってくれるから」
「うん」
「ちょっと待て、なんでそう」
「俺委員会なんだよ。松澤、中庭にいるはずだから」
よろしく−すちゃっと手を挙げた櫻井を掴もうとした手は、いつの間にか子どもに握られていて、不安そうなその顔を見下ろしたら溜息しかでなかった。
「行くか」
「ま、松澤なら調理室手伝いに」
「人で足りないからって体育館行くって」
「ごめんなさい。さっきまでいたんですけど」
「何処にいんだよ、あいつ」
三箇所目になる教室を空振って、朝比奈は苛立たしげに呟いた。
流石にもう気付いている。遠巻きな視線。
子どもに視線を投げながら決して近づいて来ようとしない。
言いたいことがあれば、はっきり言え。と心中で毒づいた朝比奈の耳に唐突にその声が飛び込んだ。
「歩くの、早いんじゃないかな?」
「?」
言葉の意味を捕らえ損ねて顔をあげると、踊場に立っていた少女が目をしばたかせた。
「足の長さが違うから。もう少しゆっくり歩いた方が危なくないよ」
それだけ言って、少女は朝比奈の横をすり抜ける。
ボブカットの髪が、ふわりと揺れて見えなくなった。
それが自分に向けられた言葉だと気付いた時には、少女の姿はなく。
一生懸命階段を上がろうとする松澤の弟を見下ろして、朝比奈は小さく溜息を零した。
「悪かったな」
周りの視線を気にしすぎて、知らず知らずに早足になっていたようだ。
「あ、いたいた。朝比奈!」
キョトンとした松澤の弟を抱き上げるのと、頭の上から聞き覚えのある声が降って来るのは同時。
「松澤?」
「お兄ちゃん!」
「よう。悪かったな、朝比奈」
とんとんと階段を降りてきた松澤の手元には、暗幕を積んだ段ボール。
「教材庫か」
「あ、違う違う。生徒会室」
「よく働くな」
「まぁ、お祭り騒ぎは好きだしね。ほら、いい子にしてたのか?お前」
「うん」
「朝比奈、悪いけど両手が塞がってるから、教室まで付き合ってもらって良いか?」
律儀な松澤に呆れて、弟を降ろすと、その手から段ボールを取り上げた。
「朝比奈?」
「馬鹿。お前が連れてけ」
暗幕の入った段ボールは意外と重くて、それでも軽そうなフリをして歩き出すと、弟の手を取った松澤が小さく笑う。
「なんだよ」
「お前、良い奴だよ。朝比奈」
「はぁ?」
「外村さまさまかな」
その言葉に肩を竦めたのは、似たようなことを思ったからだ。
外村がいなければ、多分こんな風に松澤と話すことはなかった。
少なくとも文化祭にこんな風に関わりはしなかっただろう。
浮足立った雰囲気を切り捨てようとも思わない程度には、この祭を楽しんでいる自分に気づいて、思わず小さくため息をついた。
【註】これは、シュレディンガーの羊による創作の「淋しい夜に星が降る。」を基にした、尻切レ蜻蛉による創作の番外編です。