契約と弟子入り
翌日の放課後。
俺は白雪零奈に指定された場所――旧校舎一階、今は使われていない備品保管庫の前にいた。
錆びついた扉を開けると、埃っぽさと黴の匂いが鼻を突く。
その部屋の中央、古びた木製椅子に背筋を伸ばして座る彼女は、昨日までの「聖女」の面影を残しつつも、その瞳には隠しきれない焦燥を宿していた。
「……来たわね、佐藤カズキ」
白雪は、膝の上で組んだ両手をぎゅっと握りしめる。その指先は、昨日同様、小刻みに震えていた。
扉を閉め、俺は適当な跳び箱の段に腰を下ろす。
「同じクラスなんだから、わざわざこんな所に呼び出すことないだろ」
「バカ言わないで。こんな話……誰にも聞かれるわけにはいかないんだから……!」
話とは当然、学園一の聖女の正体が、有名な煽りカスだったことだ。
「昨日も言ったけど、言いふらすつもりはないって。……そんなに俺が信じられないか?」
「当たり前でしょ! あんたが掲示板に一言『セイント・レイの正体は白雪零奈だ』って書き込むだけで、私の十六年の人生は終わるのよ!」
そんな大袈裟な。
「……それに」
そこで白雪は一度言葉を切ると、癪に障るという顔で俺を睨み据えた。
「あんたに負けたままなのが、何より許せないのよ……!」
そう言って悔しそうに唇を嚙む。
「あの装備とステータスで、なんで無課金のあんたに勝てないのよ! チートとしか思えないわ!」
「ふん、お前の立ち回りが大雑把すぎるだけだ。……昨日も言っただろ、バフのタイミングが早すぎる。MP効率を考えずに大技を連発するのも、ヒーラーとしては三流だ」
「く……っ」
淡々と指摘すると、白雪の顔が屈辱で赤く染まっていく。
「とにかく誰にも言わないから安心しろって」
俺は立ち上がり扉へと足を向けた。
「ま、待ちなさい! そんな口約束なんて信用できないわ!」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ?」
「……約束じゃなくて、私と『契約』しなさい」
その言葉に俺は首をかしげた。
「私の正体を卒業まで秘密にすること。それを守れば、あんたに『2つのメリット』を与えるわ。その方が口約束よりも信用できるから」
なるほど。ギブアンドテイクってわけか。
「それで、お前の正体を秘密にすると、俺にどんなメリットがあるんだ?」
「……そうね。あんた、貧乏でしょ」
「は?」
なんだいきなり。喧嘩売ってんのか。
「だってあんたのキャラ、ビックリするほど無課金装備だったじゃない」
「うるせーな。必要ないんだよ」
確かにこいつのように課金すればもっと楽に勝てるだろう。
だが『アステリア・ファンタジー』は、戦略とフレーム知識、何よりもプレイスキルを磨けば無課金でも十分に勝てるゲームだった。
「どうせお小遣いとかも少ないんでしょ。普段、昼休みとか何食べてんの?」
「だいたいコンビニのパンとかだけど……」
すると白雪はやれやれとため息を吐いた。
「はあ、呆れた。それじゃあ栄養バランスが偏るじゃない。脳と反射神経を酷使するゲーマーは体が資本なのよ」
「む……」
悔しいが、その意見には一理あった。
「じゃあ一つ目のメリットは、あんたに私の家のお弁当を恵んであげるわ」
「お前んちの弁当を……?」
「そう。私のお弁当は毎日、専属のシェフが作ってるのよ。もう一人分作らせるくらいわけないから」
(そうだ……こいつの家メチャクチャ金持ちだった)
白雪の家は、いわゆる芸能一家だ。
父親は有名プロデューサー、母親は女優、さらに姉はZ世代に人気のカリスマインフルエンサー。
専属のシェフを雇うくらいわけないのだろう。
「分かった。それでいいぜ」
美味いもんが食えて昼飯代も浮く。断る理由なんてなかった。
「それと、もう一つのメリットは……私に、あんたのあの『小賢しい技術』をすべて叩き込みなさい」
「は……?」
白雪の言葉の意味が分からず呆けてしまう。
「だ、だから、あんたのゲームスキルを私に教えなさいって言ってんの!」
「……それって、俺に弟子入りしたいってことか?」
「弟子じゃないわ! ……あ、あんたを私の『専属サポーター』に任命してあげるって言ってるのよ!」
要するに、弟子入りしたいらしい。
「さっきも言ったでしょ。負けたままなのが、何より許せないのよ……! もっと強くなって、いつかあんたをぶっ倒してやるんだから!」
なるほど。こいつも真のゲーマーってことか。
その真剣な瞳を見て、俺は彼女のことを少しだけ見直した。
「……で、それが何で俺のメリットになるんだ」
教えを乞うというなら、そっちのメリットだろう。
「はあ、あんたバカ? 私とあんたは『学園一の聖女』と『クソ無課金ゲーマー』。いわば月とスッポン、鯨とフナムシ。本来なら、挨拶以外の会話なんて出来ないくらい身分に差があるんだから」
「……」
そうだこいつ煽りカスだった。
さっき見直した感情が一瞬で霧散していく。
「私とゲーム出来るなんて、この学園の全男子の夢! これ以上ないメリットでしょうが!」
(まあ……皆はこいつの本性を知らないからな)
白雪が立ち上がると、俺の目の前まで歩み寄って、震える指を俺の鼻先に突きつけた。
「さ、さあ、どうするの――佐藤カズキ!」
白雪が選択を迫る。
それは契約、というよりは命令に近い。
「……ふう」
だが、不思議と悪い気はしなかった。
「わかった。その契約、乗るよ」
俺が反発すると思っていたのか、拍子抜けしたように白雪の毒気が抜けていく。
「え……いいの? そんなにあっさり……」
契約に乗ったのは、豪華な弁当が食えるからでも、こいつが学園一の聖女(笑)だからでもない。
「だってお前が強くなれば、俺もゲームをさらに楽しめるからな」
こいつの言動はともかく、あの『アステリア・ファンタジー』において、セイント・レイの反応速度と操作精度は、間違いなくトップランカーの資質を持っていた。
「お前の煽り癖は治りそうにないけど、少なくとも『三流の煽りカス』を『一流のライバル』に育てるのは面白そうだ」
「な……」
それに誰かに教えるという行為は、自身の復習にもなる。
こいつに技術を叩き込めば、俺のプレイスキルも更に上がるだろう。
「あ、あんたは一言余計なのよ! だいたい私だって世界ランキング100位以内なんだからね! 今でも十分一流なんだから!」
「はいはい」
とにもかくにもこれで契約成立だ。
すると白雪は震える手でスマホを取り出し、俺の目の前に差し出した。
「おっ、早速対戦でもするか?」
俺もスマホを出してアステリア・ファンタジーを起動する。
「ち、違うわよ。あんたの連絡先……」
「へ」
予想外の言葉に、俺は間の抜けた声を出してしまう。
「ゲーム内のメッセージ機能だけじゃ不便でしょ。一応よ、一応……」
「あ、あぁ、そうだな」
そういえば白雪とまだライン交換していなかった。
俺は印篭のように突きつけられた白雪のスマホからQRコードを読み取った。
ピロン
「…………」
少し恥ずかしそうに、無言でスマホを見つめる白雪の横顔を、窓から差し込む夕日が照らしていた。
その姿はまるで本物の聖女のようで、俺は不覚にも見惚れそうになる。
(……まさか、こんなことになるとはな)
こうして、少しぎこちないライン交換を経て、学園一の聖女が地味な無課金ゲーマーに教えを請うという、誰にも言えない奇妙な二重生活が幕を開けることになるのだった。




