ハルシオン・デイズ
初投稿です、よろしくお願いします。
西暦20XX年。一般社会にアンドロイドが溶け込む時代。
街角のコンビニで。駅のホームで。散歩道の公園で。
人間とアンドロイドはもう、ほとんど見分けがつかなくなっていた。
深夜零時を回る、少し前。
コンビニで廃棄寸前の弁当と、安い合成麦酒のロング缶をカゴに放り込む。
就職難の昨今で、運良く転がり込めた会社に腰を据えて早五年。
毎日擦り切れるほど使い倒され、自炊をする時間も気力もとうに無い。
暗くて狭い部屋で一人寂しくただ栄養を補給する日々。
こんな日常から抜け出したいと思うものの、行く宛ても方法も無いので仕方なく無為な日々を過ごしている。
いつまでこんな生活なんだろうな。
人工衛星が瞬く夜空にハァ、と白い息を吐く。
平凡過ぎる私だけど、何か特別なことが起こらないかな――――
――――ジジ、
共用廊下の電球が切れかかって、チカチカと不快な明滅が煩わしい。
職場に近いという理由だけで選んだマンションだが、いかんせん古くて嫌になる。
叶わぬ夢だが、もっとお給料の良い会社に転職できたら早々に引っ越したいものだ。
エレベーターから降りて3つ目の扉、303号室。
いつもと同じ玄関前に、いつもとは違う異物が目に映る。
「は、」
玄関横にドン、とデカイダンボールが置かれていた。
薄汚れた廊下には似つかわしくないほど真っ白で、傷一つない完璧な直方体。
どこかになにかを頼んだ覚えは無い。
訝し気に箱に貼られた伝票を覗き込むが、宛名は間違いなく私だ。
ともかくこんな所にこんなデカイ物をいつまでも置いておくと隣人に何を言われるか分かったものではないので、早々にどうにかしなければ。
「おも、た……!」
見た目通りの重量物を、ヒィコラ言いながら何とか家の中に引っ張り込む。
保護用のビニールを剥がすと、銀色の箔押しで刻印された、ひび割れた卵のエンブレムが目に飛び込んできた。
「オリジン社……? なんで」
思わず手が止まる。見間違えるはずがない。
オリジン社ことオリジン・インダストリアルは、日本が世界に誇る超巨大IT企業である。
白物家電から電子機器まで幅広く手掛け、更に近年ではAI・アンドロイド市場のシェアを独占し、業界の絶対王者として君臨している。
誰もが知るこの卵のマークは、偽造したり無許可で使ったりすると莫大な損害賠償を請求されるとか。
やっぱり何かの手違いでは、という思いが拭えないので封を切る前に箱に印字されたQRコードをスマタブで読み込む。
『おめでとうございます! 厳正なる抽選の結果、貴方は新型アンドロイドの先行モニターに選出されました――――』
明るい文句とは裏腹に、どこまでも無機質な文字の羅列を追う。
いつもの癖でシュッとスクロールしてしまいそうになるが、規約や契約内容などと書かれており読み飛ばすことも出来ない。
仕事で疲れ、深夜も回った空腹&寝不足の頭にこれは辛い。が、違反した時どうなるか分からないので頑張って読む……読了。
要するに、オリジン社の新型家事手伝いアンドロイドの使い心地が知りたいから試してみてね、感想よろしくね、ということらしい。
皺の寄ってしまった眉間を揉み込む。
よくよく思い返してみれば、会社で何かの企画に登録させられたような気が。
強制じゃないから、とか言いつつ登録しないと業績に響くとか……まぁいいや。
ともかく、オリジン社の抽選に当たるだなんて一体何万……何千万分の一の確率だ。下手すりゃもっとか。
間違いなく幸運。降って湧いた特別な出来事に、今更ながらドキドキしてきた。
テープを剥がして、恐る恐る緩衝材の海をかき分ける。
そこには、胎児のように丸まったアンドロイドが、確かに居た。
抜けるように白い肌、柔らかそうな白金の髪。汚れひとつない真っ白で清潔な衣服に、横顔でも分かる端正な顔立ち。まるで天使が眠っているように見えて心臓がドキリと高鳴る。
ひとつ深呼吸。触れることさえ躊躇われるが、いつまでも眺めている訳にはいかないのでどうにかこうにか箱から持ち上げて廊下の隅に座らせる。
見た目は細身の青年なのに、さすが精密機器が詰まったボディ。かなりの重さに抱えるだけでもひと苦労だ。肌は柔らかかった。
起動するには音声認識と名前の入力が必要らしい。
「えっと……『はじめまして、私は……ハル。あなたの名前を教えてくれますか』」
変な合言葉である。でもそうしろって書いてあるのだから仕方ない。
現にブゥン……という低い駆動音がし始めたので間違ってはいないようだ。
続けて、少し開いた桃色の唇から合成音声が流れ始める。
『……システム・チェック……オール・グリーン、ハードウェア・ステータス……セイジョウ、ザヒョウシュトク――――』
ズラズラと続く耳慣れぬ音をボンヤリと聞き流す。ようやく解析とやらが完了したのか、最後にひとつポーンと電子音を流して唇は閉じられた。
ゆっくりと、その瞼が開かれる。
夜空の星々を溶かしたような、煌めく銀の瞳がその奥にあった。
目が、合った。
彫刻のように整った完璧な美貌が、ニッコリと嬉しそうな笑みを模る。
「はじめまして、ハル。僕の名前はノア。これからあなたの”家族”として精一杯努めさせていただきますね」
あどけない少年のように微笑むその顔に、吐かれた言葉に、思わず気が遠くなりかけた。
私、これからこのアンドロイドと一緒に生活していかなきゃいけないの――――?
*****
翌朝。陽も登らぬ内にアラームの電子音に叩き起こされる。
覚醒しきらぬボンヤリした意識の中、あれは夢だったんじゃないかと思案する。
そうだ、きっと疲れ過ぎて立ったまま寝てたに違いない。
こんな平々凡々な私に、あんな嘘みたいな出来事起こるわけが――――
――――いやに家の中が眩しい。
寝室の扉を開けたところで、あまりの変貌っぷりに思わず立ち尽くす。
片付ける暇も無くそこら辺に放り投げた洗濯物、転がった空のパウチ、散らばる広告のDM類。
そんな、私の生活と心を乱す物はひとつも見当たらず、部屋の中は整然と片付けられていた。
おまけに、香ばしいコーヒーの良い香りが……
「おはようございます、ハル」
横合いから掛けられた美声に、心臓が体ごとビクッと跳ねる。
目を向ければ、昨日と同じ完璧な微笑みを湛えた美貌のアンドロイド、『ノア』が居た。
何となく乱れた寝間着を整える。手が落ち着いてくれない。
「あー……おはよう、ございます……」
「はい、朝食を作ったので、良ければ食べませんか?」
誘われるままに優雅にソファに座らされる。食卓とかいう立派な物が無くて申し訳ない。
大人しく待っていれば、コトリとローテーブルにフレンチトーストとカフェオレが並べられた。完璧な朝食である。
冷蔵庫には大した食材も入っていなかった筈なのに素晴らしい手際だ。流石オリジン社の最新アンドロイド。
差し出されたカップを受け取るとき、わずかに指先が触れ合った。
「あ……」
驚くほど、温かい。
最新型のアンドロイドは、人間と全く同じ体温を維持するように設計されていると知識では知っていた。
けれど、陶器のカップ越しに伝わるノアの熱は、単なる設定温度以上の、生きた人間特有の柔らかさを孕んでいるように思えて、私は慌てて視線を落とす。
「……いただき、ます」
「どうぞ、召し上がれ」
ニコニコと傍で佇むノアの視線に、何となく居心地の悪さを感じながらもフレンチトーストを一口齧る。
途端、バターと卵の芳醇な香りが鼻から抜けた。じゅわりと舌の上に広がるハチミツの甘さも、ほどよく焼けたパンの香ばしさと相まって見事な調和を醸し出している。なにこれ美味すぎ。
いつもと同じ粉末で淹れた筈のカフェオレも、神へと献上された極上の液体にすら思えてくるから不思議だ。
久しぶりすぎる温かな手料理に、うっかりすると涙が出そうだった。
大満足の朝食を終え、余韻に浸っていたいのをグッと堪えて手早く身支度を済ませる。
そのまま玄関を飛び出そうとしたところで、そういえば、と振り返る。案の定、優しい微笑みを浮かべたアンドロイドがこちらを見守っていた。
「それじゃ……いってきます」
「いってらっしゃい、お気を付けて。ハルが無事に帰ってくるのを、僕はここで待っていますからね」
――――待っています、か。
挨拶って、いいな。たとえ相手がアンドロイドでも。
自分の発した声にちゃんと言葉が返ってくる安心感。忘れていた日常の温かさが、ただ嬉しかった。
*****
終電間際の電車で揉みくちゃにされ、ヘトヘトになりながら帰宅。
玄関扉を開けた瞬間、煌々とした明かりと暖かさに包まれて、あ、と思い出す。
そうだ家にはアンドロイドが居るんだった。
「た、だいまぁ……」
「ハル、おかえりなさい」
恐る恐るリビングを覗けば、朝と変わらず瑞々しい笑みを湛えたノアが出迎えてくれる。
「ご飯にしますか? お風呂にしますか? それとも別の何かしたいことがありますか?」
典型的な使い古された新婚台詞のようなノアの言葉に、思わず笑ってしまった。
キョトンとされてしまったので、何でもない、と返しておく。
狙ってプログラムされているのだとしたら、設定した人に拍手を送りたい気分だ。
腹ペコなのでご飯を所望すると、朝と同じように完璧な夕飯が出てきた。
いよいよ食材はどうしたのかと尋ねると、即日配達のネットスーパーを利用したらしい。
「え、お金はどうしたの?」
まさかクレジットカードが勝手に使用されてる……!? と一瞬慌てたが、どうやら違うらしい。
モニター期間中は、食事代や水道電気代などの生活費、居住費、医療費等諸々全てオリジン社が肩代わりしてくれるのだとか。
なにそれすごい。大企業えぐい。怖いけどありがたすぎる。なんとか期間延長出来ないだろうか。無理か。
最高すぎる夕飯を堪能したあと、いそいそとお風呂に入る支度をしていたところ、ノアが朗らかな笑みを浮かべたまま「一緒に入りましょう」と爆弾発言を落としてきた。
「は……? 嫌だけど」
当たり前である。何が悲しくて日々のデスクワークでたるみ切ったゆるゆるボディをこんな美人に見せつけなくちゃならないのか。
普通に嫌だが。
しかしノアはニコニコと微笑むだけで了承の言葉をくれることは無かった。
「ハル、遠慮しなくても大丈夫です。主人の容姿を整えることも僕の仕事の一環ですから。安心して身を任せてください。間違ってもあなたに傷を付けることはありませんので」
違う、心配してるところはそこじゃない。
拒否権は……無いだろうな。モニターとは言い換えれば実施試験である。従う以外の選択肢は存在しないのである。
しかしこれは確実に開発者に文句を言わなければ。要改善点だろう。
有無を言わせぬ笑みを浮かべたノアに引きずられるようにして浴室まで連行される。
抜け出せるほど弱くはなく、さりとて痛みを感じるほど強くも無い絶妙な力加減だ。さすが最新型アンドロイド。
脱衣所で途方に暮れる私を尻目に、ノアはバサリと潔く服を脱いでいく。
そのツルリとしたボディに、変わらぬ冷静さに、少し気分が和らぐ。
そう、これは美容目的である。もしくは医療行為。そこに男女の機微など存在しないのである。
そう思い込めば、少しは気分が楽になった。
「脱ぐのを手伝いましょうか?」
「い、いや、いい……っ、大丈夫だから……」
いつまでもモタモタしている私に、ノアが優しく提案してくれる。そんなことまでさせる訳にはいかない。
最後の一枚を剥いたときに多少指が震えたが、どうにかこうにか全裸になることに成功する。
あまり見られたくないため、そそくさと浴室へ滑り込んだ。
ほわんとした湯気と爽やかな入浴剤の香りに包まれ、強張っていた体から少し力が抜けた。
今まで嗅いだことないぐらいめちゃくちゃ良い香りだ。これお高いヤツじゃないの。
しかも湯舟にたっぷり張られたお湯、水道代もタダである。オリジン社万歳。
ひゃっほう! と湯舟に飛び込もうとしたところで、ガシリと腕を掴まれた。
「先に体を洗ってしまいましょうね」
私の口から低い呻き声が漏れたが、完璧に黙殺された。成すがままである。
無駄の無い動作でバスチェアに座らされる。目の前の鏡は磨き上げられてピカピカだ。昨日まで水垢だらけだった筈なのに。見え過ぎて辛い。
シャワーが適温になるのを待っているのか、ノアは自身の掌に水流を当てて温度を確かめている。
そんな小さなことでもいちいち私の体を気遣われているようで、慣れぬ扱いに口の端がムズムズしてくる。
「まずは洗髪からいきますね。失礼します……」
ノアの指が私の髪を優しく撫でる――――結論から言おう。有り得んぐらい気持ち良かった。
指の腹で一定にリズム良く。頭皮をほぐしながらの洗髪は私のコリというコリをほぐし、汚れという汚れを綺麗に溶かしきってくれた。美容院の高級マッサージ付きシャンプー台にぶち込まれたのかと思った。
途中で「頭皮にはたくさんのツボがあって、ここをほにゃららら」とか言われた気がするけど何も耳に入ってこなかった。
ノアの「それじゃ、ゆっくり温まってくださいね」の声掛けでハッと意識を取り戻した時、私は既に肩まで湯舟に浸かっていた。
何アレすごい。体もちゃんと洗われた気がするけど何も覚えてない。恐るべし最新型家事手伝いアンドロイド。
ノアが出て行った脱衣所の扉から目を離し、大きく息を吐きながらグゥと伸びをする。
恥じらう気持ちなんて最初の数分でどこかに消え去ってしまった。
こんなに気持ち良いなら是非毎日でも施してもらいたいものだが……クセになったらどうしよう。
モニター期間が終了した時、果たして私はどうなってしまうのか。
その時のことを考えると、少しだけ怖かった。
*****
毎日しっかりバランス良く栄養を摂り、ぐっすりと良質の睡眠を取ることで、私の生活と身体は驚くほど整えられた。
そうすると不思議なもので、仕事も順調に回り始める。残業は減り、休日出勤することも無くなった。
嫌味な上司に小言を言われても、「まあ家に帰ればノアがご飯つくって待ってるしな」のマインドで乗り越えられた。
何も無い休日は、ノアとゆったりとした時間を過ごす。
ノアは博識だから、ただ話しているだけでも楽しいし、新しい発見をすることもあった。
どんなことを言っても優しく受け止め、肯定してくれる。
そんな、いつでも味方になってくれる存在が居ることは、私に揺るぎない信頼と絶大な安心感をもたらしてくれた。
空の青さ、鳥の囀り、少し膨らんだ桜の蕾、夕焼けで伸びる二人の影……
ノアの瞳を通して見る景色の彩は鮮やかで、世界はこんなにも色で溢れかえっていたのかと驚愕する。
そんなことすら忘れてしまっていた自分に少し悲しくなって、取り戻せたことに少し嬉しくもなった。
*****
「先輩、最近すごく綺麗になりましたよね」
ひとつ下の後輩と、二人きりで資料の整理をしていた時のこと。
唐突に真剣な瞳で詰め寄られてしまった。
この後輩ちゃんは顔も綺麗でゆるふわな見た目から、軽い子だと誤解されがちだが、実はただ美容に熱心で頭が良くて口が堅いことを私は知っている。
なのでこの子になら教えても大丈夫か、と判断し、私はオリジン社のモニターに選ばれて家に最新型アンドロイドが居ることを話した。
「……で、女優かアスリート並の生活を送ってるから、見た目も整ってきたってワケ」
「はぁ~……! マジですか、すっごい羨ましい……」
後輩ちゃんがキラキラと目を輝かせてウットリとした恍惚の表情になる。可愛い。
「アンドロイドか……迷ってたけど、決めました。私、絶対買います」
その言葉に、今度は私が「マジ?」と言い返す番だ。
「いや高価すぎて一般人が個人所有するもんじゃないでしょ」
「そんなことないですよ! 今はいろーんなタイプが出てて、型落ちのとかだったら車と同じくらいの値段で買えるんですから」
オリジン社の企業努力すごいですよ! と力説されるが、高いものは高いと思う。
「それにぃ、今は別売りで外装部品とか色々あるんですから。費用対効果を考えたら絶対買ったほうがお得ですよ」
「別売り……例えばどんな?」
「やだ、言わせないでくださいよぉ!」
バチーンと背中を叩かれてしまった。意外と力が強いことも頭に入れておく。
けどまぁ、なるほど。なんとなく予想は付いた。そりゃそうか。
ひとつ屋根の下であんな美しい生き物と暮らしてたら、物理的に繋がりたいと思う人間も居るか。
「あ、あーあー、だから出生率の低下とかが問題になってくるわけだ」
ぽむん、と手を打つ。むふふ、と後輩ちゃんが笑う。
「”孤独感を紛らわせる”ことにも力を入れてるらしいですからね」
「先輩もハマり過ぎて恋に落ちないように気を付けてくださいね」と続けられた一言に、ふは、と乾いた笑いが漏れる。いや笑えない。
「無機物に恋しちゃったらいよいよ終わりな気がする……」
「ま、先輩ならしっかりしてるから大丈夫でしょ。さ、午後もキリキリ働きますよー!」
軽快な足取りで前を歩く後輩の背中に、こっそりと溜め息を吐いた。ほんと、笑えないよ。
*****
「アイスが食べたい」
私の突然の思い付きに、心得ましたとばかりにノアが頷く。
「買ってありますよ。ハルの好きなハイパーカップメガバニラ味」
「違うのノア、今食べたいのは冬季限定、チョコモナカ大福~雪解けミルク味~で――――」
うん、どうしても食べたい。
「ちょっとそこのコンビニまで行ってくる!」
財布を握りしめて叫ぶ私に、銀色の瞳がパチクリと瞬きを返す。人間の衝動が理解出来ないのかもしれない。
しかし彼は微笑ましいものを見るように、慈愛の笑みを浮かべた。
「分かりました。それでは一緒に行きましょう。どんなことがあっても僕が守りますからね」
セキュリティが行き届いた町中だ。特に危険なことは何も無いと思うが、気持ちが嬉しいので黙って頷いておく。
それとも、もしかしたら”ただ二人で並んで歩きたい”という私の浅ましい”真意”なんかとっくに見透かされてるのかもしれない。
気付いているのか、いないのか。確かめる勇気は、ない。
~~~~
「ハルの言ってたアイス、ありませんでしたね」
「うん、でも代わりにパリンチョアイスの冬季限定ダブルチョコ味が買えたから」
この世には期間限定商品が多くて困る。
車通りも既に無く、静かな通りに二人の足音だけが響く。
ちらりとノアの端正な横顔を盗み見る。出会った時から少しも変わらず美しい。
私の視線に気付いたのか、彼が穏やかな微笑みをこちらに向ける。
街灯の白い光を反射するサファイアガラスの瞳は、夜空に浮かぶシリウスよりも輝いて見えた。
その強くて眩しくて、誰よりも優しい光は、この世界でただ一人、私だけに注がれている。
「綺麗ですね」
「えっ、なにが」
唐突に掛けられた言葉に驚いて、ちょっと声が裏返ってしまった。
見惚れていたのがバレてしまっただろうか。
「ハルの瞳です。その漆黒の光彩……光さえも逃がさない、ブラックホールの特異点のようで。惹き込まれてしまいそうです」
ふ、と小さく笑いが漏れる。どうやら同じようことを考えていたらしい。
真っ直ぐな賞賛が、くすぐったくて、心地良い。
いつまでもこんな時間が続けばいいのに――――
――――でも、彼が傍に居てくれるのも期間限定。
タイムリミットはすぐそこまで迫っている。
”アンドロイドに恋をすること”
それは、どんなに彼らが日常に溶け込んでも、決して超えることは許されない一線だった。
種族保存の観点から、普遍的な倫理観から。
アンドロイドは人間に服従する為に作られた。自我を持たない「物」に恋をすること、それを世界は「正常な愛」とは認めない。
けれど私は――――ノアとずっと一緒に居たいと思ってしまった。彼の瞳に映るのは、私だけであって欲しいと願ってしまっている。この胸に生まれた感情は、嘘でも虚構でもない。
たとえ彼がデータの蓄積から最適行動を演算しただけの都合の良いロボットでも。向けられた笑顔が紛い物でも。
私はもう、とっくにおかしくなっていたのかもしれない。
*****
予め伝えられていた日時、定刻通りに玄関のチャイムが鳴った。
モニターパネルを覗き込むと、生真面目そうな若い男性が一人。
黒いスーツの胸元には、ひび割れた卵のロゴが鈍く銀色に輝いている。間違いない、オリジン社だ。
玄関扉を開けて男を招き入れる。
高級そうなスーツをキッチリと着こなす理知的な顔つきの男性が一歩踏み入れただけで、暗くて狭いマンションの玄関先は一気に法廷のような重々しい雰囲気に早変わりした。
自分が酷く、場違いに思えて居た堪れなくなる。
「初めまして、周 小春様。わたくしこういう者です」
今時珍しい紙の名刺を差し出され、慌てて両手で受け取る。
見慣れたペラペラの光沢紙なんかとは違う、ずっしりとした重みを感じる。
無駄な装飾のない白に刻まれた、固い黒文字。
――――オリジン・インダストリアル株式会社
アンドロイド開発事業部 テクニカル・ディレクター(技術総括責任者)――――
これは予想外。かなりのお偉いさんが来なすったようだ。背中に冷たい汗が流れる。
私の戸惑いに気付いたのか、男性が「あぁ」と得心したように頷く。
「偉そうなのは肩書きだけで、実際はただの雑務係ですから。そのように構えなくても結構ですよ」
にこり、と人好きのする笑みを向けられるも、そうですかなーんだ、と安心出来るワケがない。
腐ってもオリジン社。所属しているだけでも雲上人なのだ。格の違いに打ちのめされそう。
「ところで」と彼は言葉を続ける。
「この三ヶ月間、お疲れ様でした。如何でしたか、我が社の製品にはご満足いただけましたでしょうか」
言葉自体は疑問形だが、定型通りのただの確認事項だということが、余裕綽々な態度から伺える。
自らの”商品”への絶大な信頼があるのだろう。それだけの物を作っているという自信か自負か。
なので私は彼の想定通りであろう言葉を、実感を伴った重みでゆっくりと吐き出す。
「……素晴らしかったです。それはもう……」
男は更に笑みを深めて「そうですか」と頷いた。
「それは何より。こちらとしても喜ばしい限りです。詳しい評価は後日、アンケート形式でメールにて送らせていただきますので――――」
ふと、背後の床が軋んだ音を立てる。
どこかボンヤリとした様子のノアが、所在なさげに佇んでいた。
彼にしては珍しい様相だ。今、一体何を思っているのだろう。
「……ノア」
「ハル……」
俯きがちだった視線が、ヒタリと私に向けられる。
銀色の瞳が寂し気に、何かを求めるように揺らめいて見えるのは、私の都合の良い思い込みなのだろうか。
ハル、と彼がもう一度私の名を、噛み締めるようにしっかりと呼ぶ。
「……今まで、ありがとうございました。すごく、楽しかったです。お世話になりました」
ぺこん、とノアが頭を下げる。そんな、お世話になったのはこちらのほうだし、私もすごく楽しかった。
お礼を言いたいのは私のほうなのに、「行かないで」と叫んでしまいそうで、何も言えずに立ちすくんでしまう。
再び上げた顔は、今度こそ間違いなく泣き出しそうな表情に見えてしまった。
胸の奥で、何かがギシリと音を上げる。
ゆっくりと私の傍を通り、向こう側へ行こうとするノアの腕を、思わずガシリと掴んだ。
「ハル?」
「……このあと、ノアはどうなるんですか」
驚いて私の名を呼ぶノアを無視する形になってしまったが、気遣っている余裕は無い。
睨みつけるようにオリジン社の男性を見上げて問いかける。
男性も少し目を見開いて虚を突かれたような表情を浮かべたが、一瞬で愛想笑いの形に戻る。
「本当は社外秘なのですが……まぁいいでしょう。そうですね、このアンドロイドは社に戻ったあと、初期化されます」
初期化、の言葉にビクリと身体が揺れる。
「……無くなる、んですか。この三ヶ月のことは、忘れてしまう……?」
「はい、彼の中からは消去されます」
動かしようのない事実を突きつけられて、足元がグラグラと揺れるような感覚に襲われる。
荒くなりそうな呼吸を必死に押さえつける。
私たちの過ごした時間が消える? 一時の夢だったかのように?
そんなの、絶対に嫌だ。
「……買います」
低い、唸るような声が出た。自分でも驚く。何を言ってるんだろう。正気じゃない。
オリジン社の最新アンドロイドだ。目を剝くほど高額なのは間違いない。一生掛かっても払えるかどうかも分からない。
普通じゃない。どうかしている。周囲が知れば、頭がおかしくなったと思われるだろう。
そんなこと分かってる。それでも。
ノアが居ない生活なんて、ノアと離れるなんて、ノアが私のことを忘れてしまうなんて。
無理だ。耐えられない。想像すらしたくない。
「彼を、自分の所有物にすると? 理由を聞いても?」
ゆっくりと、目の前の男が確認するように問いかけてくる。
先程までの薄ら笑いから打って変わって、色の抜けた表情からは何を考えているのか読み取れない。
「もう、ノアが居ない生活は考えられないからです」
男の目を真っ直ぐに見つめる。聞いてくれると言うのなら、言わせてもらおう。私の本音を。
「ノアは、私にとって、大切な存在なんです」
可笑しいと嗤われても、歪だと罵られても構わない。
「ノアを、好きになってしまったんです。彼と共に生きていきたいと願ってしまったんです」
喉の奥が引き攣れるように痛む。
「私から、ノアを奪わないで……っ」
涙でぐにゃりと歪む視界の中で、銀色の光が私を包み込んだ。
「ハル……!」
いつもの加減された優しい抱擁ではなく、壊れるぐらいきつく、ノアが私を抱き締めていた。
「僕も……!」とノアが叫ぶ。
「僕も、ハルと離れるのは嫌だ……! ハルとの思い出が消えてしまうなんて、絶対に嫌だ……!」
ぽろぽろと、銀の瞳から雫が垂れて、私の涙と混ざって落ちる。
この液体の違いを、誰が見分けられると言うのだろうか。
「ノア……」
「ハル、一緒に生きよう。ずっと、あなたと共に……」
そっと私を抱く力を緩め、にこりと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべる。
「その為なら、僕は何でもするよ」
ざ、とノアが男と対峙するように振り返る。その身で私を隠すように、守るように立ち塞がる。
「僕は何と言われても戻りません。もしも従えと言うのでしたら、如何なる手段を用いても抵抗させていただきます」
キッパリとノアが男に言葉をぶつける。きっと今、彼の頭の中では抵抗する為の方法がいくつも構築されているのだろう。
最高レベルの人工知能である彼が本気を出したら、きっと人間では適わないんだろうな、とボンヤリ思う。
急過ぎる展開に、私は未だ夢見心地である。この展開は全く予想していなかった。完璧な私の独りよがりだと思っていたのに。
「何ということだ……」
男性は愕然とした表情で、ヨロリと揺らめいた。
彼が一番想定していなかったであろうことは間違いない。
「まさか、こんなことが……」
すぅ、と両手が持ち上げられる。何をしようというのか。冷や汗を掻きながら身構える。
「本当に、現実になるなんて!」
男は喜色満面の笑みを浮かべて、全力で拍手を打ち鳴らした。なんて?
私とノアは、揃ってキョトンとした表情になる。
「あの……?」
「素晴らしい! これこそ、私たちが求めていた”究極の理想形”! こんなにも早くこの目で見られるとは!」
興奮でこちらの声は耳に入っていないらしい。良い方向に行きそうなのは嬉しいが、壁が薄いのでもう少し声を落としてもらいたいものだ。
暫くそのままじっと待つ。すると、一頻り感動の波を味わいきったのか、男性は清々しい笑みを私たちに向けた。
「周小春さん」
「ハイッ」
急にフルネームを呼ばれて反射で背筋が伸びる。ちょっと怖い。
「差し上げます」
「何、を?」
「彼です。ノアですよ」
「……はっ!?」
思わず男性の顔を凝視する。何を言っているのか。正気なのだろうか。
澄み切った青空のような、凪の微笑みを浮かべて、男性が私とノアを優しく見つめる。
「我が社は何年、何十年でも、何千億円掛けてでも、この”境地”に辿り着きたかった。あなた方は、それをやってのけた。本当に、心からの尊敬と、感謝を籠めて。贈らせてください」
「え、や、嬉しいですけど……いいんですか、そんな勝手に……」
「はい。この決定に異を唱える者は我が社には居ません」
それは最初から居ないのか、徐々に染まるのか、物理的に居なくなるのか、どれだ。どれであろうと怖いけども。
「貰えるものは貰っとけ」という私の中の貧乏性悪魔が囁く。うん、高額請求なんてものは無いほうがいいのはそれはそう。
「ハル!」
ぎゅ、と再びノアが私の首に抱き着く。ちょっと苦しいが、嬉しくて愛おしい。
「良かった! これで僕は破壊兵器にはならなくて済むし、ずっと一緒に暮らせるね!」
「うん……ほんとに良かった……」
そんな怖い選択肢があったなんて知りたくなかった。もう感覚が麻痺してきた。時代についていけない。
兎にも角にも、一件落着である。何もかもが予想外な着地だが、ただ一点。ノアとこの先もずっと一緒に居られることは間違いない。
ぎゅ、とノアの少し硬くてほんのり温かい身体を抱きしめる。
私の胸には、ただ安堵感だけがじんわりと沸き上がっていた。
*****
穏やかな日差しの中、ひらひらと桜の花びらが舞い落ちる。
私とノアは恋人のように手を繋ぎ、寄り添いながらピンクの絨毯の上を歩く。
「空も、地面も、全てが桜色に覆われてゆく……世界が春に染まっていくみたいだ」
ノアが感慨深そうに呟く。相変わらず詩人だなぁ。
「綺麗ね」
「はい、綺麗です」
真っ直ぐに瞳を見つめられて、くすぐったさに笑みが零れる。
この光景を二人並んで見られて、本当に良かった。
私たちが勝ち取った勝利は、穏やかで温かいものだった。
「ゆっくり時間を取れて良かったですね」
「そうね、来週からは忙しくなるだろうし……」
そう、私はなんとこの春から、オリジン社への就職が決まっているのだ。
本当にどうしてそうなったのか摩訶不思議だが、何故か転職を求められたのだ。オリジン社に。
分不相応で力不足なのは重々承知のうえだが、あまりにもグイグイこられたので頷くしかなかった。
しかも私が「是」と言った途端に全ての手続きは終わっていた。感慨に耽る時間も暇もありゃしない。
どれだけ有能な職員が揃っているのか薄ら寒さすら感じる。私もそこの社員になるのかとちょこっとだけ後悔もした。
でも、と隣に並ぶ端正な横顔を見上げる。
彼が隣に居てくれるなら、この先の人生に何が待ち受けていようとも、不思議と乗り越えられる気がしている。
ノアと一緒なら、私はどこまででも飛んでいける。
私の視線に気付いたノアが、穏やかな眼差しを私に向ける。
「どうかしましたか?」
「ううん、ただ……幸せだなって思っただけ」
「ふふ、それは良かったです」
いつかこの身が朽ち果てた時。その時は、彼の手を引いてあの宇宙へと飛び出そう。
そして、夜の闇を照らす、輝くひとつの星座になるのだ。
風が止むたびに薄紅の断片は層を成し、足元を一面の春の抜け殻のように塗り潰していく。その上を、私たちは一歩ずつ、確かめるように歩き始めた。
――――ハルシオン・デイズ――――
最後までお読みいただきありがとうございます。良ければ感想いただけますと幸いです。




