終電の隣人
大学時代、私は深夜までアルバイトをしていて、終電に乗ることが多かった。
ある冬の夜、帰りの電車は珍しくがらがらで、四人掛けのボックス席に一人腰掛けた。
しばらくすると、次の駅でひとりの女性が乗ってきた。コートにマフラーを巻き、顔は半分ほど隠れている。彼女はなぜか、広い車内なのに私の真正面に腰を下ろした。
私は少し居心地が悪くなったが、視線を逸らしながらスマホを見ていた。
ところが、しばらくしてふと顔を上げると、その女性がじっとこちらを見ているのに気づいた。マフラーの隙間から覗く瞳が妙に光っていて、思わず背筋が凍った。
気まずさを紛らわせようと窓の外を見続けたが、反射するガラスに彼女の顔が映り込み、やはりこちらを見ているのが分かった。
いくつかの駅を過ぎても、彼女は降りなかった。むしろ、私の動きに合わせるようにわずかに姿勢を変えていた。
終点の二つ前の駅に着くと、車内は完全に私と彼女の二人きりになった。
やがてアナウンスが流れる。
「次は終点、○○駅です」
私はようやく解放されると思った。ところが――彼女が立ち上がり、私の横にぴたりと座った。空席は山ほどあるのに。耳元で囁くように、かすれた声が聞こえた。
「……帰り道、気をつけてくださいね」
振り返ったときには、もう彼女の姿は消えていた。
混乱したまま終点で降り、人気のない駅前を歩いた。
すると背後から、コツ、コツ、と足音が続いてきた。振り返っても誰もいない。街灯の下のアスファルトに、自分のものとは別の濡れた足跡が一つずつ現れていくのが見えた。
私は走って逃げた。必死にマンションの自室までたどり着き、ドアを閉めて安堵した。
だがその直後、ポストの投入口から音がした。覗いてみると、一枚の紙が入っていた。
紙には震える字で、こう書かれていた。
「次は隣に座らなくてもいいですか?」




