鬼の住処
「成績が悪い生徒は鬼に襲われる」
突然、隣の席に座っている矢島が得意げにそんなことを言った。
都会から田舎へと引っ越してきた中学二年生の中村誠は下敷きで扇ぎながら顔を向ける。
「なんだそれ」
暑さに顔をしかめ、何気なしに返答をすると矢島は神妙な顔を作りながら、
「この村にはな、鬼が居る。嘘じゃないぞ、三十年前実際うちの生徒が行方不明になり未解決事件として未だに警察が捜査してんだ」
「それと成績に何か関係でも?」
「実はその消えた生徒は……直前のテストで赤点を取っていたんだ」
「落ちが弱すぎだろ」
「おいおい、転校したばっかで勉強もあまりできてないお前に忠告してやってるんだぞ?」
「分かった分かった。気を付けるよ」
田舎の生活にあこがれていた誠は下校中に森の中を探検をするのが好きだった。
今日も一人薄暗い森を歩いていると、
「ん?足跡があるぞ」
背の高い草木の前に人の足跡がついているのを発見。
誠は興味がわき、草木をかきわけて奥へと足を踏み入れた。
そこは開けた場所になっており、隅っこのほうには小さな小屋が見える。
(まさか、獣道の先にこんな空間があるなんて、まるで秘密基地みたいだ)
外からでは草木が邪魔をして小屋が見えないようになっており、新しい発見に誠は興奮していた。
外観は老朽化のせいか全体的に錆びれている。
「空き家か?」
窓越しに外から中を覗いてみると、意外と中は綺麗に整っており生活感があふれていた。
バキッ。
小枝を踏む音が聞こえ、誠は慌てて元来た道を戻った。
こんな人のいないところで生活をしている人なんて恐ろしい人に違いない。
息も絶え絶えに森から抜け出した。
「名前呼ぶから順番に取りに来るように」
担任からテストの結果が返ってくる。
誠は引っ越してからあまり勉強ができておらず、三十点を下回っていた。
「せっかく忠告したのに、鬼に襲われてもしらねえぞ」
矢島は自信満々に九十点と書かれたテスト用紙を見せつけてくる。
「うるせえな、鬼とか存在しねえよ」
「これだから都会っ子はだめだな。自然と共に育つとな超常的な存在が傍にいるってことに気が付くのさ」
「はいはい、それはすごいね」
学校が終わり下校中、遠くのほうから鬼の仮面らしきものをつけ、手にはこん棒を持った不審者が歩いてくるのが見えた。
(なんだ?今日は祭りでもやってるのか?)
近づくにつれ、その人物は仮面越しに誠をじっと見ていることに気が付く。
そして、徐々に速足に。
「成績が悪い生徒は鬼に襲われる」矢島の言葉が脳裏をよぎる。
まさかとは思うが、一応学校に報告しに行こうと後ろを向いたときだった。
突然鬼が走り出した。
「は?」
誠も思わず逃げるように走るが相手のほうがやや速い。
学校につくまでには追い付かれるだろう。
咄嗟にそう判断した誠は道沿いから外れて森の中へと入った。
(あそこなら、隠れきれる)
背の高い草木をかきわけて、以前見つけた小屋へ駆けた。
「すみません!助けてください!」
扉を強く叩くと「乱暴だねぇ」というしゃがれた声とともに目の前が開けた。
きしむ板戸から現れたのは和服にサンダル姿の老婆だった。
「よくあることさねぇ」
中へと入り、状況を説明すると何でもないようにそう言った。
「鬼の仮面をつけた奴と知り合いなんですか?」
「村の連中だろう。村から出ていく者はいても、入ってくる者は少ない。それもお前のような若者なら猶更だ。歓迎ついでに驚かせてやろうとでもしたのだろう」
「それだと、逆効果になるのでは?」
都会にいた頃、田舎は閉鎖的で息苦しいという話を教師が話していたのを思い出した。
「くくく、娯楽が少ないからの。それに、この村に伝わる迷信を知っとるか」
「迷信……。もしかして、鬼に襲われるとかいうやつですか」
「ああ、それじゃよ。村の連中はそれを面白がって外から来たものには毎回似たようなことをやるようになった」
老婆は立ち上がり、台所のほうへと向かった。
「そういえば、お前。以前、この小屋を覗いておったろ」
ドキッと胸の鼓動が早くなる。
誠は土下座をして謝った。
「す、すみません。興味本位で覗いてしまいました」
「そうか、そうか」
その声に怒った様子はなくほっと安堵の息を吐き、ふと横に顔を向けるとテーブルの下に白骨があった。
「か、変わったインテリアですね」
小屋、老婆、白骨。
あまりにも不吉な雰囲気に思わず息を呑む。
「それよりスイカでもどうじゃ」
老婆はスイカと包丁を持って戻って、テーブルを挟み誠の前へ座った。
「いただきます……」
「あの迷信はな、三十年前に赤点を取った生徒が消息不明になったのがきっかけで生まれたのじゃ」
切り分けたスイカを誠に差し出して語りだす。
「こんな田舎じゃ警察も少なくてな、結局見つからず、今でもわしに話を聞きにくるんじゃよ」
「そうなんですか、村の人全員に聞いて回ってるんですかね」
瑞々しいスイカの味が口に広がる。
年寄りの話は長いと相場が決まっているが、美味しいスイカを食べながらなら苦にならない。
「いいや、わしにだけ執拗にな。もう、うんざりじゃよ」
「おばあさんはその事件の関係者とかですか?」
スイカの白い部分を齧りながら適当に話を返す。
「そりゃ、わしの息子だからねぇ」
「え?あっ、それは申し訳ない」
「若造が年寄りに気を遣うんじゃないよ」
空気が重くなり、残りのスイカに手を付ける気になれなかった誠は立ち上がった。
「そ、それじゃ、俺はこのへんで」
後ろを振り向き、板戸に手をかけると、
「帰さないよ」
ドスっと、背中から包丁を刺された。
「はっ?えっ?」
どろどろと血が床を叩く。
誠はその場で倒れた。
視線の先にはテーブルの下に隠されるように置かれた白骨が見える。
「可哀そうな坊や。小屋さえ見つけなければの。好奇心は猫をも殺すのじゃよ」
「あっ……がっ……」
溺れるように手を伸ばすと、扉が開いた。
「たすけ……」
外から入ってきたのは、鬼の仮面をした人物だった。
そして、こん棒が振り下ろされるのを最後に意識を失った。