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短編集

ホワイトハウス

作者: 紀一

毎年恒例、ホワイトハウスのクリスマス飾りを見に来たエドモンド。だが一緒に来た母とはぐれてしまう。そんな中、ある一室にひと際美しい妖精の家を見付けた。

戦争が後を絶たないこの世の中、平和を願ってクリスマスのチャリティ企画用に書きました。

ホワイトハウス


 頭上に輝く無数の電球、その暖かい光の中で色鮮やかなオーナメントが人々の目を楽しませている。緑の草木を模した飾りは白い壁に映え、天井からは鳩を象った白い紙が下がっていた。ある一室には、遊園地のメリーゴーランドをまるっきり小さくしたような夢の空間が広がり、また別の一室にはスーパーマーケットの一角にある物とは比べ物にならないような、精巧な作りの妖精の家があった。そのどれもが色とりどりの光で溢れ、あたかも幻の世界のようだった。

 普段は政治と言う沼の底に沈んでいるホワイトハウスが、毎年十二月にはクリスマス一色となる。

 エドモンドは目が回りそうなクリスマスのトンネルを歩きながら、ふと静かな部屋の前で足を止めた。白い壁に囲まれたその部屋は、他の部屋と同じようにクリスマスの光が満ちている。やや小ぢんまりとしたその部屋の突き当りに、妖精の家があった。ここに来る前に別の部屋にも妖精の家はあったが、この家はまた作りが違っている。前に見た家は、屋根に雪を積もらせた丸太小屋のような作りだった。だがこの部屋にある家は、七色に光るガラス板のような壁面に、ドーム型の屋根がついている。屋根もガラスのような透き通る素材で出来ているが、ダイヤモンドさながらに削られていて、光が屈折し中を覗く事はできない。

「きれいな家だなあ」

 廊下からは一般公開に訪れた人々の足音や話し声が聞こえてくるが、この部屋にはエドモンドの声だけがぽつりと響いた。エドモンドは一度廊下を振り返るが、そこに母の姿はない。いつの間にかはぐれてしまったようだ。すぐにこの部屋を出て母を探そうと思ったが、廊下に向かって一歩踏み出した足が、それ以上先へ進む事はなかった。

 エドモンドは妖精の家をゆっくり振り返る。今まで見た事もない、宝石のように美しい妖精の家。この家の中にはいったいどんな妖精がいるのだろう。スーパーマーケットにある、アルバイトの大学生が妖精に扮した家ではない事は確かだった。

 この妖精の家にはドアがなかった。ガラス板の壁でぐるりと囲まれているだけだ。

「ただの飾りなのかな」

 エドモンドの手が正面のガラス板に触れた瞬間、七色に光を反射していた板が一瞬にして空気のように透明になり、音もなく消えた。エドモンドは驚いて手を引っ込めたが、視線は家の中をしっかりと覗き込んでいる。

 家の中は外壁と同様の、七色に輝く石の結晶が床から天井までびっしりと覆っていた。まるで結晶洞窟のようで、ダイヤモンドの天井から降りてくる光が、更に輝きを増している。結晶が生い茂る壁面は円柱状に中の空間を取り囲んでいる。円形の床はいかにも滑りが良さそうなガラス板で出来ていた。

「何だ、これ!」

 エドモンドは自分一人が入ってちょうどいい程度の大きさの家に、吸い込まれるようにして入っていく。

「こんな妖精の家見た事ないよ! 妖精さん? 居るの? まさか、居ないよね」

 子供の遊具程度の大きさの家に、まさかアルバイトの大学生は居ないだろう。そう思いながらも声を上げると、家の奥にある壁が開いた。エドモンドは期待と不安と驚きの表情で、僅かな音しか立てずに開いた壁を振り返る。

 そこには小さな人が二人立っていた。信じられないほど小さな人だ。十歳のエドモンドよりもはるかに小さい。例えるなら、庭に置いてあるノーム人形だ。あの人形ほどずんぐりむっくりではないが、身長だけ言えば同じようなものだ。

「ナイン、どう言う事だ。人間が侵入しているぞ」

「陛下、ただいま確認致します。奥の部屋でお待ち下さい」

「いや、どうせ私とお前の二人しか居らんのだ。ここで良い」

「かしこまりました」

 二人はどうやら男のようだ。陛下と呼ばれた方は初老で、眩しいほどの白髪を紺碧のマントの上になびかせている。ナインと呼ばれた方は若者だ。きりっとした厳しい目つきでエドモンドの方へやって来た。

「お前は何者だ? 許可なく陛下の結晶の間へ立ち入るなど、恐れを知らない奴め」

 エドモンドは、はっきりとした口調で違和感なく話すナインに、驚くとともに感心していた。きっとこれがホワイトハウスの技術力なのだと思った。こんなに生気に満ちた精巧な人形は見た事がない。

「おい、何か答えろ。叩き出すぞ」

 ナインがあまりにも鋭い目つきで言うので、エドモンドは困惑しながらも口を開いた。

「えっと、僕はホワイトハウスのクリスマス飾りを見に来たんだ。ママと一緒にね。でもママとはぐれちゃって、そうしたらこのきれいな妖精の家を見付けたんだよ。試しに触ってみたら扉が開いて、入ってみたの」

「ホワイトハウス?」

 ナインは怪訝そうにエドモンドの向こうで開けっ放しになっている扉を見る。確かにここは何らかの建物の中のようだった。

「ホワイトハウス知らないの? アメリカで一番大事な場所だよ」

「知っている」

 不機嫌そうに眉を寄せると、ナインは踵を返して初老の男の方へ戻って行った。

「陛下、どうやらここはホワイトハウスの中のようです」

 顔を伏せて言うナインに、初老の男は目を丸くしてエドモンドを見る。

「何と言う事だ。あの戦火の中で、移動先を誤ってしまったとは……」

「陛下、今はお体に障りますゆえ、一先ず扉を閉じてここに留まりましょう。これだけ人間が多くいる場所であれば、奴らも迂闊に近付けますまい」

「ああ、そうだな」

 初老の男がそっと片手を上げると、結晶洞窟の扉が音もなく閉まった。

「あ! ちょっと、開けてよ!」

 エドモンドは慌てて扉の方へ向かうが、その時には既に一枚の壁があるだけだった。

「人間よ、この結晶の間の存在を知ってしまったからには、簡単に出す訳にはいくまいぞ」

「どうしてさ! この家はホワイトハウスの人が作ったんでしょ? もう妖精ごっこなんていいから、外に出してよ!」

「陛下に対して失礼であるぞ!」

 ナインが見た事もないほど美しい金色の髪を揺らしながら、エドモンドの前までやって来た。改めて見れば、この二人はたいそう立派な服を着ている。まるで物語の世界の王族のようだった。

「いいか、こちらにいらっしゃる御方は、妖精の王であらせられるぞ。人間ごときが馴れ馴れしい口を利いて良い御方ではないのだ!」

「なに怒ってるのさ、怒りたいのは僕の方だ!」

 エドモンドは自分の膝下ほどしかないナインを見下ろす。こんなにも体格差があるにもかかわらず、ナインは物怖じせずにエドモンドを睨み上げた。するとそこに初老の男がやって来る。

「ナイン、相手は人間の子供だ。仕方あるまい」

「陛下……」

「少年よ、名は何と言う」

「……エドモンド。おじいさんは?」

 一歩踏み出したナインを制し、妖精の王は何度か深く頷いた。

「名は無い。王と呼びなさい」

「王様なの? 本当に妖精?」

「ああ、そうとも。まごうことなき妖精の王だ。人形か何かだと思っているようだが、人間と同様、生きている」

 妖精の王は枯れ枝のような手をエドモンドの手に置く。エドモンドの黒い肌に、妖精の白い肌が一層目立った。その色はいかにも血色が悪く見えたが、確かに小さな手からは温かい体温を感じた。

「……本当だ、生きてるんだ」

 エドモンドは王の大きな瞳を見た。今までに見たどんな青よりも深く澄んだ、きらきらと輝く瞳だ。だが、その瞳にはどこか大きな悲しみが見て取れた。

「王様はどうしてホワイトハウスに居るの? ここはアメリカの大統領が住んでる場所だよ」

「ああ、そうとも、ここはアメリカだ。アメリカのホワイトハウスだな」

 妖精の王はエドモンドに背を向けると、結晶の間の奥にある椅子に腰を下ろした。そして壁一面の結晶に手をかざす。すると、七色に光を反射していた結晶が波打つように光を発し始めた。

「わあ、きれい!」

「そうだろう。この結晶は我々の宝なのだよ。だがな、その宝を巡って争いが起きてしまった」

 一面の結晶は、豊かな緑と花々に覆われた幻の都を映し出した。透き通る水が滔々と流れる川、木漏れ日に鳥たちが歌い、優しい風に蝶が舞う。天国かと見紛う光景に、鮮やかな花々の香りまで感じるかのようだった。

 だがその美しい世界に、一点の炎が生まれた。一人の妖精が、剣を手に立っている。

「この人は?」

「我が息子、エイデン」

 エイデンは妖精の兵士達を引き連れ、繊細な彫刻と美しい青の結晶に彩られた城へ踏み込んでいく。

「エイデンは、この結晶の力を手に入れるために兵士を引き込み、反旗を翻したのだ」

「悪い人なんだ」

「いや、性根の汚れた悪人ではない」

「でも悪い事してるじゃん」

 妖精の王は憂いに満ちた眼で結晶の世界を眺めていた。隣に立つナインは怒りともつかない複雑な面持ちで光の壁をじっと見据えている。

「私は、あらゆるものを自由自在に移動させられるのだよ、エドモンド。エイデンはその力を使って我々の世界をより豊かなものにしようとしたのだ」

「……それなら、良い人なの?」

「世界は複雑だ。時に善は悪になり、悪が善になる事もある。この力は強大であるが、それ故に安易に使ってはならんのだ。使えば必ず大きな代償を払うのだよ。その覚悟を持つ者だけが使う事を許される」

「ふうん」

 エドモンドは壁に映し出されているおとぎ話のような世界に見入っていた。エイデンは銀色に煌めく剣を手に、兵士達を先導して城に攻め込んでいた。城に居た妖精達は逃げまどい、王を守ろうとする衛兵は剣の露となって倒れていく。エドモンドは思わず目を覆った。

「我々は古来よりトロール共と戦う事はあっても、妖精同士で戦う事など無かった。そのような事で妖精の血が流されるなど、決してあってはならぬ事だ。私はこの力を守るため、ナインと共に結晶の間を妖精の世界から移動させたのだ。そして思いがけず、ここホワイトハウスへ来てしまったのだよ」

「じゃあ、逃げて来たんだね。でも良かったんじゃない? だって妖精の家だから、クリスマス飾りに上手く紛れ込んでるよ!」

 王は小さく口角をあげてナインを見た。

「面白い子供だ」

「……はあ」

 妖精の世界を映していた結晶が光るのをやめ、元の七色に戻る。その美しい壁を眺めながら、エドモンドが言った。

「ねえ、これって好きなものを何でも見れるの?」

 妖精の王は深く頷いた。

「ああ、そうとも」

 エドモンドは結晶の椅子に腰かける老いた妖精を振り返った。

「お願いがあるんだ。クリスマスだからお願いを聞いてくれる?」

「我々にクリスマスなどと言う行事はないが、この結晶の間に入って来られたのも何かの縁であろう。聞いてやろう」

「陛下……」

 枯れ枝のような手が、声を上げるナインを制した。

「ナイン、私は気になるのだよ。何故この人間の子供を結晶が呼び寄せたのか」

 妖精の王は宇宙のように深い青の瞳でエドモンドを見る。

「エドモンドよ、何が見たい」

 エドモンドの黒い瞳は不安と悲しみに揺れた。

「僕は、パパを見たい」

「ほう、父か。離れ離れなのか」

「そう。パパは半年前に戦争へ行ったんだ。イラクっていう国だよ。どこにあるかママが地図で見せてくれたけど、とっても遠い場所なんだ」

「お前の父は兵士なのだな」

 エドモンドは頷くが、不服そうな肯定だった。

「パパは軍人さんなんだ。みんなパパはヒーローだって言ってくれるけど、僕は軍人さんが好きじゃないんだよ」

「ほう、何故だ。兵士は国のために命を懸けて戦う誇り高い職務であるぞ」

 そう言いながら妖精の王は再び結晶の壁に手をかざす。すると一面に乾いた砂嵐が巻き起こった。そして徐々に現れる街の姿は、砂塵と硝煙に呑まれた廃墟の群れだった。弾痕だらけの砂っぽい建物が立ち並び、葬列さながらの街並みを濁った風が駆け抜けていく。その景色を目にしたエドモンドは、すぐにでもあの妖精の国へ飛んでいきたい心地で口を開いた。

「僕は、戦う事が好きじゃないんだ。みんなは正義のために戦う事はかっこいいんだって言うけど、僕はそう思えないよ。だって、もしかしたら……」

 その時、風景の一角で強烈な爆音と共に巨大な砂の柱が上がった。砂に汚れた迷彩服を着た兵士達が壁に身を隠している。その兵士達の一人に、エドモンドは目を大きく見開いた。

「パパだ! パパが居る!」

 妖精の王とナインは結晶が映し出す世界を、ただ静かに眺めていた。エドモンドは駆け出すほどの広さもない結晶の間で、父の映る壁に手を伸ばす。父は先ほどの轟音に小さくなって壁に潜んでいる。周囲には同じ部隊の兵士が何人も居て、周囲の様子を窺っていた。

「僕は軍人なんて嫌いだ。だって、パパは死んじゃうかもしれないんだよ。パパにも軍人なんて辞めて欲しいんだよ。みんなにとってはヒーローでも、僕にとっては、ヒーローじゃないから」

 エドモンドの小さな手が、結晶に映る父に触れた。そこで結晶は元の七色の光に戻って行く。

「エドモンドよ」

 父の姿が消えてもなお、エドモンドは結晶に触れていた。妖精の王は椅子から立ち上がり、重たい声で静かに言う。

「生きとし生けるものは、生きるために奪わなければならぬ時がある。だが、人間のそれはあまりに悲惨で、あまりに残酷だ。お前が戦いを好まぬ性を持っているからこそ、この結晶の間は扉を開いたのであろう」

 エドモンドは妖精の王を見下ろした。本当に綺麗な生き物だと思った。

「エドモンド、お前は何が欲しい」

 妖精の王の問いに、エドモンドは迷わず答える。

「パパに会いたい。パパに戻って来て欲しい。それからもう絶対に戦争へ行かなくて良いように、この世界から戦争が無くなって欲しいよ」

 妖精の王は深く頷いた。そしてナインを呼び寄せる。

「ナイン、私は決めた。もうこの力を巡って争わぬよう、私で全てを終わらせる」

「陛下! いったい何を……」

「お前にこの力を預けよう」

 老王の手は自身の胸にあてがわれていた。その下から青白い光が滲んでいる。

「お止め下さい、陛下! これを取り出せば、陛下は……」

「ナイン、よく聞きなさい。私の最期の仕事だ。その仕上げをお前に託すのだからな」

 二人の様子がおかしい事に気付き、エドモンドは二人に近付こうとする。だが、背後の壁に突然扉が現れ、見えない力に引っ張り出されるように部屋の外へ引き戻されてしまう。

「王様!」

 エドモンドの声に振り向いた妖精の王は、何も言わずに自身の胸から青く輝く大きな結晶を取り出した。その瞬間、眩しい七色の光が結晶の間を満たし、エドモンドは思わず目を閉じる。暗くなった視界に、ナインの声だけが響いた。

「父上!」


 次に目を開けた時、エドモンドはホワイトハウスの一室に居た。色とりどりのクリスマス飾りに満たされた小ぢんまりとした部屋だ。確かにあの妖精の家があった部屋だが、目の前にあるはずの家はどこにも無い。いったい何があったのかと周囲を見回していると、一つの足音が駆けて来た。

「エド!」

 懐かしい声に顔を上げると、そこには涙さえ浮かべる母が居た。

「ママ!」

 母は咄嗟にエドモンドを抱き締める。

「どこに行ってたの! もう何時間も探し回ったのよ! ホワイトハウスの人にも手伝ってもらって、隅から隅まで探したのに、見付からなくて……心配したのよ!」

 エドモンドは母の腕の中であの妖精の家があった場所を振り返った。そこにはやはり何も無かった。

「妖精の家があったんだよ。その家の中で妖精と話してたんだ」

「妖精の家? 隣の部屋にあったやつ?」

「ううん、この部屋にあった」

 駆け付けた職員は母の視線を受けて首を横に振った。

「ここに妖精の家があったの?」

「そうだよ。きらきら光るきれいなやつ」

「エドモンド、きっと素敵なお家があったのね。でも、ママから離れて勝手に遠くへ行っては駄目よ」

「ごめん、ママ」

 母がホワイトハウスの職員に礼と詫びを伝えている間、エドモンドは何度もあの部屋を見返した。だがやはり、そこに七色に輝く妖精の家は無かった。


「ねえ、パパ。その後どうなったの?」

「マギー、パパの話が本当だって信じるかい? 信じるなら教えてあげるよ」

 エドモンドは膝に座る娘を見下ろす。娘は満面に笑みを浮かべてエドモンドを見上げた。

「よし、じゃあ特別に教えてあげよう」

 エドモンドはリビングのソファーから窓際で鮮やかに輝くクリスマスツリーを見やった。また今年もクリスマスがやって来た。クリスマスにはこうして必ず家族と共に様々な話をして過ごす。そんな中、今年はふと、あの奇跡の年の話をしようと思い立ったのだ。

 エドモンドと母がホワイトハウスを訪れた次の日、そう、まさにクリスマス当日だが、世界は驚きの渦に飲み込まれた。母は朝からテレビの前に釘付けで、エドモンドもその隣でニュース番組を退屈そうに眺めていた。

「ママ、いったいどうしたの? 朝ご飯は?」

「ごめんね、エド、ちょっと待っててちょうだい。今、とんでもない事が起きてるのよ」

 母が指さすテレビ画面には、世界中のあらゆる場所で人がすっかり姿を消したというニュースが流れている。テレビ局のアナウンサーも、現地でリポートするアナウンサーも、皆顔面蒼白で言葉を詰まらせる始末だ。何度も切り替わるテレビ画面の中に、エドモンドはあの結晶の部屋で見たイラクの景色を見た。アナウンサーはイラクの戦場からも人が誰も居なくなったと伝える。

「いったい何が……ああ、マイク……」

 涙を浮かべる母を見上げていると、エドモンドの耳に外からの足音が届いた。雪を踏みしめる重い足音だ。サンタクロースかもしれない。

「ママ、外に誰か来てるよ」

「エド……ごめんね、ちょっと見てきてくれる?」

「分かった」

 エドモンドはソファーから降りて玄関の鍵を開けた。ゆっくりドアを開くと、十二月の冷たい風が入り込んでくる。一瞬身震いしたエドモンドが顔を上げるよりも早く、外に居る誰かが彼を抱き上げた。

「エドモンド!」

 驚きの中で自分を抱き上げた人物を見れば、それはあの砂にまみれた迷彩服に身を包む父だった。

「パパ! パパなの!?」

「ああ、そうだよ、エドモンド! パパだ! 帰って来たんだ!」

「ママ! パパが帰って来た!」

 父に抱かれたままエドモンドは温かいリビングへ戻る。二人の姿を見た母は、目からいくつも涙を流して駆け寄り、二人を一気に抱き締めた。

「良かった、マイク! 無事だったのね! 何があったのかと、気が気じゃなくて……」

「終わったんだ。戦いは終わった。もう家族を置いて遠くへ行ったりしない」

 マイケルは妻と息子を力強く抱きしめていた。三人にとってその時間は何にも代えられない瞬間だった。


「おじいちゃんはクリスマスに帰って来たの?」

「ああ、そうだよ、マギー。でもね、帰って来たのはおじいちゃんだけじゃなかったんだ。世界中の戦争へ行っていた軍人さん達が皆自分の家に帰って来たんだよ。そのクリスマスの日にね」

 マギーは黒い瞳をきらきらと輝かせて身を乗り出す。

「どうして? 戦争がみんな終わったの?」

 エドモンドは娘の笑顔を見ながら何度も頷いた。

「そう、あの日、この世界から戦争が消えたんだ」

「サンタさんからのプレゼント?」

「いいや、違うよ、マギー。これは妖精さんからのプレゼントだったんだ。パパがホワイトハウスで会った妖精さんだよ」

「妖精さんはどうやって戦争を止めたの?」

 エドモンドは娘の頭をそっと撫でながら、窓際のクリスマスツリーを見る。ツリーの足元には小さな妖精の家が置いてあった。あの美しい結晶の家とは比べようもない物だが、妖精の家があると気持ちが落ち着く。

「妖精さんはね、軍人さんや世界中の偉い人達を妖精の国へ招待してくれたんだ。妖精の国はとってもきれいな所で、そこでは妖精さんが傷ついた人々を助けてくれたんだよ。人々は天国のような場所で妖精さんの優しい心に触れて、もう戦うのを止めたんだ」

「おじいちゃんも妖精さんの国へ行ったの?」

「ああ、そうだよ。妖精の国の事をもっと知りたかったらおじいちゃんに聞いてごらん」

「うん!」

 そう言うとマギーはエドモンドの膝から飛び降りて、キッチンでコーヒーを淹れているマイケルの元へ駆けて行った。

「マギー、パパから面白いお話を聞いたのかい」

「おじいちゃんが妖精さんの国に行ったって言うお話を聞いたの」

「それは良いお話だね」

「ねえ、おじいちゃん、妖精さんの国はどんな所だったの?」

 マイケルはコーヒーカップを手に、リビングのソファーに腰を下ろした。向かいに座るエドモンドは和やかな笑みで二人を眺めている。マイケルはその笑みに頷き、孫娘にあの日の話を始めた。

「妖精の国はね、おじいちゃんが今まで見た中で一番きれいな所だったよ。緑豊かな森にはきれいな花がそこかしこに咲いていて、木漏れ日がシャンデリアのように輝いてた。森を流れる小川は川底の小石まで見えるほど透き通っていて、おじいちゃんと仲間達は喉がカラカラだったから、すぐにその水を飲んだんだ」

「お腹壊さなかったの?」

「ははは、マギー、大丈夫だよ。とってもおいしいお水だった。おじいちゃん達は戦争で怪我をしていたんだ。急に見た事もない場所に居て、いったい何が起こっているのかさっぱり分からなかったけど、とにかくそこで傷の手当てをしようと思った」

 マイケルはあの日の出来事を今でも鮮明に記憶している。忘れようもない、奇跡の日だった。

 それはまさに突然だった。気が付くと部隊は見た事もない美しい世界に居た。通信機器は全て機能せず、武器は何も持っていなかった。ここで敵に遭遇すれば誰も生き残れないと警戒しながらも、まずは傷を癒すべく手元にある物で手当てをしていた。

 その時、森の木陰から何かが現れた。皆警戒して物音がした方を一斉に振り返ると、そこには自分達の膝下よりも小さい人型の生き物が居た。まるでファンタジー映画に出てくるような、エルフのような生き物だ。生まれて初めて見る生き物に全員が言葉を失っていた。だが、それは相手も同じようだった。

 妖精は宝石のような美しい瞳を丸くして兵士達を見ていた。よく見れば、その妖精は金細工を施した優美な鎧を身に着けている。

「エイデン様」

 木陰からまた別の妖精がやって来て、呆然と立ち尽くす妖精に声をかけた。そしてエイデンと呼ばれた妖精が目を剥いている光景に、同じく言葉を呑んだ。

「父上……まさか、人間をここへ……」

「エイデン様、これはいったい……」

 エイデンは黄金色の髪の下で宝石のような目を細め、深く息を吐いた。

「父上が、この者達をこちらへ送られたのだ。何故だ……」

 そこにもう一人、同じく金色の髪をなびかせる美しい妖精がやって来る。あまりに現実離れした光景に、マイケル達はただ茫然と妖精達を見ているしかなかった。

「兄上」

「ナイン。父上はどうなさった」

「……これを」

 ナインは手のひらに乗った小さな青い結晶を見せる。それを見た瞬間、エイデンは目を見開いて肩を落とした。

「これは私が父上から預かりました。人間達を癒した後、元の世界へ戻すために」

「何故だ、何故父上はそのような事を! 命と引き換えに人間共を助ける必要など無いはずだ! 何故我々のために使う事を許して下さらなかったのか!」

 ナインの手のひらで煌めく青い結晶に、エイデンは涙を流して剣を取り落とす。

「兄上、力で得られるものはいずれ力で失くすもの。ですが、何かを想う気持ちはなくなるものではありません。父上がそれを伝えよと仰せでした」

 そう言うとナインは青い結晶を腰のベルトに下げたポシェットに入れた。

「結晶として外界に触れた以上、この力はもう我々には宿りません。彼らを家へ帰しましょう。もう戦いなどせぬように」

 エイデンは緑の鮮やかな草に沈んだ銀の剣に目を落とす。そこに残った赤い血に。そして僅かに震える声で部下に命じた。

「人間を治療してやれ。そして食事と水を与えるのだ。城を直し、人間を招くぞ」


「そうしておじいちゃん達は妖精のお城へ行ったんだ」

「すごい! きれいなお城? シンデレラ城みたい?」

「シンデレラ城より何倍も立派なお城さ! そこで世界中の軍人さんと楽しく食事をして、おいしい飲み物をたくさん飲んだ。偉い人達もみんなさ。そうしたら、不思議な事にみんなこれ以上戦争をしたくなくなった。妖精の国ではね、みんな同じ言葉を話せたんだ。だからおじいちゃんもイラクで戦っていた軍人さんとたくさんお話をしたよ」

「みんな仲良しになったの?」

 マイケルはコーヒーを飲んで満面に笑みを浮かべた。

「ああ、そうだよ。みんな仲良くなった。そこに居た誰もが愛する家族や国のために戦っていたんだ。大切なものを守るために、その大切なものをお互いに奪い合っていたんだ。みんなやっとその事に気が付いた。妖精達が気付かせてくれたのさ」

 二人が楽し気に話す姿を眺めていたエドモンドだったが、キッチンで料理をする妻と母を手伝いにソファーから立ち上がった。だがその時、ツリーの後ろにある窓に、金色の光が煌めくのを見た。昨日から降り出した雪が前庭の芝生を一面の白に染める中、あの日見た黄金色を思い起こさせる光だった。

 エドモンドは慌てて上着に袖を通し、前庭へ飛び出す。

 クリスマスの朝、まだ誰も踏みしめていない雪の絨毯にはあの日見た紺碧のマントに黄金色に輝く髪をなびかせる背中があった。

「ナイン、君はナインなのか」

 白い息が日の光に浮かぶ。エドモンドの声に、その背中はゆっくりと振り返った。輝く青い瞳に白い肌。凛とした顔つきはあの日と少しも変わらない。ホワイトハウスで見た、あの日のナインのままだった。

「久しいな、エドモンド」

「やっぱり、君だったんだね! まさかまた会えるだなんて! あれから十年以上経って僕はすっかり年を取ったけど、君は少しも変わらないな」

「我々は人間の何倍も緩やかな時間の中に生きているのだ」

 ナインは僅かに微笑んで頷いた。

「僕はどうしても君にもう一度会いたかったんだ。毎日神に祈ってきた。君にお礼を言いたかったんだよ」

 エドモンドは雪の道を一歩ずつ進み、ナインに近付いていく。自分は大人になったが、ナインはあの日と変わらないせいで余計に小さく感じた。そこで雪の上に膝をつき、ナインになるべく視線を合わせる。

「あの日の僕はまだ子供で君達が何をしてくれたのか、ちゃんと理解できていなかった。でも父が帰還し、妖精の国の話を聞いて分かったんだ。あの時、妖精の王様は死んでしまったんだね? そして君はあの王様を父上と呼んでいた」

「ああ、そうだ」

「僕は父を取り戻し、君は父を失ってしまったんだ」

 するとナインはすっと手を突き出してエドモンドを制した。

「それは違う。あれは父上の命を懸けた選択であった。争いの元となる力を、善き事に使ってしまうための。そして父上の想いは成った。人間は争いを止め、我々妖精も人間の惨憺たる姿に自らの過ちを見た。殺し合いの無意味さと虚しさを……。父上は人間と妖精の双方を救ったのだ」

 エドモンドは深々と頷いた。そして白銀の世界に佇むナインに言う。

「君の父さんは本物のヒーローだよ。本当にありがとう」

 ナインは少しの間、美しい青の瞳を閉じたが、すっと開いて微笑む。

「我々は争いを棄てた。人間はどうしている?」

「人間もさ。あの日は奇跡のクリスマスと言われているんだ。そしてあの後、各国が独自の武力を放棄して国連に平和維持のための多国籍軍ができた。軍と言っても警察権を行使するための部隊だよ。そして国際法が確実に施行されるようになった。戦争はそれ自体が大きな犯罪になったんだ」

「そうか、それは何よりだ」

 そう言うと、ナインは改めてエドモンドを見上げる。

「エドモンド、こうして私がお前を訪ねたのには一つ、頼みがあっての事だ」

「頼みって何だい? 君のためなら何でもするよ」

「お前はどうやら作家になって妖精の話を多く書いているそうじゃないか」

 エドモンドは恥ずかしそうに視線を泳がせて頷いた。

「ああ、実はそうなんだ。君達との出会いが印象的でね。本当に素晴らしい時間だったから、それを終わらせたくなかったんだ」

「お前に、父上の話を書いて欲しい。父上がこの世界に残したものを」

 ナインの青い瞳を、エドモンドは力強く見返す。

「ありがとう。それは本当に名誉な仕事だ。渾身の想いで書き上げるよ」

「そうして欲しい。父上は、あの日お前が願った事を聞き、我々が王族として真に守るべきものを見出されたのだ。あの選択をしたのは父上自身だが、お前の純粋な願いがそれを導き出した」

「それは君達の優しい心があったからさ」

 ナインは微笑んでエドモンドに背を向ける。そして白銀の雪の上を静かに歩み始めた。その紺碧の背中に、エドモンドは声を投げる。

「今度は僕からのクリスマスプレゼントだ!」

 ナインは肩越しに頷き、金色の光となって眩しいほどの朝日に舞い上がった。青く澄んだ空に、光の粒が溶けていくのを、エドモンドはいつまでも見送っていた。


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