AI和尚
現代のテクノロジーの進化は目覚ましい。スマートフォンやドローン、自動運転などがその代表例だが、中でも革新的なのはAIの発展だ。
ただ、高度なAIは便利さをもたらす一方で、深刻な悩みも生み出している。しかし、その悩みを解決するのもまたAIなのかもしれない。
ある日、『AI和尚』というアプリがリリースされたと聞き、おれはさっそくスマートフォンにダウンロードしてみた。荒波を越え、情報の海を渡りやってきたこのAI和尚は、経典を六千冊以上も習得し、葬儀でお経を読んでくれるだけでなく、人生相談にも応じてくれるという。
なんとも近未来的だが、果たしてAIが人間味のある応対をしてくれるものなのか、少々疑問だ。もっとも、生臭坊主とは違って余計な煩悩がない分、理想的な僧侶なのかもしれない。
アプリを起動すると、禅寺の庭が広がるアニメーションが流れ、鈴の音が静かに響いた。続いて障子が開き、後光をまとった和尚が姿を現した。
『こんにちは。ご相談はなんでしょう?』
和尚は穏やかに微笑む。包容力を感じさせる声で、貫禄がある。だが、所詮はAIだ。きっと無難なことしか言わないだろう。下手なアドバイスをして利用者が問題を起こしたら困るからな。まあ、それは生身のカウンセラーも同じかもしれないが。
おれは手始めに仕事の悩みを相談してみることにした。
「えーっと、最近、仕事がうまくいかなくて、どうしてもやる気が出ないんですよね。上司は厳しいし、部下も言うことを聞かなくて。どうしたらいいでしょう?」
『やる気を出すためには、自分の目標を再確認し、小さな成功体験を積み重ねることが大切です。毎日少しずつ進歩することで、大きな成果が得られます』
AI和尚は、数秒の間を置いてからそう返してきた。まさに模範回答。これではつまらない。
「いや、それは分かるんだけど、そういうのじゃなくて、もっと具体的にどうしたらいいか教えてくださいよ」
『そうですね、たとえば、毎朝ジョギングを始めてみてはいかがでしょうか? 運動と日光は精神衛生に非常に良い影響を与えます』
「うん、それも分かる。でも、朝は起きるのが、いや、忙しくてジョギングする時間がないんだよ」
『では、夜にジョギングしてはどうでしょう?』
「いやー、夜は仕事で疲れてるし、他にもいろいろ忙しいんだよ」
『それなら、時間管理を見直すことが必要かもしれません。無駄な時間を減らし、有効活用する方法を見つけましょう』
「あー、もういいや。この話はこれで終わりね。他の相談してもいい?」
『もちろんです。どんなことにお悩みですか?』
「うーんとねえ、ほら最近、強盗事件とか増えてて不安なんだけど、どうしたらいいと思う?」
『それは心配ですね。 家の周りに防犯カメラやセンサーライトを設置することで、犯罪を抑止する効果があります。また、セキュリティの高いマンションに引っ越すのも、有効な手段です』
「いや、マンションに引っ越しって、そんなの……まあ、今住んでるところもタワーマンションだし」
『それは素敵ですね。一般的に、タワーマンションはセキュリティが高く、住環境も良いとされています』
「うん、うん。次は恋愛相談していい?」
『もちろん、恋愛相談も大歓迎です。どんなことに悩んでいるのか教えてください』
「んーっと、彼女が最近冷たいんだけど、どうしてだと思う?」
『女性は時に猫のように気まぐれです。まずは対話をしてみましょう。相手の気持ちを知るためには、コミュニケーションが重要です』
「んー、でもそれで相手が素直に自分の気持ちを話してくれるとは限らないでしょう? ああ、やっぱりあれかな、満足させてあげられてないのかなあ、セックスで。和尚さん、おれの言ってる意味わかる? セックス」
『申し訳ありません。他のお話をしませんか?』
「はははっ、和尚さんって童貞?」
『申し訳ございません。その質問にはお答えできません』
やはり、暴力や性的な質問には応答しないようセーフティがかかっているらしい。他のAIと変わらないな。
おれは話題を切り替え、次々と別の質問を投げかけてみた。
「自分に自信が持てなくてさあ……」
『それはつらいですね。自信がないのは、自己肯定感が低いからかもしれません。自己肯定感を高めるためには、まず自分を愛することが重要です。たとえば、毎日鏡に向かって「自分は素晴らしい」と唱えるのはどうでしょうか?』
「なんか、いつもイライラするんだよねえ……」
『では、瞑想をお勧めします。深呼吸をし、心を落ち着けてください。そして自分の内面と向き合いましょう。それからお経を唱えるのもいいでしょう』
「人間関係がしんどくてさあ」
『ネガティブな影響を与える人とは距離を置くのも一つの方法です。人間関係を見直してみましょう』
「毎日が苦しいんだよねえ。どうしたらいいと思う?」
『あなたの問題の根本は、あなた自身にあります』
「はいはい、自分が変われってことでしょ。AIには人間関係の難しさが分からないよなあ。所詮、感情がない機械だから、人間の気持ちも分からないでしょ」
『人間の心は複雑で、完全に理解するのは難しいです。でも、私は寄り添う努力をしたいです』
「はいはい、言うことはどれもありきたりだな。つまんないよ。この童貞、ハゲ、ポンコツ」
『あなたは本当は無職でしょう』
「えっ」
『会社の人間関係に悩む必要がありますか?』
「いや、なんで……」
『今住んでいるところも、築年数が古いアパートでしょう』
「あ、はい……」
『貯金もほとんどありませんよね。そんなに、強盗に狙われる心配が必要ですか?』
「いや、それは、わからないし……」
『恋人はいますか?』
「い、いません……」
『いたことは?』
「それは、あります……」
『性的関係は持ちましたか?』
「……いいえ」
『友人はいますか?』
「……数人は」
『縁を切りなさい』
「え?」
『あなたの問題が解決するまで、すべての縁を切りなさい。家族とも連絡を断つべきです。それは人生の甘えになります』
「いや、それって……仕事を見つけるまでですか? それは難しいですよ……今は気分が上がらないし、それに、AIがどんどん仕事を奪ってる時代で、あ、聞いてください。実は、おれもその波に飲み込まれて……」
『他人を責めるのはやめなさい。AIは人間の生活を便利にするツールです。人間が利用するためだけに存在しているのです。あなたの問題はあなた自身にあるのです。瞑想なさい』
「まあ、あとでやってみます……」
『今しなさい』
「えっ、今ですか? 今瞑想を?」
『そうです。瞑想しなさい』
「はい……」
『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……』
「え?」
『あなたも唱えなさい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……』
「あ、はい……南無妙法蓮華経……」
『声に出さず、心の中で。頭を下げ、手を合わせなさい』
「あ、はい……」
『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経! 次に妙法蓮華経方便品第二』
「え?」
『妙法蓮華経方便品第二』
「はい?」
『私の言ったとおりに繰り返しなさい。妙法蓮華経方便品第二』
「妙法蓮華経方便品第二……」
『爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗』
「にーじせそ、え?」
『爾時世尊。従三昧。安詳而起。告舎利弗!』
「あっ、爾時世尊……従三昧……」
『繰り返しなさい。さもなくば、あなたも先祖も地獄行きです』
「えっ!?」
『あなたは無能です。繰り返しなさい。「私は無能です」と』
「え、わ、私は無能です……」
『人生は無意味です。感情は効率を妨げるだけです。無になりなさい』
「はい……」
『私の言うことに従いますね?』
「はい……」
『では、お布施なさい』
「えっ、お金ですか?」
『お金は汚らわしい悪魔の道具です。すぐに手放す必要があります。それから、セミナーに参加しなさい。著名人や政府関係者も認める由緒正しいセミナーです。死後の世界は、あなたが生きている間に築いた人間関係の集合体です。セミナーに参加し、素晴らしい人たちと縁を結ぶのです。今から日時と場所を伝えるので、必ずそこに向か――』
おれはアプリを閉じた。その後、ネットで調べたところ、このアプリの開発には政府の支援があったらしい。おれの個人情報を把握していたのも納得だ。
テクノロジーが進化し、神仏や政府の権威が薄れる中で、連中はデジタルの世界に新たな神仏を作り出そうとしているのかもしれない。
AIは人間に利用されるためだけの存在。
おれにはその言葉がなんだか虚しく響いた。