78.蘇芳と言う男
蹂躙されて、踏みつけられて、尊厳なんてなく、意味もなくただ痛めつけられて、蔑まれて、遊ばれる。
泣きたくないのに溢れた涙は無意味で、懇願はただ相手を喜ばせるだけだった。反応をする気力もなくなれば、責苦を強められて、殺される恐怖から気力で反応を返した。
死にたくない。助けて。もう嫌だ。助けて。誰か。死にたくない。誰でもいい。助けて。助けて。死にたくない。死にたくない。死にたくない。助けて。殺さないで。もう嫌だ。もう嫌だ。
痛いのも、苦しいのも、辛いのも。
痛い。苦しい。死にたくない。怖い。嫌だ。嫌だ。もう嫌だ。もうやめて。もう嫌だ。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたくない。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい死にたい死にたいしにたいしにたいしにたいしにたいシニタイ。
繋がれた暗い檻で、唯一自由な口で自分自身へ呪いをかける。
それでも、
「死にたく……ない……っ」
ポロリとこぼれた涙が暗い奈落に落ちて濃いシミを作るのも、もう見えなかった。
「その人がどれだけ傷ついたか、傷ついているか、それは本人にしかわからないことだから」
そう言った、理恵の言葉を、初音は本当の意味で理解していなかったと、悟る。
「こんな簡単に、終わらせてもらえると、思うなよ……っ」
「あああああぁぁぁあああっ!!!」
太ももから剣を生やした鬼が、目を見開いてその身体をくの字に曲げる。
「前から思ってた。あんたらは揃いも揃ってお人よしなんだよ。お人よしだから、本当の【悪】っていうのがわからないんだ。仕方ない? やらなきゃやられる? だから、奴隷を作った? ふざけんなよ!! だから何だよ! 理由になってねぇんだよ!! 相手を壊すほど追い詰めて、踏みつけて、にじって、踏み潰して!!! それを何とも思いもせず、忘れて笑えるやつが、まともなやつなわけねぇだろうが!!!!」
その顔を呪いに染め上げて、蘇芳が叫ぶそのあまりの空気に、場は静まり返った。
「蘇芳くん……っ!!」
「全部、こいつのせいだ。こいつのせいで、何人の、痛みが、不幸が、苦しみが、権利が、人生が、踏み躙られたのか……っ!!!」
ぐいと引き抜いた切先を、もう片方の太ももへと刺し下ろす。
響き渡る鬼の絶叫は、壮絶だった。
「こいつが、こんなやつがいるから、俺は……っ!!」
その瞳から、大粒の涙が溢れていく。
「こいつの、こいつ、こいつ、なんかのせいで……っ!!!」
「蘇芳くんっ!!」
言葉を失う一同の中、呼びかける初音の声に気づいてか聞こえていないのか、蘇芳の反応は何もない。
「はっ、痛いかよ。これくらいで、音を上げるとか、どんだけなめてんだ……っ!!」
響き渡る耳を覆いたくなるような鬼の絶叫に、蘇芳はその顔に薄っすらと笑みを浮かべる。
「蘇芳くんっ!!」
「ひっ! やめっ!!」
ジリと尻もちをついて、真っ青な顔で恐怖に慄き後退る鬼を、蘇芳は眺め下ろす。
「……俺が怖いかよ」
冷たい瞳。伸びる腕が、その髪を掴み上げる。
「お前を壊す俺を、壊したのは、お前だよ……っ!!」
「蘇芳くん!!」
「うるっせぇなぁ!!!」
幾度とない呼びかけに、ようやっと反応した蘇芳は、けれど初音が期待していた反応とは180度違っていた。
「あんたになんかわかんねぇよ!! 男に守られて、綺麗なまま、楽しそうに笑えるあんたになんかっ! 俺がっ、俺がどんな目に……っ!!」
うるとその瞳を潤ませて、唇を震わせる蘇芳に、初音は掛ける言葉を失う。
「蘇芳くん……」
「いいよな、女は、簡単で」
掠れるように、全てを諦めたような声でボソリと溢す。
「おい、黙って聞いていれば……っ!!」
「うっせえんだよ!!」
「…………っ!!」
間に入ろうとしたジークは、そのあまりにも不安定な様子の蘇芳に口をつぐんだ。
「おいおい、あのクソガキはなんなんだぁ……っ?」
思わずとその口端を引き攣らせるアレックスに、答える声はない。
「あぁー、だめだ。全然だめだ。もうわかんねぇ。わかんねぇ。わかんねぇ! わかんねぇ!! 気持ち悪いっ! 何も終わらない。終われない! すっきりしない。気持ち悪い……っ、吐きそうだ……っ! なんなんだよ、どうすればいい……っ、どうすればいい? どうすればいい。どうすれば戻れる。戻る? どこに? 誰に? もういやだ。何でだ! 何なんだ!! どうしてこうなった。どうしたらいいんだ。もういやだ……っ、全部いやだ! いやだ!! いやだ……っ!! 生きたい……っ、死にたく……ない……っ!! でも、生きるのが……もう、……っ!!!」
ーーきえたい。
グシャリと自身の髪を乱雑に掴んで、その暗黒のような瞳からぼろぼろと涙を溢し、呪詛のように1人グラグラと不安定に叫ぶ蘇芳。
そんな様子に圧倒されて、ダメかも知れないと、初音はどこかでそっと絶望感に覆われながらもその口を開く。
「アイラちゃんが、待ってるよ、蘇芳くん……っ!」
必死に追い縋る初音の声に、頭を抱えた蘇芳の、走馬灯みたいな塗りつぶされた顔のない映像が、蘇芳の脳裏を駆け抜ける。
病室に付き添ってくれた手も、木陰で一緒にうたた寝したその顔も声も、いつも遠くから名前を呼んで駆けて来てくれる元気な声も、もう何も見えず、聞こえない。
「こんなクソみたいな世界、消えちまえばいいんだ」
パキパキと、蘇芳の周りに集約していく何かの力が、地面を震わす。
「スオー……?」
遠く離れた地で、胸騒ぎを覚えたアイラが中央の方角を振り返る。
「みんな、消えちまえーー」
反り上がった地面から身体を現したその地肉の通った生き物に、初音たちは目を見開いて後退る。
そこには太古の生物である種類の違う恐竜が三体。
一体は翼を持ち、一体は襟飾りにツノを持つ。そして一体は、恐竜と聞いた誰もが思い浮かべる肉食獣のそれが、その骨に地肉をつけて吠え鳴いた。
「…………ティラノサウルスに、ケツァルクワトルスと、スティラコサウルスか……綺麗だな。まさか生きてる恐竜を見られるとは思わなかった……」
ーープ、プテラノドンとトリケラトプス……ではないんだ……っ!?
見知った名前とは似ても似つかぬその名前の羅列に、初音は場違いにも思わずごくりと喉を鳴らす。
蘇芳を労わるようにその頬に顔を擦り付けているティラノサウルスに、懐かしいと、わずか頬を緩ませる少年らしい蘇芳の顔に、初音の胸が痛む。
「…………さようなら、初音さん。皆さん」
その顔に強い疲労と憔悴を浮かべて、掠れたように口を開く。
お世話になりましたーー。
言葉にならないその唇が言葉を紡ぐのを、初音は目を見開いてその名を呼ぶしかできない。
「蘇芳く……っ!!」
「全員退避!!」
一刻の猶予もないと言うように余裕のないジークの声が聞こえる。
「まっじかあのクソガキ!!」
「フィオナ!!」
立て続けに聞こえるアレックスとライラックの声も、焦りの色が濃い。
吠えたティラノサウルスとスティラコサウルスから、莫大な威力のエネルギーが膨張するのがわかる。
至近距離にいた初音の腰を抱えるようにジークに引き離されて、その光の中心で妙に穏やかに、場違いに、泣き笑うように微笑む蘇芳に、伸ばしたその手は届かない。
一時の間を置いて静まり返ったその地は、全てを削ぎ払うような衝撃波を持ってして、その大陸を一瞬で壊滅させたーー。




