73.ワニとトカゲ
「あの人って……!?」
「ライラっ!!」
思わずと口にした初音に被さるように、斜め前方。ライラから見て正面でその身を乗り出す姿に初音は気がつく。
「フィオナさん……!?」
「ライラっ! ライラ!!」
「お前っ、何騒いでるんだっ!!」
「きゃぁっ!?」
「フィオナさん!?」
背後から伸びた腕に捕らえられたその身体はいとも容易く客席へと消える。
「フィオナさんも来てたの……?」
初音たちの視線の先で、ライラは会場中の注目をその身に浴びながら、その視線はただひとつに集まっていた。
「フィオナ……っ」
ざわりとその表情を変化させるライラに、会場の貴婦人たちがざわめく。
「フィオナ……っ」
よろりと、その足を進めるライラの背後で、ぐるると唸り声を発する狼。
間髪入れずに飛びかかってくるその狼の首根っこを、振り返りざまに掴んだライラは床へと押し付けた。
キュウンと弱々しい声でその尻尾を下げる狼を見下ろし、ライラはフィオナがいた客席を見つめる。
「さすが貴婦人方を魅了する鳥の獣人です!! それでは、そろそろ次の趣向に移りましょう! 各勝負をのし上がった4匹に、更に獣人や人間を加えた乱闘です!! さぁ、生き残るのは一体誰か!!?」
わぁと盛り上がりを見せる会場に、初音はギリと歯噛みする。
ーー何がおもしろいの……っ!!
ぞろぞろとリング上に連れられて来る獣人や獣、人間たちに、沸く会場が理解できなかった。
猛獣の唸り声を皮斬りに、リング上が瞬く間に地獄と化す。
その混戦する中から、バッと舞い上がる巨大な影に会場が湧き上がった。
ーーオウギワシ……?
猛禽類最大クラスの大きさに、140キロの規格外の握力、13センチにもなるかぎ爪をもつ、空の王者と言うに相応しいその風格。
舞い上がったその見惚れるように美しく大きな体躯は、けれど見えない壁に阻まれるように一定の高さで止まった。
「ライラさん、ひとまず大丈夫そうではあるけど……っ……? ジーク……?」
ガリと手すりを握りしめて眉間にシワを寄せる初音は、様子のおかしいジークにその顔を見上げた。
「……母さん……?」
「え……?」
その金の瞳を見開いて呆然と呟くジークに、初音は再びリング上へと顔を向ける。
黄色い毛並みはチラホラと見えるが、そのどれもが早すぎて初音の瞳では捉え切れなかった。
「あれは、いや、そんな……はず……っ!」
「ジーク」
「……っ!!」
そっと触れられた手の感触に、ジークがぎこちなく初音を見る。
「大丈夫。……《《少し早い》》けど、大丈夫……っ!」
「………………悪い……っ」
その腕に初音を搔き抱いて、ジークがその髪に鼻先を埋めた。
「……絶対に離れるな」
言うが否や、初音を抱えたままリングの端へとひと飛びし、その重さを感じさせない足取りでジークが降り立つ。
その姿に会場がざわりと波たち、リング上の視線が突然の乱入者に集約された。
あれは何だ? 人間? ひそひそ、ざわざわと会場がざわめくそのただ中で、その瞳を見開くのは年老いた黄色に黒の毛並みの女豹。
「ジーク……っ!?」
その声が届く前に、大きなアナウンスが会場にこだまする。
「おーっとこれは早々の乱入者です! 皆様お喜び下さい! 早くも本日の特別ステージへと趣向を変化させてお送りさせて頂きます!!」
アナウンスは、ただひたすらに人心だけを煽っていく。
「美しい麗人と可憐な娘。何を隠そうこの2人こそが最近巷を騒がせる渦中の人! 可愛い顔して数多の獣人を手玉に取り、ピストの街を強奪した人類の敵!」
わざとらしく煽るアナウンスに反応する観客の視線には、恐怖、怒り、興味など多様なものがあったけれど、一様に負の感情が強くあることは否めない。
「けれど皆様ご安心を。相対するは我らがマスターと、その直属なる両腕と誉れ高い死刑執行人の2人!! その身を賭して、歴史に残る大罪人の最期と言う歴史的瞬間を皆様にお届けする次第です!! 世紀の瞬間を、共に見届けましょう!!」
わざとらしい長いアナウンスの後、割れそうなほどに沸く会場の圧が響き渡り、初音たちの真正面から見上げるような巨体の男が2人、リング上へと乗り上がる。
筋肉だるまのような大きな口を持つ男の肩に乗る鬼が、対比で子どものように見えるほどにその2人の身体は大きく、動物の素養は見えなかった。
ーー……あれは、ナイル……ワニ? ……と、トカゲ……いや、コモドドラゴン……?
ナイルワニは、大きなものは6メートルにも成長し、目の前にあるものは無差別に何でも食べる人食いとしても有名。
噛みが強いと言われているカバの噛む力が700キロなら、ナイルワニの噛む力は1600キロとも言われている。
対するコモドドラゴンは世界最大のオオトカゲ。自身より大きな獲物を食べるほどで、好んで人間を襲うことはない一方、そのテリトリーに踏み入れれば人間も襲い丸呑みをする。
何より、その口内にある複数の毒管から獲物の傷へ毒を流し込み、急速な血圧の低下と失血によるショック状態で獲物が動けなくなるまでつけ回す執念深さを併せ持つ。
「……捕まるのは何よりまずい。特に小さい方は噛まれたら毒を持ってるはず。鬼と契約しているなら、魔法も持ってるかも知れない。あと、両方とも変温動物だから温度の極端な変化には弱いはず。絶対に近接にならないで」
コソリと耳打ちする初音に、ジークは視線を逸さぬままに無言で小さくうなづくと口を開く。
「お前まで出てくるとは思わなかったが?」
沸く会場の中で、ジークが声を張り上げる。
「ふ、知れたこと。この方が、正々堂々、スリルを感じるだろう?」
観客が。と声に出さず唇の動きだけで続けてニッとその口端を吊り上げる鬼に代わり、コモドドラゴンの獣人が大声を轟かす。
「今このリングにいるキサマらは運がいい! 俺様たちの前に、その2人を献上したやつ!!」
聞きざわりの悪い声と共に、太い腕の先の太い指で刺し示された初音とジーク。
「奴隷から解放してやる」
ニヤリと凶悪に歪められたコモドドラゴンの獣人の顔。そして、こちらを見る無数の瞳に、いやな汗が伝う。
あひゃひゃひゃひゃっと、何の前触れもなく笑い出したコモドドラゴンの獣人の声と共に、リング上は混戦と化したーー。




