72.赴く
「俺を、一緒に連れて行ってください」
胴元の施設を出たところで、おもむろに声をかけられた初音とジークは顔を見合わせる。
「蘇芳くん……」
「国中、噂で持ちきりです。人間が攻めてくるって、出ていく人もいます」
相変わらずと乏しい表情ながら、その瞳にはいつにない意志が宿っているようだった。
「中央に行くんですよね。俺がここにいても役には立ちません。少しですが、中央にいたこともあります。捕まったら、見捨ててもらって構いません。もちろん、可能な限り奴隷の解放などもお手伝いします。お願いします」
「……なぜそんなについて来たい。捕まればまた奴隷に逆戻りだとわかっているだろう」
「わかってます。わかっていますが、知りたいんです」
「?」
「どうして、奴隷になることになったのか。どうして、ここまで、俺たち異世界人にこだわるのか。なんで、こんなことができるのか、知りたい。知らないと、前に進めない気がするんです。……それに」
言葉を切って、その遥か先、中央都市を見る蘇芳の黒い瞳。
「……何かに、誰かに、ずっと呼ばれている気がして……」
強く吹き抜けた風が、その黒い髪を巻き上げたーー。
中央と呼ばれるそこは、元奴隷の国から獣の足で半日かからずと言ったところにあった。
壁で囲まれた大きな国の片隅に、その見上げるような大きな建造物がそびえ建つ。
天井のない円形闘技場。中央に置かれた円状のリング下には奴隷の収容空間があり、その観客席は4階にもなる大規模施設。
それを飾るように、ゾウよりも遥かに大きな生物の骨格がその建物を飾り立てる。
そんな観客席は、満員とも言える熱気を帯びて、そこに集まる人々の感情を掌握していた。
「本日は少し趣向を変えた催しも行う予定です。特別席へご案内いたします。どうぞこちらに」
国に入るなり、そう言って案内をされた円形闘技場の壁で区切られた、半個室のような1階席。
上階に行くほど階級の低い者たちの客席であるようで、案内されたそこが特別な席だとわかる。
「これは……こんなものをわざわざ作ったの……?」
「……なんのことだ……?」
「……コロッセオ。私の世界に、大昔にあった実在の建造物」
ローブを目深に被り、中剣をその腰に下げた初音が答える。
「美しいでしょう?」
背後から聞こえた声に、初音とジークはバッとその背後を振り返る。
上質なスーツに、きれいに固めたオールバックの歳を重ねた男ーー鬼がニコリと笑った。
「あなたがーー?」
「奴隷商の元締めをしています。今回、あなた方を招待させてもらった鬼です。招待を受けてもらえて嬉しく思っています。お嬢さんには、常々とお会いしたかったーー」
ゾクリと、初音の背筋を寒気が襲う。そんな初音との間に、ジークが割って入った。
グルと牙を剥いたジークが、飛びかからんばかりに体制を変えた瞬間、鬼の背後の入り口からその身を屈めて室内を覗き見ている2人の巨体に、ジークはその動きを止める。
「言葉が過ぎて失礼しました。そう慌てないでください。あなた方のステージはまだ先です」
「何……?」
「命が散る瞬間と言うものは何よりも美しい。その瞬間を提供し、魅せてくれる者たちに最大限の敬意を。そんな感情に、この美しい建物はぴったりだと思いませんか?」
そう言って笑う鬼が、人の皮を被った、底知れない何か別のものに思えたーー。
血が飛び、悲鳴が上がり、観客のどよめきが会場に満ちる。
リング上では人間と虎が対峙する中、剣を持った人間が勝負になる訳もなくその牙に沈む。
そんな様を、ある者は興奮し、ある者は怯えながらも楽しそうに、ある者はヤジを飛ばして安全地帯から楽しんでいた。
円形闘技場の中央にあるリングには魔法陣の効果があり、獣人たちは入ることはできても勝手に出ることができない仕掛けが施されていると鬼は言った。
「私たちは演者です。観客を楽しませ、飽きさせないためには、常に観客の予想を超える娯楽を提供する必要があります」
その長い指先を組み替えて、鬼はスーツのポケットに手を差し入れるとニコリと笑う。
「それなのに、演者の途中退場なんて、許される訳がないでしょう?」
ふふとその瞳に恍惚の色を滲ませて、鬼は笑う。
「お好きな時に上がって来て下さい。ただし、一度舞台に上がれば、降りられないことをお忘れなく」
そう言い残して消えた鬼の姿を思い出し、初音はジークと共にリングをじっと見る。
「……リングの四方にいる魔法使い、獣人や獣を下ろす時だけリングから手を離してるけど、関係あると思う……?」
「……関係はありそうだが、そんなわかりやすいことをするやつとは思えんな……」
ボソボソと話す初音たちは、突如として会場のざわめく気配にその顔を上げる。
「さぁ皆さまお待ちかね!! 初登場からその美しい顔立ちで世の貴婦人たちを虜にした鳥の獣人の登場です!!」
きゃー、死なないでー、私が飼うわー、そんな理解に苦しむ歓声が飛ぶ中、引き立てられ、リング上でその首輪と手足の枷を外された青年。
その風貌に獣の部分は見当たらず、黒をベースに白いメッシュの入った長い髪の奥に、紫の瞳だけが、灯ったーー。




