9.引き渡し
「あら、お早い降伏ねぇ。まぁこっちは手間が省けて嬉しいけど」
「人間ていい臭いですねぇ。食欲が刺激されて、今すぐむしゃぶりつきたくなりますよぉ」
「クロヒョウ、マジで腰抜けだなっ! マジプライドとかねぇのかよっ!? マジはっずかしーっ!」
「無茶言うものじゃないですよぉ、彼らだって一生懸命生きているんですからぁ」
洞窟の中ほどの場所。ヒャッハーと変なテンションで喚き散らすチンピラ……もとい男ハイエナどもを従えた女ハイエナはうふふと嬉しそうに瞳を細める。
後ろに控える男ハイエナどもは口が恐らくシカの血でべったりと濡れている上にタンコブをこさえている。
「……私は残るから、2人を外に出してあげて。2人は恩人なの。これ以上巻き込みたくない」
「いい心掛けじゃない、嫌いじゃないわ。私たちもクロヒョウ自体に用事がある訳じゃないもの。好きにすればいいわ」
そう言って女ハイエナが一声鳴くと、遠くの群れからも呼応するように鳴き声が返ってきた。
「……通すように言ってはおいたから、行ってもいいわよ?」
んふっと笑顔で、女ハイエナは初音の背後に立つ青年とアイラに目配せをする。
背後でジャリとわずかな音がして、初音がチラと振り返れば、アイラを抱えた青年が注意深く一足飛びに洞窟の闇に消えていった後だった。
「かわいそうに、置いてかれちゃったわね」
女ハイエナの言葉を信じて、今は無事に洞窟を出たことを祈るしかない初音の目の前に、女ハイエナの顔があって息を呑む。
「クロヒョウたちに何て言われたの?」
「……どういう意味?」
「私たちが言った話はぜぇんぶ脅しだって? ひどいことにはならないとか? 話せばわかるとか?」
女ハイエナが瞳を細めて面白がっている様を、初音は今にも張り裂けそうに速る心臓の動揺を出さぬように必死だった。
「残念ねぇ、私たち人間って嫌いなの。弱いくせに小賢しくて、自分たちの天下だと思ってる。だから、喋ったことはぜぇんぶ本当。あなたの運命は痛みと恐怖に泣き叫びながら情報を吐かされて、骨まで私たちに食べられる。……楽しみね」
そう言って獣の指先からヌッと突き出た長くて鋭い爪先が、初音の頬に赤い線を引く。生温かい液体が滑り落ちるのを感じながら、初音は女ハイエナから目を逸らすことが出来なかった。
「気の毒ですねぇ、本当に思ってますよぉ。怨まないでくださいねぇ」
「マジ不運でマジラッキーっ! あぁっ! 血の臭いがマジたまんねぇっ!」
想像以上の恐怖に、初音は身体の震えを止めることができない。
「……あの……っ……ぉ、お願いが……あるの……っ」
「あら、なぁに?」
ふふんと余裕の笑みを浮かべて初音を見下ろす女ハイエナに、初音は祈るように懇願する。
「クロヒョウたちに預けていた持ち物に……っ……母の形見があるの……っ……お願い……それだけ、探したくて……っ……多分、ここに来る途中にあったクロヒョウたちの荷物の中に……っ……帰り道に、少しだけ探させてもらえませんか……っ」
「…………ふぅん?」
腕を組んで身体をくねらせ尻尾を揺らしながら、その瞳を細めて女ハイエナは初音を見下ろす。
「……まぁ、いいわよぉ? 私優しいから」
「ぁ、ありがとう……っ!」
パッと顔を明るくさせる初音を見下ろして、女ハイエナはバカにしたように鼻先で笑う。
探させてやる訳がない。期待させて、泣き喚くのを引きずってやるだけよ。
そんな意地の悪いことを内心思いながら、ふふんと笑う女ハイエナに、男ハイエナどもは騒ぎ立てる。
「女神顔負けの優しさが眩しいですねぇ」
「マジ天使! マジ女神!」
男ハイエナどもが囃し立てながら初音を引き起こす。
女ハイエナが青年たちが消えた洞窟の先へ一声吠えると、初音へネットリとした、射殺しそうな視線を向ける。
「……暴れんじゃないわよ」
女ハイエナに鋭い視線で睨まれて、初音は恐怖から本能的に身体が硬直する。蛇に睨まれたカエルの気持ちが痛いほどわかった。
女ハイエナの指示で、マジマジうるさい方ではない男ハイエナに腕を前で縛られ、そのまま暗い洞窟を戻り歩く。
「……跳ぶよ」
軽い身のこなしで、女ハイエナが勢いよく流れる水音がする亀裂をヒラリと渡る。
さすが夜行性の動物であるためか、初音にはかろうじて見えるか見えないかの洞窟内も、青年たちと一緒で夜目がきくようだった。
「暴れないでくださいねぇ」
「マジジャンプっ!!」
言うや否やガシリと腰回りを掴まれて宙に浮かぶ感覚を感じた初音は、目を瞑って腹を決めると身体全身を使って死ぬ気で暴れる。
「ちょっ!?」
明らかに焦りを帯びた男ハイエナの声と共に、ずるりと腰から腕が離れる感触と、落下する感覚。
大きく吸った息を止める。何か騒ぐハイエナたちの声を聞きながら、次の瞬間に初音は暗い水の中に落下した。