63.譲れない
「お久しぶりねぇ、人間。私に手間を掛けさせたこと、後悔させに来てあげたわ」
「……知り合いか……?」
「一方的に付け狙われたことがあるだけ」
緊張を走らせて言葉を返す初音に、女ライオンはふむと頷くとその視線をハイエナたちへと向ける。
「情報提供は感謝しているが、この人間への勝手は許されない。アレックス様が気に入っている」
「あらそう、それは残念ねぇ」
大仰な手振りで頬に手を触れると、女ハイエナは眉尻を下げて、その瞳と唇を歪ませる。
「それなら尚のこと私の言いつけ通りにわざわざとその人間を攫って、クロヒョウに気を取られたどっかのマヌケが戻って来る前に、その人間を攫って逃げなくちゃぁ」
「ハイエナ風情がアレックス様を侮辱するか……っ!!」
うふっと笑う女ハイエナに、途端にぐるると牙を剥く女ライオン。
いやに余裕のある顔で笑うハイエナたちは、女ライオン1人に足でまといの初音まで連れているからか、全く引く気配を見せずににじり寄って来る。
「ちっ……っ!! おい、死にたくなければ私に掴まれ」
分が悪いと見たのか、女ライオンが初音の身体に腕を回し、軽い身のこなしで広めの洞窟の壁を使ってハイエナたちを飛び越えると、そのまま足を止めずに出口へと走り出した。
「どこに行くの……っ!?」
「死にたくなければ黙ってろ!!」
風のように走る女ライオンに連れられたまま、初音は周囲を見回した。
先ほどアレックスと対峙していた時とは違う景色に、洞窟を違う方角から出たということがわかり、素早く周囲へ視線を巡らせるも見知った姿はない。
「どうするつもり!? 合流するの!?」
「黙ってろと言っている!!」
はっはっと言う荒い息と大粒の汗が、早くも限界が近そうなことに気づいて、初音はごくりと喉を鳴らした。
一定の距離で追いかけて来ているハイエナたちの陣形にどことない偏りを感じられるのは、女ライオンをアレックスたちの元へ合流させないように動いているのだと予想がついた。
ーーこのままだと、下手したら捨てられる……っ!!
「ねぇ! あっちに行って!!」
「指図するな!」
「策がないなら協力して! 私もハイエナに食べられるのはご免だし、あなただって私を奪われたら困るでしょう!?」
「……ちっ!」
他に手がないと踏んだのか、女ライオンの獣人は初音が差し示した方角へとその方向を変えた。
「なんだ、1人で来たのか?」
ぞろりと女ライオンの獣人たちを引き連れて、岩山の上からアレックスが笑う。
対するジークは、ライオンたちが寝床として使っている岩山を1人睨み上げた。
「初音を返せ」
「はいそうですかと、返すとでも思うか?」
「御託はいいからさっさと返せ!!」
「おーおー、キレてんなぁ」
ははっと笑うアレックスに青筋を立てるジークは、その鼻先を掠めた臭いにピクリと反応して眉を寄せる。
「……ライオンのくせに、ハイエナとも仲がいいのか?」
「あぁ? 俺様があんなヤツらと仲がいい訳ねぇだろうが。向こうは俺様と仲良くしたいみたいだがなぁ」
ーー気のせいか、いや、だがあの臭いは……?
「ジークっ!!!!」
しゅんとその姿を美少年へと変化させたネロが、その銀に近い白髪をなびかせてジークの傍らに降り立つ。
「あぁ? なんだそいつは……」
「初音がいた!! この岩山の裏から、どんどん向こうへ側へ離れてる!! ハイエナたちに追われてるみたいで、早く行って!!」
「助かった」
「上から誘導する!」
「頼む」
その銀の髪をひと撫でして、ジークはすぐ様と走り出し、ネロも再びその姿を白いミミズクへと変化させて空へと舞い上がる。
「な……っ!?」
あれよと言う間にその存在を完璧に無視された上に、その場に取り残されたアレックスは、すでに遠ざかっているジークの背中をしばし呆気に取られて見つめた。
ザワザワと戸惑う女ライオンたちに視線を移し、ちっと舌打ちするとアレックスは叫ぶ。
「ぼやぼやするな! 追いかけるぞ!! あの小僧を、絶対に俺様よりも先に初音の元へ行かせるな!!」
言うが否や駆け出したアレックスに続く女ライオンたち。
「あの小僧っ!! どこまでも気に食わんやつだ……っ!!」
ギリと歯を噛み締めるアレックスの瞳は、怒りに打ち震えていた。
「こんな、ところに来て、どうするつもりだ……っ!?」
はぁはぁと洗い息を吐く女ライオンに抱えられたまま、初音はようやくと辿り着いた水辺に足をつけた。
「……ありがとう、ここまで運んでくれて」
いくら獣人とは言え、女ライオンの体格差で初音を運ぶのはひどい労力だっただろうと、初音は心から感謝した。
「……あなたの足なら、怪我さえしなければ逃げられるとは思うけど、気をつけて。あと、小回りが効かないはずだから、ぐるぐる回って撹乱するか、直線に向かって来るのを横に避けるようにして。……ただ、獣人についてはわからないの。ごめんなさい」
「何ーー」
心細そうに、それでもにこりと笑う初音に女ライオンは眉根を寄せる。
「あら、追いかけっこはもう終わり?」
ふふんと鼻を鳴らして笑う女ハイエナの声に、初音と女ライオンが視線を向ける。
獣の素養を残した女ハイエナを筆頭にした獣人が3人と、ブチハイエナそのままの獣型が数知れず。
初音たちを円状に、水辺へと追い詰めていた。
「あんた本当にむかつくわ。人間のくせに獣人に取り入るのがうまいようで、ほんとこんな小娘の何がいいのかしら」
はっと鼻を鳴らして吐き捨てるように顔を歪める女ハイエナは、ニヤリとその唇を歪める。
「……なんで私にこだわるの……っ!?」
「こだわる?」
ジリと距離をとりながらかけた初音の言葉に、女ハイエナはしばしキョトンとすると、大きな声で腹を抱えて笑い出す。
「とんだ思い上がりね。あんたなんかにこだわる訳ないじゃない。そうね。強いて言うならただ気に食わないだけよ。人間のくせに獣人といるのも、弱いくせにうまいこと守られてるのも、私たちからうまいこと逃げ仰せたのも、私のエサだったくせに元奴隷の国で楽しくやってるのも、何もかもね!!!」
「こ、こだわってるじゃない……っ!」
どうしてそこまで不興を買っているのかわからないほどに、苛立った様子の女ハイエナに初音は後退った。
「あんたの血の匂いを覚えてる。あんたはあの時点で私のエサになるって決まってるのよ……っ!!」
「……悪いけど、私はあなたたちに食べられるつもりはないの」
感情を露わにする女ハイエナとは対照的に、初音は静かにその姿を見据えた。
「この状況で夢でも見てんのか!?」
がぁと牙を剥く女ハイエナの様相にいくらか引いている他のハイエナたちを眺めながら、初音はその耳元に届いた水音に唇を歪ませる。
「私はジークと、この世界で生きるって決めたから」
ザバァっと大きな水音と共に盛り上がった、初音の背後の大きな影に、ハイエナたちは見開いた瞳と大きな口で声もなく後退った。




