55.それぞれの
コツンと小さな音がしたことに、フィオナはその顔を上げた。
自室の椅子から立ち上がり、窓辺へと駆け寄る。
覗いた窓の外に見えた小鳥の姿は、フィオナが現れたことでバサバサと慌てふためきその場から立ち去った。
「……っ!!」
窓脇に置かれた1通の封筒を見つけたフィオナは、顔色を変えてそれに飛びつくと、封を開けることすらもどかしい様子で手紙を破り読む。
「…………ライラ……っ」
手紙はギドからのもので、奴隷の国での簡単な顛末と、ライラの消息が未だ不明で、引き続き捜索は続けていることなどが簡潔に書かれていた。
「ライラ……っ!」
ぐしゃりとその手紙を震える手で握り締めて、フィオナは顔を覆う。
「ライラ……っ!!」
声を押し殺して1人鼻をすすり上げるフィオナは、扉の外から静かに覗き見る視線に気づかない。
「それは本当か? そのクロヒョウとやらが魔法を使えるようになったのはその人間の女のおかげだと?」
「そうですわ、我らが王」
夕焼け空を背景に岩山の頂きでふんぞり返る、赤を帯びた茶色の長髪に黄色を帯びた茶の瞳をもつ体躯の大きな若い男。その周囲には獣の素養を残した何人もの女を侍らせている。
緊張の面持ちながら渡り合う女のハイエナと、縮こまる男のハイエナ2人をその鋭い瞳で見下ろして、気のない素振りで頬杖をついていた男は視線を横へ向けた。
「で、それはなんだ」
「情報源、兼、協力者ですわ」
ふっとその赤い唇に笑みを乗せた女ハイエナは、ボロ雑巾と思って踏んでもおかしくない様相の茶色い蛇を見下げてその鼻を鳴らす。
「コイツ以外にもすでに何人か紛れさせてありますから、我らが王が国を獲る日も近いでしょう」
「ほう……?」
「人間と獣人の共生などと、甘えたことを吐くクロヒョウと人間などに、好き放題されてよろしいのですか、我らが王よ」
ニヤと笑う女ハイエナを見下ろし、しなだれかかる女たちを雑に引き離して立ち上がると、男はニヤリとその口を歪める。
「おもしろい。その話しよく聞かせろ」
「もちろんです」
ーー人間のくせに私をコケにしたあの女。絶対にただでは済まさない……っ! 必ず生きたまま骨までしゃぶり尽くしてやるんだから……っ!!
腹の中の煮えたぎる感情を一切と外には出さず、女ハイエナはその口元をあやしく歪めた。
「獣人の国とはなんだ」
「ピストの国が壊滅したらしい」
「向こうには奴隷上がりの人間もいるらしいぞ」
「魔法の使える獣人だとか」
「ここ一連の事件もそいつらの仕業か」
「まさか我らに復讐しに来るのではあるまいな」
「束になった獣人など、相手仕切れないぞ」
「どうするんだ」
「どうなってるんだキサラギ!!!」
この世界を統べる人間の王族関係者及び高位貴族の視線が、その部屋の入り口近くに立つ男ーー鬼に向けられる。
髪をオールバックに、凍てつくような鋭い視線の中年に差し掛かりそうな鬼は、にわかに騒ぎ出す面々へニコリとその顔を向けた。
「ご心配とご心痛、ご不安をお掛けして申し訳ございません。此度の事態は私としても驚いてはいるのですが、ご心配には及びません。相手は所詮ケモノ風情。我ら崇高な人間に敵う相手ではありません」
「し、しかしだな、現にピストの街は……っ」
「……はい。ですから、お約束いたします。私の全資金、資産、武力をもって、やつらを完膚なきまでに叩きのめしてご覧にいれましょう」
そう言って、ニコリと笑むその裏で青筋を浮き立たせた鬼はその口を歪める。
「もう二度と、反抗する気さえも起きぬよう、徹底的に」
「………………」
いつの間にか奴隷業でその地位を築き上げて成り上がっていた鬼の底知れぬ気迫に、その場にいた者はゴクリと喉を鳴らして黙り込んだーー。
目を閉じている時だけ、その姿が浮かぶようだった。
空に昇る太陽のような光り輝くウェーブの掛かった髪と、静かで幻想的な湖面のような碧のよく笑う瞳。
時折哀しそうに伏せられた瞳の意味は、離れ離れになったあの日に、嫌と言うほどに理解した。
明るく、元気で、優しくて可愛いキミは、ひどい扱いを受けて泣いていないだろうか。
「……フィオナ…………」
首と手足につけられた鎖が不快だった。
我が物だったどこまでも続く大空は、今や翼を広げるどころか、好きな時に見上げることすらも叶わない。
伸びた髪の間から覗く紫の瞳は、祈るように閉じられる。
光の届かない石に囲まれた檻の中で、ライラは小さな友人の姿を夢に見ながら静かに眠りについたーー。




