53.過去と今
「ギドさんは、なんでそんなに私を気にかけてくれるんですか……」
ぽつりとつぶやいたアスラの言葉に、胴元の施設内で小休止していたギドが顔をあげた。
治安を維持するために作られた、種族をあえて混ぜた自警団。
その頂点はジークが担うも、各種族の筆頭代表としてギドと白虎。その補佐としてアスラと白狐のヘレナがその他の者たちを統率、指揮していた。
そんな忙しい毎日の中で、ついついと聞きそびれていた疑問をアスラは口にする。
誰もが忘れることのないであろう奴隷の国の変革が起こったあの夜。
アスラがジークの首を縦に振らせて初音を助ける計画を共有し、ジークの影でアスラが単身潜入したその直後。
物陰でごくりと喉を鳴らしたアスラの肩を叩いたのが、ギドだった。
いるはずのないその姿にしばし呆気に取られたアスラに、言葉少なに続けられた【協力する】と言うその言葉はアスラを更に戸惑わせた。
「だいたい、何でギドさんがこんな所にいたんです。まぁ、助かったんですけど……」
魔法に関しては優秀な部類としても、物理的な技量はいまいちだと自覚があるアスラにとって、その存在は予想外でも心強いことこの上なかった。
現に多勢に無勢のあの状況で、ギドの存在はひどく大きかったと言わざるを得ない。
眉根を寄せるまだ若い青年を眺めて、ギドはふっと口元を緩める。
「目的地がこの国であるのはわかっているのだから、先回りして人の出入りを見張っていた。ただそれだけだ」
「いや、だからって何でギドさんまで? 私とは違ってギドさんは雇い主たちともうまくやっていたのに……。自分の個人カードを使ったら足も残るし、うまくいったから良いものの、そんなこと百も承知でしょう……」
困惑に困惑を重ねるアスラの顔を見上げて、ギドはふっと笑ってアスラの頭をぐしゃりと撫でる。
「…………この上なく心細そうで、ほっとけなかっただけだ」
「……は、……はぁっ!?」
顔を赤くして目を見張るアスラを横目に、ギドはそのまま横をすり抜けて歩いていく。
かつて魔法が使える故に、タチの悪い輩に奴隷さながらに扱われていた小さな子どもを助けたことがあった。
当時はギドもまだ若く自分のことで精一杯で、何より助ける以上のことをする道理も余裕もキリもない。
「……俺、あんたみたいに、人を助けられるヤツになるから……っ!!」
別れ際に涙ぐんだ言葉と共に、明らかに劣悪な環境でも光を失わなかったその瞳は、次に会った時にはまるで泥のように黒く澱んでいるようだった。
身寄りも、後ろ盾も、力も何も持たないただの小さな子どもを、明らかな悪意から救った。
それだけでも十分なことであるとはわかっていた。
けれどそんな非力な子どもに本当に必要なのは、継続的に粘り強く側にいて、サポートしてくれる存在なのだとも、わかっていた。
禍根は消えない。過去も変わらない。それでも不確かながら自らの力で居場所を得て、その瞳に再び光が灯ったことが、ギドはただ、嬉しかったーー。
「帰れ! 帰れ! 何度言ったらわかる! 俺をあざ笑ってんのか!! お前の顔なんぞ見たくもない!! 帰れ!! この偽善者が!!」
「………………ここに置いておくので、良かったら……」
国の中でも外れた場所にある小さな小屋で、片手片足のイタチの獣人が騒いでいた。
「…………っ」
わざわざと集めでもしたのか、投げつけられる石や枝が、食べ物や日用品を入れたカゴを地面に置くアスラの頭を掠め、そのうちの1つに鋭い痛みが伴う。
そっと触れればぬるりと赤い血がついた手を、アスラは無言で見下ろして握りしめると、頭を深く下げてその場を後にした。
そんなアスラの視線の先に現れた影に、アスラははっと顔色を変えて立ち止まる。
「……悪いな、なんて言うか、こう、変なところ……見せちまって……っ」
現れた白狐のヘレナに無言で流れる血を指し示され、戸惑いながらもその手当てを受けながら、アスラは落ち着きなく視線を彷徨わせる。
本当は、わかっていた。
グリネットたちをクズだクズだと悪者にする一方で、自分の非はどうしようもないことだったと目を背け続けていたことを。
わかっていた。
綺麗な人たちと一緒にいることで、自分も綺麗になれたような気分でいただけだと。
平易な道でなかったのは事実でも、アスラと同じ道を選ばない者はきっといた。
それが綺麗事でも、人に馬鹿だと笑われようとも、初音やジーク、ギドならきっと、選ばなかっただろう道だと、わかっていた。
少しだけ踏み外した足は思いの外楽で、魂を売ったのは紛れもない自分。
他者を傷つける道を選んだのは、誰でもないアスラ自身だと、わかっていた。
「………………」
「………………」
自警団に所属するアスラとヘレナは、更に各々が人員把握と役割配置にも従事しているために話すことも多かった。とは言え、業務以上の私情にまで口を出すことは互いにほぼないと言ってもいい。
そんな重苦しい沈黙に、アスラが耐えきれずに口を開こうとしたその時。
「……私も……長らくと人間の手の内でしたから、正直に言えば人間が好き……と言うわけではありません」
「…………っ」
ヘレナが暗い影を落とす顔でぶるりと身体を震わせるのにハッとして、アスラは唇を噛んで拳を握り締めると同時に、地面に視線を落とす。
「初音様は……また違いますが、私から見ればその他は皆似たようなものです。直接的な因縁があれば別ですが、その程度の差しかありません」
「………………」
静かに紡がれるヘレナの声を、アスラは顔を上げないままに聞く。
「……ですが、私は、私の信じるお2人が信用したアスラ様を、信じるつもりでおります」
「…………は……?」
聞き間違いかとそっと顔を上げるアスラを、ヘレナはその赤い瞳で真っ直ぐに見る。
「……広場での騒動も、ここに至るまでのお二人との経緯も伺いました。慰めのつもりではありません。……ただ、この国の行末にも、私たち獣人にとっても、アスラ様は必要な支柱となる気がするのです」
「…………なに……っ……んなわけ……っ」
きゅぅと締まる喉を自覚しながら動揺して視線を揺らすアスラに、ヘレナはふっとその表情を和らげる。
「……アスラ様の為に言っているのではありません。……むしろ、私はアスラ様にとって酷なことを期待しています。ジーク様と初音様がこの国の【共生】を象徴する存在であるのなら、アスラ様は【その道筋】だと思うのです」
「……道……筋……?」
「自分可愛さや、心の底からでない見せかけの誠意や謝罪が、赦されるはずもありません。かと言って、真に心からの謝罪でも、赦せることばかりでもありません。……それでも、アスラ様のその姿勢は、この先、この国の皆の指標となり得ることを、私は期待したいのだとーー」
「…………やめてくれ、……私なんかに……っ!!」
ヘレナの言葉を遮って、青い顔でぶるぶると震えて俯くアスラをそっと見やり、ヘレナはその肩にそっと触れる。
「…………勝手を……言い方を誤り、申し訳ありません。アスラ様を追い詰めたかった訳ではないのです」
「………………っ」
そっと囁かれたヘレナの言葉に、アスラはその顔を上げられない。
「アスラ様とお仕事を共にする時間を私は楽しく思っています。人をよく見ていて、人の感情に繊細で、助けが欲しい時にその手を躊躇なく差し出してくれる。過ごした時間は短くはありますが、私は折に触れそんなアスラ様の優しさを近くで見てきたと思っています」
不安だらけの人々の容態を確認しながら人員管理をし、適材適所へと促しながらフォローにも入り、その感情をも汲む。
混乱と疑念と憔悴と不安だらけの状況で、それがどれだけ大変か。その配慮には、もちろんヘレナへ対する気遣いも含まれていた。
浅く繰り返される息が一瞬止まり、しばしの後にそっと上げたアスラの瞳に映る、ヘレナの赤い瞳。
「私がこれまでに知り得た関わりのすべてを経て、私はアスラ様を友好的に見ています」
丸く見開かれたアスラの瞳に、ヘレナの赤い瞳がそっと笑いかける。
「微力ではありますが、こう考えている者が他にもいると、知っておいて頂きたかったのです」
「……………………どいつもこいつも……人が良すぎる……っ」
ギリと唇を噛み締めて、アスラは無言で顔を背ける。
「……………………あり……がとう……っ」
青空の木漏れ日の下で小さく震えるその肩を、しばらくの間ヘレナはただそばで見守った。




