50.すき ⭐︎
「アイラか……っ」
部屋に入って初音の姿を見るなり、はぁと片手でその顔を覆い逸らすジークに、初音は眉を八の字に下げて思わずハハハと苦笑する。
「ご、ごめんね、疲れてるとこ……っ」
奴隷の象徴であった胴元の施設は取り壊しの予定ではあるも、その規模と警備のし易さ、設備の充実さによってその取り壊しは後回しとなり、現状は解放に主だったメンバーが住まう場所となっていた。
治安がまだまだ安定しない以上、万一のことがないようにと初音とジークはいつも一緒で、それは寝る場所も同様だった。
そもそもこれまでも樹上などで互いに暖を取りながら寝ていた手前、周囲からの流れで割り当てられた綺麗で広い部屋に2人で住まうことに、初音の気持ち的な抵抗感はない。
その一方で、一緒に寝る必要はもうないだろうと追加でベッドを運び込み、初音を扱う優しさや丁寧さは変わらないにも関わらず、以前の様に気安く触れてくることがなくなったジークに初音の困惑は募っていた。
どきどきとうるさい胸を必死に鎮めながら、初音はひどく頼りない薄い夜着の上に羽織った上着を引き寄せて、自身の髪を耳へと掛ける。
「……いや、別に……そういう……ことでは…………っ」
顔を覆っていた手でそのまま前髪をかき上げたジークは、眉間にシワを寄せたままにチラリと初音へ視線を移す。
その視線を受けて、初音は緊張した面持ちでその金の瞳を見返した。
なんとも言えない時間が2人の間を過ぎて、ジークははぁと大きなため息を吐いて脱力すると、そのまま初音の座るベッドの隣へボスンと腰掛ける。
ベッド越しに伝わるその振動に、初音の心臓はいとも容易く跳ね飛んだ。
ジークの態度に悩む初音にアイラがどこからか持って来てくれた衣服とは言え、今更ながらにやり過ぎて引かれていやしないかと不安になる。
誰がどう見ても《《その先》》への意思表示をしているに足る現状に、初音の変な汗は止まらない。
「……アイラの言うことをいい加減間に受けるな。アイラはとにかく感情で動くから、振り回されてると身がもたない」
ベッドに隣同士、横で気まずそうに明後日へ視線を流すジークを見上げて、初音はゴクリと喉を鳴らす。
「……違うよ、ジーク。アイラちゃんは私の相談に乗ってくれただけで、振り回されてなんかいないよ」
ぎゅっと掴まれた自身の服の袖に目を見張って、ジークが初音の顔を見る。
「………………言ってることと、やってることの意味を本当にわかってるのか……?」
「………………わかってる……つもりだけど……っ」
何かものすごく深刻そうな顔で穴が開きそうなほどに初音の顔を凝視するジークに、初音は困惑する。
「…………会った時とは、状況も環境も違う。初音は人間で、俺は獣人だ。……共生ができたとしても状況が大きく変わった今、わざわざ俺を選ぶ必要はなくなったはずだ」
「…………ジーク?」
先ほどまでいくらかは感じていた甘い空気が嘘のように、目を丸くする初音にジークは微妙に距離を取りながら、至極真面目な顔で続ける。
「……何もわからなかった時とは違うだろう。初音は居場所も力もなく、たまたまそばに居た俺に頼る他なかっただけだ。……本来なら人間は人間、獣人は獣人同士でいる方が、障壁は少ない」
「…………」
「……心配しなくても、初音が誰を選んでも、俺を必要とするのならこれまで通りそばにいる。ここまで来て投げ出すつもりはーー」
「どうしてそんなこと言うの」
ぎゅうとその服の袖を握りしめて初音が口を開いたことに、ジークは口を閉じる。
「私が好きなのはジークだよ。獣人だとか、人間だとか、ジークがどっちだって関係ない。私はいつだって優しくて、お人よしで、カッコよくて、いつも自分を後回しにしても人のことを考えて動いちゃう、そんなジークだから好きなんだよ。……もちろんジークが、もう私に付き合えないと思うなら、……それはしょうがないことだけど……」
「ちがう」
会話の半ばで、袖を握りしめていた初音の手が握り返される。
そっと顔を上げた初音を、見たことがないような憂いを帯びた金の瞳が見返した。
「ちがう、……が、本当にわかってるのか……? これ以上は……もう……なかったこと……には…………っ」
「……それは、私のセリフだよ。遠くに行きそうなジークに焦って、アイラちゃんに泣きついたのは私なんだから」
困ったように苦笑して、初音はぎゅうとその身体に身を寄せる。
「1人だった私を見つけて、助けてくれて、守ってくれて、ありがとう。……ジークがイヤじゃないなら、前みたいに私のそばにい……っ」
気づいた時には、初音はそっと唇を塞がれていた。
「ふ……っ」
そのまま、徐々に噛みつかれるような、食べられそうな勢いのそれに翻弄されて、初音の身体が瞬時にそれを受け入れるように変化していく。
「……ほんとに、……いいんだな……?」
今にも触れそうな瞳の距離で、互いの息遣いが混ざり合う中、未だ迷いを拭い去れない様子のジークに初音は笑う。
「ジークが、いい」
ジークの首筋に両腕を回して、抱きしめながら唇を深く合わせる。その少し硬くて長いダークグレーの髪が、愛しい。
はっと荒い息の中でジークの触れる大きな手が気持ちよくて、触れられた場所から広がる感覚が鳴り止まない。
「……本当は、もっと早くこうしたかった」
初音の見上げた金の瞳が揺れ動く。
「いなくならなくて、よかった」
頬に添えられたジークの両手は優しい一方で、有無を言わせない気配だった。
「初音のそばにいたのが、俺でよかった」
熱に浮かされたような、見たこともない顔をしているジークが可愛いくて、初音は思わずキスをする。
「初音が、好きだ」
そっと囁かれた少しかすれた言葉に、初音の全身が反応する。ベッドのきしみ音に紛れた唇は、静かに深く深く重ねられたーー。




