49.展望
「え? お兄がお姉を避けてる気がする?」
ジークと同じダークグレーの長い髪を頭上で器用に巻き留めて、出会った頃より身体的にも精神的にも成長したアイラ。
鼻とヒゲと手足は元より、耳と尻尾のクロヒョウの素養は変わらないまでも、弟3人のお姉さんとして随分と大人びてしっかりした印象になっていた。
「えー、そんなことあるかな? あのお兄だよ?? ヘレナさん的にはどぉ?」
「……そうですね……」
容赦なく振られたアイラからのパスに臆することもなく、白い耳と尻尾を持つ、まとめた長い銀髪に赤い瞳の美女ーー白狐のヘレナは薄っすらと微笑む。
「私から見ても、初音様とジーク様の仲に分け入るのは相当に難しそうに伺えますが」
「いや、うん……、や、ほら、目が回るくらい忙しいし、こ、好意? は、もちろん感じてはいる……んだけどもね……?」
自然を模した大浴場の大きな露天風呂で、獣人の2人はタコの様に赤い顔で湯船にぶくぶくと沈む初音を見下ろした。
久しぶりに会ったアイラとヘレナの3人で、まったりお湯に浸かろうなんて話しになったと思ったら、アイラの何気ない質問からあれよあれよとこんな事態になっていた。
「ふむふむ、わかったよぉ。そう言うことならこのアイラにまっかせてよねぇ!!」
えっへんと謎に胸を張って満面の笑みを浮かべるアイラを、ヘレナは微笑んで、初音はいくらか心配そうに見つめる。
あっと言う間にのぼせそうになりながら、初音は夜風が頬を撫でる月夜をゆっくりと見上げたーー。
奴隷が解放されたピストの街の噂は、瞬く間に大陸中へと種族を関係なしに余すことなく広がった。
青空の下、騒がしく賑やかで、草食と肉食の動物、獣人と人間がひと所に存在する。
そんな多種多様の姿をアイラは横目に眺めながら、その大通りを歩いていく。
人員の把握に采配。建物の補修や、奴隷を連想させるものの破壊と再建、住宅の整備。食糧を主としたインフラ整備に、住民同士のいさかいの鎮静化と、国外の人間と獣人への対応。
ピストの街と言うこれ以上ないほどの地盤がある一方で、そこに存在する禍根は海よりも深く、アイラがぼんやりと考えるだけでも問題は山積していた。
生き残った人間と、奴隷だった人間。奴隷だった獣人や獣と、解放に加わった獣人と獣。
ひとまずの事態が落ち着いて、大きな広場のひと所に集めた皆にジークが台の上から告げた言葉は、これ以上ないほどに明確である一方で皆をたじろがせるには十分だった。
「奴隷の国は今日をもって終わる。今後、この国は他を虐げることなく、互いに共生するために協力をする道を模索するつもりだ」
「この国とその周辺一帯は、狩りをはじめとした争いを一切禁止とする」
「去る者は追わない。来る者も可能な限りは拒まない。ただし、この地で人間と獣人と獣の共生である大前提を崩す者には、容赦はしない」
「一筋縄ではいかないだろうし、大変なはずだ。だが今こうして皆がこの国で知らぬ顔の隣同士、俺の話を聞いてくれていることが奇跡なら、ここにいるのも何かの縁。夢物語の続きに、手を貸してもらえたら嬉しい」
そんなジークの言葉に顔を見合わせた者たちの表情は、もちろん様々だった。
その迷いに追い討ちを掛けたのが、片手足を失ったイタチの獣人の言葉。
「そこにいる魔法使いのせいで、俺は長らく奴隷を強いられた!! 個人の恨みに口を出さないというのなら、その魔法使いを今すぐ俺の目の前に膝まずかせろ!! すべての話はそれからだ……っ!!」
群衆の中で、まるでその心理を煽動するように騒ぎ立てたイタチの獣人を見すえたジークは、その背後で皆と共に青い顔をして言葉もなく俯くアスラを無言で顧みる。
「……事実か?」
「…………た……ぶん……っ」
言葉少なに聞いたジークに小さく答えたアスラの顔を眺めて、ジークはイタチの獣人へと再びその口を開く。
「俺の家族も長らく人間に捕まっていたし、捕まりかけた。あなたの感情は理解できるし、それを否定もしない」
ぎゅっと拳を握りしめて唇を噛むアスラを、初音とギドが横目で見る。
「けれど悪いが、この魔法使いは渡せない」
「魔法使いの味方をするのか!? 獣人のくせに、人間に魂を売って迎合するつもりか!? よく見れば獣人のくせして、あんたの周りは人間だらけだもんなぁっ!!」
目を地走らせて騒ぐイタチの獣人をつとめて冷静に見つめると、ジークはその合間を縫って口を開く。
「この魔法使いがいなければ、今頃は俺も奴隷の身になっていた。それほどに、この魔法使いの功績は大きい」
「過去に何をしてたって、許すっていうのか!? お前の家族が同じことをされても、同じことが言えるのか!?」
「お、おい……っ!!」
明らかにヒートアップしてきたイタチの獣人と、それに煽られた広場の空気に顔色を変えたアスラが口を挟もうとするのを、ジークは無言で制する。
「人間としてのすべての地位と居場所を捨てる覚悟で、何も持たない俺たちに協力した《《今の》》魔法使いに、俺が助けられた事実は変わらない。その恩人との約束を反故にしないことは、ここにいる皆の不安を治めることでもあると思っている」
「…………約束?」
「あぁ、3食フルーツ護衛付き。約束通り、俺はこの魔法使いに居場所を提供する必要がある」
ふっと笑うジークに、言葉を失ったアスラがその唇をぶるぶると震わせて俯いたその背中に、初音とギドが両隣からそっと触れた。
「それがなんだって言うんだ!? 皆んな聞いたか!? つまりは人間側ってことだろう!?」
鬼の首でも取ったかのように同意を求めて騒ぎ立てるイタチの獣人に、ジークは金の瞳を細める。
「どう思ってもらっても構わないが、俺は俺の守りたいものを守った結果としてここにいる。そのために手を貸してくれた者を、見捨てるつもりはない。……さっきも言ったはずだ。去る者は追わない。これ以上の話をするつもりもない。納得ならないのなら、今すぐこの国を去ってもらって構わない」
「なん……っ!?」
「……あなたの気持ちを汲めないことには、申し訳なく思っているーー」
結果として見れば、生き残った人間の大部分は蜘蛛の子を散らすように国を去り、奴隷だった人間の大半は不安気ながらも国に残ることを選んだ。
パピーミルから縁のあった獣人や獣たちの大半は残る意志を示したものの、奴隷だった獣人や獣たちの半数近くは国を離れることを選んだ。
早い話し、離れることを選んだ者には自身で居場所を手に入れる力があり、残った者たちの大半はその力がない者たちという、消極的な理由が透ける結果であることは火を見るよりも明らかだった。
とは言え比較にならないほどの大所帯となったのは事実で、ジークたちは対応に追われて日々を忙殺される。
アイラ一家がジークによって国へと呼び寄せられたのは、そこから更に後の話しとなり、当面の目処がつきはじめた後に遅ればせながらそんな話しを聞かされた。
ーーそれでも、きっと大丈夫。
トンと地面を蹴って、アイラはその長いダークグレーの髪を青空に吹き抜ける風に揺らす。
建材を持ち上げる象を主とした大型の獣人たちと協力する、人間や中型の動物たち。小動物や獣人と、軒下で草木や果物について話す人間たち。
その誰もがどことないぎこちなさを抱える一方で、互いに共生をする道を試行錯誤するその表情や空気は、明るく活気に満ちていた。
ーーぜったいに、大丈夫。だってこんな光景、誰も想像すらしてなかったんだから……っ!!
ふふっと1人、アイラは胸にじわりと広がる感情に笑みを溢す。
賑やかな街並みを抜けて、以前はこの街の象徴の1つであった胴元の施設の入り口に、見知った黒髪を見つけてアイラは満面の笑みで手を振り上げる。
「あ、スオー!! お兄とお姉、知らないっ?」
そんなアイラの声に反応した黒髪の青年ーー蘇芳は、ぼんやりとして感情の見えない黒い瞳を静かに向けたーー。




