45.転換点
パキンと音を立てて、初音の首から外れた首輪が床へと落ちて鈍く弾む音が響く。
「男と女を引き離して悦に浸るなんて悪趣味が過ぎて、どこからどう見たってお前の方が悪役なんだよ……!」
「は? 人……間……?」
目を見開いて予想外の事態を必死に理解しようとするバイパーに構わず、胴元施設の魔法使いに扮したアスラが初音につけられていたはずの革製の手枷も放り投げた。
「人間も獣人も、もうどうっでもいい! 力で人を従わせるやつも、他人を踏みつけて何も思わないやつも、人を傷つけて笑える腐り切ったやつも、心底ウンザリだ! そんなヤツらに利用される自分にも、いい加減虫唾が走るんだよ! あまりのクズさに踏ん切りつけるのに丁度よくて助かったわ!!」
「ア、アスラさん……っ」
ふとした瞬間に落ちそうになる変なテンションを維持すべく、何かに取り憑かれたように捲し立てるアスラ。
そんな様子を乱れた様相で見上げた初音を横目で見ると、アスラはその身体を無言で自身へと引き寄せた。
「外すのに時間かかっちまって悪かったな! 《《こっちは気にせずに》》、辛酸舐めさせられた借りは、きっちり返してきな!!」
「つ、捕まえろ!!」
叫ぶバイパーの姿は、その足元から巻き上がる焔の渦に飲み込まれ、焔はそのまま天井を貫いてけたたましい音と共に夜の空へと立ち昇る。
初音とアスラを遠巻きにしていた魔法使いと護衛が、事態の変化に困惑しながらもバイパーの命令に従い、2人に接近しようとした次の瞬間。
ガキンと言う音と共に剣を持つ1人の護衛に立ちはだかれて、吹き飛ばされたことに周囲が後退った。
「ギドさん……っ!」
護衛に扮して紛れていたギドが、無言でその口元をそっと緩ませる。
「色んな意味であんたは《《私たち》》の生命線なんだから、人にかまけて自分が捕まるなんてヘマ2度とすんなよ!!」
初音の肩に自身が着ていたローブを掛けながら、アスラがふっと笑みを浮かべる。
「解放する約束、きちっと守ってくれてありがとな」
「わ、私のセリフです……っ」
安堵からじわりと滲む瞳で見上げる初音の頭を、アスラはぐしゃぐしゃと乱雑に掻き回す。
「ほんと頼むぜ、あいつ、マジでおっかねーからさぁ……っ!」
ため息混じりに口の端を引き攣らせて視線を移したアスラに、初音とギドが思わずと笑みを溢したーー。
ずしゃりと床に散らばる瓦礫を踏み締める足。その金の瞳がチラつく焔に揺れ照らされて、燃えるような色を纏う。
ゆらりとその身体を揺らして無機質に眼下を見下ろすジークを、バイパーは尻もちをついたままに目を見開いて呆然と見上げた。
「……人のことをケモノケモノとよく回る口だったが、やはり俺と《《同類》》だったか」
周りを躍る焔とは対照的に冷たく凍えるような金の瞳に睨まれて、バイパーは血の気が失せた顔で床に尻をつけたままに後退った。
パキパキとバイパーの肌から剥がれ落ちるその氷の下には、びっしりと覆われた茶色い鱗が光る。
「な、なん……っ!?」
「ギリギリで防いだようだが、熱いのは苦手なようだな、爬虫類。顔色がひどく悪い」
ふっとその口元を凶悪に歪めて、金の瞳でジークが笑う。
「なん……で……っ!? どうして、ありえない……っ!!」
目を見開いて青い顔でわなわなとその身体を震わすバイパーを、ジークが冷たく見下ろした。
「お前みたいなやつ、何をしたってきっと死んでもわからない」
ダークグレーの細い尻尾が揺れて、立ち昇る焔をその身にまとったジークが一歩近づく。
「くるな……っ!!!」
はっはと浅い息を繰り返しながら、バイパーが余裕のない顔でずりずりと後退る。
「くるな!!!」
ごうと再び巻き上がった焔に目を見開いて叫んだバイパーの周囲で、構築された氷の光が舞い踊る。
「くるなぁぁぁぁっ!!!」
その絶叫に近い叫び声を合図に両者の力がぶつかり爆ぜて、一度ならず二度までもその荘厳な建物を大きく揺らす。
夜の闇を切り裂くように奴隷の国全体を明るく照らして立ち昇る炎柱を、国中の数え切れない瞳が言葉もなく見届けていたーー。




