44.腹を括れ
「動物たちが狩られている時に、アスラさん、すごい辛そうな顔をしていたように見えて……。見たくない。加担したくないって、私にはそんな風に見えました。だから、アスラさんに知識がありそうだったと言うのもありましたけど、それ以上に、私たちにとって1番信頼ができそうな人だと思ったんです。だから、アスラさんに甘えてしまいました。……巻き込んでしまって、ごめんなさい」
そう言って寝床を整えるのを手伝ってくれた、フードに隠れたその口元が申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。
その時の感覚が、忘れられなかった。
風が吹いて、雲の隙間から光が漏れ落ちるように、周囲が明るくなって、胸をつく何かの感覚を覚えている。
バカみたいだと、わかっていた。耳障りのいい言葉で懐柔されているだけだと、利用されているだけだと。
本気で信じるなんて、愚か者だと、わかっていた。
わかっていたけれど、その何気ない言葉と扱いが、どうしようもなく嬉しかったんだと、気づいてしまった。
「あの鬼畜野郎もよほどわいてたが、私の頭も相当なもんだったな」
短期間に色々あり過ぎて、自分の精神が平常とは違う高揚感を伴っていることには気づいていたが、気づかないふりをした。
1人ふっと笑ったアスラはローブを剥ぎ捨てて、両手で顔を覆うとギュッとその瞳を閉じて暗い路地裏で小さく縮こまる。
「……腹を括れ、腹を括れ! ほっとけなくて、助けたいなら、やれることを探すしかないだろ……っ!」
異世界人で、若い女で、奴隷になった人間の行く末なんて、碌なものでないくらい考えるまでもない。
捨てきれない理性で、緊張に跳ねる心臓がうるさい。面白いくらいに震える指先が笑えた。
「お前はたった1人でも、ここまでこれただろう! 何とかなる、何とかできる! 最悪、国外逃亡でもすればいい!」
軽くヤケクソになりながら、自分に言い聞かせる。
1人口にしてぎこちない笑みを浮かべると、アスラは息を大きく吸って吐いて立ち上がった。
「今までで1番やりがいのある仕事としては、悪くない……っ」
そう言い置いて、ローブと拘束具を暗い路地裏に残したアスラは、明るい夜の街へと踏み入れる。
そんな姿をひっそりと追う2対の視線に、変な所にギアが入ったアスラは気づかない。
常に注視され過ぎて、いっそ見慣れ始めた金の瞳を探しながら、アスラは胴元の施設へ向けてその人波を走り抜けたーー。
「どぅわっ!?」
胴元の建物の目前まで来て、ニュッと伸びた腕にその身体を路地裏へと引き摺り込まれたアスラは、そのまま壁に身体を押し付けられて目を白黒とさせた。
「お前よほど食い殺されたいらしいな!? 臭いは追えると言っただろう!! 逃げたくせに、何をこんな所でうろうろとーーっ!!」
「無視られたら合流は諦めてたが、見つけてくれて助かった!」
押し殺した声で今にも噛み付かんばかりのジークの形相に対して、アスラはその黒い瞳を輝かせる。
力任せに壁に打ちつけられた身体の痛みを無視して、アスラはガシリとジークのローブを握り返した。
「……は、何を言ってる!? 頭でもイカれたか……!!」
明らかに焦りからイラついている様子のジークに負けじと、アスラは口を開く。
「あぁ、自分でもびっくりだが相当なイカれ具合だったよ!!」
「は!?」
制御できない謎の高揚感に包まれて、開いた瞳孔で笑いながら見返してくるアスラの不気味さに、ジークが思わずと距離を取る。
「もうほとんどヤケクソだ! 正直まだ迷ってるがしょうがないだろう!? 2度もあんな助けられ方して、このまま見捨てるなんて後味が悪過ぎてほっとけないんだよ!」
「……薬でも含まされたのか? お前様子がおかしいぞ……っ」
顔を歪めてずずと後退るジークの、ローブの襟首をアスラが掴む。
「こんなこと、おかしくなきゃできねぇだろ!! 私もーー」
その黒い瞳と、金の瞳が交錯する。
「お前らも……っ!!」
「……意味がわからん! お前に付き合ってる暇はない! 見逃してやるから、何があったかさっさと吐いて、どこへとでも去れ!」
掴まれたアスラの手を振り払ったジークのローブを、アスラが再びガシリと掴む。
「言っただろう、イカれてるって! 私を信用できないのはわかってる。わかってるし無理もないが、信用してもらう他はない! どちらにせよ助けに行くんだろう!? お前らの計画とやらに、人間の手が要るんじゃないのか!?」
「そんなことをして、お前にいったい何のメリットがある!? わかってるのか!? 人間の世界に戻れなくなるぞっ!?」
信じたい反面の信じ切れないリスクが高すぎて、その金の瞳が揺れ動く。
「何にもないが悪いかよ!!」
「……どうかしている……っ!!」
アスラの異様な勢いに、いっそ恐怖に近いものを感じて後退るジークは、アスラの異質な空気にその顔を強張らせた。
ーージークっ!!
路地裏で小声で騒ぐ2人の元に、街の灯りに紛れた白い影が滑り降りる。
「ネロ……っ!」
アスラに詰め寄られながら、ぱさりとジークの肩に止まり降りたミミズク姿のネロが、動揺の色が強い金の瞳を覗き見た。
ーーはつね、にがした。にげた、けど、わるくないっ!
「………………わかっている……っ!」
ネロの曇りない赤い瞳から視線を逸らして、ぐっと拳を握るジークを見て、アスラが眉間にシワを寄せて口を開く。
「ぐだぐだとうるさいヤツだなっ!! 時間がねぇんだよ! そんなに腹括れねぇなら、お前が俺にメリットを提示しろ!! お前の言うことも、しょうがねぇから信じてやる!!」
「…………っ!!」
人差し指を勢いよく突きつけられて、ジークがその指先を見つめて仰け反った。
「……な、何をだ……っ!?」
くっと、感情が無い混ぜになった表情でアスラを見下ろすジークを見上げて、アスラがニッとその口端を歪める。
「そうだな、もし、人間の中に私の居場所がなくなったら、居場所を譲って貰おうか!」
「……お前さっきから言ってることが1ミリもわからんぞ……っ!!」
いい加減その気持ち悪いテンションをどうにかしろと言いたげなジークに構わず、アスラはニッと笑う。
「あの熊の寝床、捨てるには勿体無い出来だからな! 3食フルーツ、護衛付きで、手ぇ打ってやるよ!」
そう言って突き出された拳を呆気に取られたように見つめたジークは、どいつもこいつもと小さくボヤきながら詰めた息を吐くと、一瞬の後に自身の拳を無言で打ちつけたーー。




